民俗文化財保護事業と地域研究に従事する研究者の須藤護さんがこのほど単著「穴太衆積みと近江坂本の町」(サンライズ出版)を出版した。
須藤さんは千葉県出身。近畿日本ツーリスト、日本観光文化研究所所員、大学共同利用機関放送教育開発センター助教授、龍谷大学教授などを歴任してきた。
須藤さんは千葉県出身。近畿日本ツーリスト、日本観光文化研究所所員、大学共同利用機関放送教育開発センター助教授、龍谷大学教授などを歴任してきた。

同書は「石の力を最大限に引き出した積み方」とされ、大津市坂本地区を中心に見られる穴太衆積みと呼ばれる石垣に着目し、戦国時代以前から受け継がれてきた伝統的工法の美しさに迫る。
・第1章
現在に穴太衆積みを継承し、昨年、民家の石垣の石積みと日吉大社東本宮背後の高石垣の修復に携わった2人の石工の作業記録から、穴太衆積みの美しさの理由を解き明かそうと試みる。
・第2章
穴太衆の足跡をたどり、土木技術に長けた集団について延暦寺と日吉大社をからめた論考を行う。
・第3、4章
・第3、4章
坂本が繁栄した時代、戦国期に受けた壊滅的な町の破壊、その後復興していく町の様子を追う。
同書はA5判。236ページ。価格は2400円(税別)で、滋賀県内の主な書店を中心に全国で販売。
書籍に関する問い合わせ:
サンライズ出版(TEL0749―22―0627)
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「穴太衆」は、近江の比叡山山麓にある穴太(穴太ノ里[あのうのさと]などとも俗称。
現在の滋賀県大津市坂本穴太。延暦寺と日吉大社の門前町・坂本の近郊)の出身で、古墳築造などを行っていた石工の末裔であるという。
寺院の石工を任されていたが、高い技術を買われて、安土城の石垣を施工したことで、織田信長や豊臣秀吉らによって城郭の石垣構築にも携わるようになった。それ以降は江戸時代初頭に到るまでに多くの城の石垣が穴太衆の指揮のもとで作られた。彼らは全国の藩に召し抱えられ、城石垣等を施工するようになったというが、不明な部分も多い。
現在の滋賀県大津市坂本穴太。延暦寺と日吉大社の門前町・坂本の近郊)の出身で、古墳築造などを行っていた石工の末裔であるという。
寺院の石工を任されていたが、高い技術を買われて、安土城の石垣を施工したことで、織田信長や豊臣秀吉らによって城郭の石垣構築にも携わるようになった。それ以降は江戸時代初頭に到るまでに多くの城の石垣が穴太衆の指揮のもとで作られた。彼らは全国の藩に召し抱えられ、城石垣等を施工するようになったというが、不明な部分も多い。
<滋賀報知新聞より>