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【滋賀・近江の先人第255回】「先義後利栄 好富施其徳」の家訓・西川利右衛門(近江八幡市)

 初代西川 利右衛門(にしかわ りえもん)は1590年(天正18年) - 1646年1月21日(正保2年12月5日)は、江戸時代初期の近江商人。

 西川家初代西川勘右衛門数吉は、元越前の朝倉氏の家臣で木原と称していたが、主家滅亡後蒲生郡市村(現近江八幡市)に居住し西川氏の養子となった

 初代利右衛門は勘右衛門の長男として蒲生郡市村に生まれた。当初は父の名より勘右衛門数政と称していたが、市村より八幡新町に居を移し、利右衛門と改名した

 利右衛門は一匹の馬を購入し、馬に多くの荷駄を載せ東海道を江戸迄往復し畳表・縁地・蚊帳等の行商を行った。行商を基に蓄財し、大阪瓦町に出店を設け近江屋八右衛門と称し、その後江戸日本橋にも出店を設け大文字屋嘉兵衛の名義を用いた

 信用第一とした商売は評価され、終には江戸城本丸及び西の丸の畳替えを一手に引き受けたことから、益々畳表・縁地・蚊帳において世の中より高い信頼と評価を得ることが出来、家政は隆盛を極めた。

 当時、江戸日本橋通り近江商人が出店していた店を全て近江店と称されていたが、その中でも大文字屋は最も繁盛していた。初代利右衛門は1646年1月((旧暦)正保2年12月)に死去した
 分家から八幡3大商人の一人に数えられる西川庄六家を輩出している。

歴代当主
西川利右衛門家
西川勘右衛門数吉:越前朝倉氏家臣。
西川利右衛門 (初代)数政:勘右衛門数吉長男、蒲生郡市村に生まれ八幡町新町に移住し、大坂(近江屋)・江戸(大文字屋)に出店を構える。
西川利右衛門 (2代)重数:数政長男。
西川利右衛門 (3代)数正:重数長男。妻は扇屋伴兵衛の娘。
西川利右衛門 (4代)数常:隠居後5代・6代利右衛門の後見となり、隆盛期を迎える。
西川利右衛門 (5代)治記:数常長男。
西川利右衛門 (6代)数亮:数常五男、京都店を開設する。
西川利右衛門 (7代)数孝:3代目西川庄六数久の長男。
西川利右衛門 (8代)数喜:備中早嶋店を開設する。
西川利右衛門 (9代)数繁
西川利右衛門 (10代)数雅:4代目西川庄六数居の三男。
西川利右衛門 (11代)徳浄:7代目西川庄六数富次男、最後の当主。

  家訓
    「先義後利栄 好富施其徳」(義を先にし、利を後にすれば栄え、富を好しとし、其の徳を施せ)

一族
主な分家
西川庄六家:2代目利右衛門重数の次男が分家、大文字屋と称し江戸に出店を構える。
      西川庄六 (3代)数久:4代目利右衛門数常の次男、庄六家最盛期を築く
西川仁右衛門家:2代利右衛門重数の四男が分家、近江屋と称し大阪に出店を構える。
西川徳蔵家:4代利右衛門数常の四男が分家、大文字屋と称し薬問屋を営み大坂・京都に出店を構える。

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