”スローライフ滋賀” 

【滋賀・近江の先人第 85回】生涯貫き通した倫理商法を以てメリヤス露天商から身を起こした・松居泰次良(東近江市)

松居泰次良、明治8年ー昭和36年(1875-1961年)、滋賀県愛知郡西押立村(東近江市下一式町)の松居真三郎(江戸末期から彦根藩の鉄砲・火薬掛)の二男として生まれる。明治-大正-昭和期に活躍した滋賀県愛知郡西押立村下一色出身の近江商人。

病魔に打ち勝ち、郷党のの鑑と言われた実業家。生涯貫き通した倫理商法を以て大阪でメリヤス露天商から身を起こし、明治・大正・昭和に活躍した「隠れた近江商人」。

ヒストリー
泰次良は小学校を卒業すると、数えの15歳、明治22年(1889年)で、豊郷村出身の豪商、東京日本橋の大手綿布業「薩摩治平衛商店」の丁稚に上がる。
東京で店主の治平衞から何れ貿易要員、その後暖簾分け(分家)か養子かと将来を期待されたが、病気のため明治30年(1887年)22歳の時、近江に帰郷する。

豪商「薩摩治平衛」にては下記に紹介している。
【滋賀・近江の先人第13回】明治富豪26人の一人にも数えられた近江の豪商・薩摩治平衛(滋賀県豊郷町)
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/e/96496ac0feacb8432b7c85c1adb48f76

病気で薩摩家を辞めたが3年で回復し、明治33年(1900年)25歳の時、台湾新竹で福岡県出身の日用品雑貨商「福江源治商店」で修行に励む。またも店主に見込まれ明治37年10月、台湾で軍御用商人・食品雑貨卸・松居商店を設立した。翌年嫁を娶ることになっていたが明治37年12月、体調を崩した。病気再発のため明治38年8月、台湾での事業に終止符を打ち、故郷の近江に戻った。2度の大病であったが母の献身的な看病で九死一生を免れた。病名は明らかにされていないが過労で体調を崩す病、この時代の大病肺結核ではなかったか。

明治40年(1907年)32歳、2度の病魔も不屈の精神で乗り越え、同郷の恩人から資金援助を受け、大阪で弟の房次郎と共同でメリヤス製品製造卸「松居商店」を大阪道修町で開業した。時代は第一次世界大戦の好景気で松居商店は軍需需要で業界のトップになる勢いだった。

創業以降、3兄弟(長男直次郎、二男泰治良、三男房次郎)は協力し事業を着実に伸ばして、大正元年には松居商店株式会社に移行した。松居商店は「倫理商法」をモットーとし、「生活製品は、消費者あってのものであり、消費者本位の製品」である強い信念と倫理を持っていた。

二男泰次良は、父真三郎(明治41年63歳)を亡くし、明治43年35歳の時、同郷で24歳のツルと結婚したが大正4年にツルを亡くし、大正5年にフキ28歳と再婚している。大事な二人の娘(長女美恵子:大正3年5歳、二女正子:昭和6年19歳)と初妻(ツル:大正4年31歳)、兄直次郎(大正6年44歳)、母(みえ:昭和2年73歳)の多くを失っている。


松居泰次良・房次郎兄弟の郷土愛

「神の池」施工・権利寄贈
大正14年(1925年)、松居兄弟は、「ここまで来れたのは皆さんのお陰。先祖のご守護」が泰次良の口癖だったと言われ、郷里の人びとのご恩に感謝を考えた兄弟は当時、農業用水確保に苦労していたことから地下水の揚水施設を建設し提供した。この用水は「神の池」と呼ばれ村民により記念碑が建てられている。

宝珠寺再建

続いて、昭和9年に「宝珠寺」は明治-昭和期に活躍した滋賀県愛知郡西押立村下一色出身で近江商人「松居泰次良・房次郎」兄弟により、昭和9年に2年間を掛けて再建されたものである。宝珠寺は寛永5年以来300余年、明治32年頃に一部修理されたがその後荒れ放題でぼろぼろだったらしい。勿論、松居家のの菩提寺でもある。

運命水神社再建寄贈

3番目は昭和13年(1938年)、同じく愛知郡西押立村(東近江市下一式町)の「運命水神社」を再建している。

西押立国民学校(西押立小学校)建設寄贈

4番目は、昭和18年(1943年)、郷里の時代を担う子弟の教育には、優れた学校施設が大切と考えた松居兄弟は、「西押立国民学校(西押立小学校)」の改築を計画した。しかし、自分たちの名前が大きく出ることを避けるため、建設資金を村人から募り、その不足額を全部寄付するという配慮をした。
「西押立小学校」は昭和18年(1943年)に完成し、昭和18年の竣工から38年間、後に「湖東第二小学校」が新築されまで、次代を担う子どもたちの学び舎として活用され、その後はこの建物は現在「東近江市立湖東歴史民俗資料館」となっている。隣接して元講堂だった武道場の「錬成館」も残っている。

西押立国民学校(西押立小学校)

https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/e/b336cbc7641ac7189ec57df410e24c62


加えて、下一色の松居泰次良家の本宅(1935年(昭和10年)建築)、「泰山閣」は、地域の生涯学習施設として利用されている。茶室、土倉が附属し、有形文化財に指定されている。

この「宝珠寺」は明治-昭和期に活躍した滋賀県愛知郡西押立村下一色出身で近江商人「松居泰次良・房次郎」兄弟により、昭和9年に2年間を掛けて再建されたものである。宝珠寺は寛永5年以来300余年、明治32年頃に一部修理されたがその後荒れ放題でぼろぼろだったらしい。勿論、松居家のの菩提寺でもある。

松居兄弟は大阪でメリヤス製造業で成功し、郷里の西押立村に大正15年(1926年)感慨用水「神の池」工事を、また、昭和18年(1943年)にも「西押立小学校」(旧湖東第二小学校)を寄付している。

松居泰次良・房次郎兄弟の小学校建設寄付は、当時東洋一と言われた豊郷小学校を寄付した「古川 鐵治郎」(丸紅)と同じである。両名とも近江の偉大な偉人である。

【滋賀・近江の先人第46回】東洋一の豊郷小学校を寄贈した・古川鐵治郎(滋賀県豊郷町)


<湖東町人物誌、近江を築いた人びと、東近江の商人群像参照>

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