中日新聞社の記者が守山市内で取材していて、ふと思った。山がないのに、なぜ「守山」というのだろうー。伊吹山に比叡山、比良山…滋賀県内には有名な山がいくつもあるのに、滋賀県内19市町の中で名前に「山」がつくのは、なぜか山がない守山市だけ。いったい「山」はどこから来た?
湖南地域の琵琶湖岸に位置する守山市は、JR東海道線沿線で人口が増えている。北部や湖岸地域に田園風景が広がり、1級河川の野洲川が東部を流れるなど、豊かな自然も特徴だ。市の海抜は最も高い所で106・1m、低い所は83・7m。標高差は22mほどしかない。守山市内全域に平らな地形が広がり、どう見ても「山」はない。
湖南地域の琵琶湖岸に位置する守山市は、JR東海道線沿線で人口が増えている。北部や湖岸地域に田園風景が広がり、1級河川の野洲川が東部を流れるなど、豊かな自然も特徴だ。市の海抜は最も高い所で106・1m、低い所は83・7m。標高差は22mほどしかない。守山市内全域に平らな地形が広がり、どう見ても「山」はない。
守山市文化財保護課の担当者に市名の由来を尋ねると「いくつかの説があり、はっきりとした結論は出ていない」。中でも最も広く知られているのは、守山市守山2にある天台宗の寺、東門院を由来とする説だ。
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↑写真:中日新聞より
東門院は、JR守山駅の北西約800mほどの中山道沿いにある。8世紀後半ごろに創建され、文字通り「守山寺」とも呼ばれる。
寺の荻原修叡住職によると、天台宗の開祖最澄が比叡山の東側を守るために、東門院を建立。延暦寺を庇護(ひご)した当時の桓武天皇が「比叡山を守る寺」という意味で「守山寺」と名付け、市名の由来にもなったという言い伝えが残る。
一方で、山はないのに、地形や景観に基づいたとする説もある。守山市内の吉身中町自治会が今年2月に発行した「吉身中町史誌」をひもとくと、東門院の伝承以外の市名の由来が詳しく記されていた。
史誌は、2020年に市制50年を迎えたことを記念して、市中心部の吉身地域の伝統や文化を伝えるために、自治会の住民有志らが企画した。古代から現代までの郷土史や地域の行事、地元出身の偉人などを全約240ページで紹介。さまざまな文献の検証や関係者への聞き取りを重ね、18年から約5年をかけて編さんした。市名の由来については、冒頭の10ページを使って解説している。
監修と執筆を担当した渕上清二さんは「山」がどの程度盛り上がっている場所を指すのか、地域ごとに差があることを史誌の中で指摘。そして「古来の守山には樹木が生い茂っていたこともあり『森山』が転じたのでは」と分析する。
神社周辺の森林を意味する「杜(もり)」から「杜山」になったとか、「高くなった所」を意味する字を重ねた「盛山」が基になったとの説もある。大和朝廷の時代、直轄地で山林などを管理する職業の「山守部」がこの地域に置かれていたことから「山守」が「守山」に転じた可能性もあるとしている。
守山市名の由来には諸説があり、どれも納得でき、1つに定まらない。結論が出ていないのは残念だが、渕上さんは満足そうに語る。「地名の由来を深掘りすると、地元への愛着が高まる。地元に誇りを持てるように、自分がどんな歴史や文化を持つ地域に住んでいるのか、興味を持ってほしいですね」
<中日新聞より>