明治時代に謄写版(とうしゃばん)(ガリ版)を発明した堀井新治郎(元紀(げんき))、新治郎(仁紀(じんき))父子に、米国の「発明王」エジソン(1847~1931年)が送った100年前の手紙が滋賀県東近江市の「ガリ版伝承館(堀井家旧宅)」で見つかり、東近江市が6月27日に発表した。
昨年10月、同館の収集資料の整理作業で見つかったもので、化学者高峰譲吉が受け取った同文面の礼状(金沢ふるさと偉人館所蔵)と一致した。
昨年10月、同館の収集資料の整理作業で見つかったもので、化学者高峰譲吉が受け取った同文面の礼状(金沢ふるさと偉人館所蔵)と一致した。
↑写真:滋賀報知新聞より ↑写真:産経新聞より
このエジソンからの手紙は新治郎父子がエジソンの75歳の誕生日を祝って送った手紙の礼状と考えられる。
このエジソンからの手紙は新治郎父子がエジソンの75歳の誕生日を祝って送った手紙の礼状と考えられる。
新治郎父子はエジソンが発明した印刷機を参考に謄写版を発明したとされるが、エジソンとの交流を裏付ける史料が見つかったのは初めてという。
エジソンからの手紙は1922年(大正11年)2月16日付。「私の誕生日を覚えていて下さり、とてもうれしく思います。お祝いの言葉とお気持ちをありがとうございます。あなたのご好意に大変感謝申し上げます」との英文がタイプライターでつづられ、最後に「トーマス A エジソン」の署名がある。
この手紙の展示会
7月2、3日:ガリ版伝承館(東近江市蒲生岡本町663)
7月6日〜31日まで(月・火休館): 蒲生図書館(東近江市市子川原町676)
↑写真:産経新聞より
東近江市は昨年度から約4000点の堀井家資料群の整理を始めており、エジソンの手紙は「感状1 堀井本家」と表紙に印字された分厚い台帳に糊(のり)付けされていた。台帳には、新治郎父子がエジソンに宛てた病気見舞い状や訃報を受けたお悔やみ状なども残っていた。
↑写真:産経新聞より(左:父新冶郎(元紀)、子新冶郎(仁紀)
父の新治郎(元紀)は1893年(明治26年)に米シカゴで開催された万国博覧会を視察し、エジソンが発明した印刷機「ミメオグラフ」を見学したとされる。
謄写版はその翌年に発明され、同じ年に東京の神田鍛冶町で製造・販売を行う謄写堂を創業。行政機関や新聞社、大学などが購入し、文書がそれまでの毛筆からインキとペンに取って代わっていった。
■堀井新治郎
堀井家は江戸時代に醸造業を営んだ近江商人の名家。堀井新治郎は、養父として堀井家に迎えられた新治郎(元紀、1856~1932年)と堀井家39代の新治郎(仁紀、1875~1962年)の父子のこと。シカゴ万博を視察したのは父の元紀だが、親子の協力によって謄写版が発明された。
<産経新聞・滋賀報知新聞より>
【滋賀・近江の先人第50回】謄写版(ガリ版)印刷の父・堀井新治郎(滋賀県竜王町・東近江市)
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/e/11e9244fe79536ff76f8b763558c60bc
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/e/11e9244fe79536ff76f8b763558c60bc
ガリ版伝承館
東近江市蒲生岡本町663