わたしの「文明と自然」観
日本人が明治以降西洋文明に圧倒される以前の文明観は、主に、中国古来の儒教、道教及び墨教の文明観に由来します。
その中で、おおよそ縄文人の世界観は、道教の都会的消費文明を拒否し、自然の脅威に身をゆだね、多くを望まず、魂の安静を求める生活を重視する点で似ています。
一方、墨家は生産性向上を目指し、兼愛を旨として労働に極力勤しむことを薦めている点でやはり日本人本来の勤勉精神に通じているとも思えます。その点、文明を否定していない点で、儒教と共通していると言っても過言ではありません。
他方、儒教は、殷・周文明の文化・文明の進歩思想を旨として、いわゆる西欧の発展思想に極似していると言っても過言ではありません。
もう少し、人類の基層に立ち入って、観察すれば、新人が旧人・原人から分離したあたりの時点での変化に着目してみると、人間の文明の有り様が明白になると思うのです。
要するに、人類特有の弱点を強さに変える選択として、頭脳容量の急激な増加、それに伴う遅い身体の成長は、より家族の紐帯の重要性を要求し、数人の母親共同の協力の知恵を生み出し、食事のオープン化に対してセックスを秘匿するという戦略をとって、群れの持続性を維持して来ました。そしてその群れの適正構成員数はおおよそ120人であって、他の群れとは、棲み分けで多少の入れ換えも許容していたのではないかと思われます。
その命を繋ぎ、自然との調和や、群内の以心伝心になくてはならない能力が、共感であり、感応の能力であったと思います。
その感応能力は、単に打算的な論理的合理性というよりも回りの他人や、またそれを囲む自然との同調精神であり、それらの能力を研ぎ澄ましてはじめて共同体を存続させていけたのでありましょう。
この点が、これから将来も有効となる基本形には変わらないことは自明の理と言えます。
yatcha john s.