オキナグサの花言葉(三月七日)
「何も求めない」
「人間万事塞翁が馬」という逸話、教訓話しがあります。すべては巡り巡って、禍福はあざなえるえる縄のごとしの意味で、よく使われる諺です。幸運だと思ったら、それが原因で悪いことが起こった。最悪だな、と思ったら、それが原因で素晴らしいことが起こった。だから何事が起こってても、一喜一憂しないようにという、中国の故事です。あるいは幸運の中に不幸の種があり、不幸の中に幸の種があるというのです。
つまり、表面的な、幸不幸に惑わされないように、例えば荒れ狂う大海の海の下は、いつでも静かな世界がありますよ、ということです。
現代、すべてが金、金、金。そしていいくらし、いい環境、物に取り囲まれて嬉しがってる社会です。物欲に覆われ、真実が見えない世界です。
お釈迦様が私たちに望んでいる精神的生き方とは、一切、何者にも囚われない、執着しない境地を求めておられます。
Marci Shimoff の「Happy for no reason 」(理由なしの幸せ)もそういう生き方を薦めています。
そういう意味で、オキナグサの花言葉の「何も求めない」という生き方は質素でありつつ、それでいて清々しいおおらかさ、ある意味趣きのあるきよらかさにこそひとの営みの美があるというのでしょう。
勿論、求めることが悪いことであると言っているわけではありません。
求めること、求めないこと。それらを超越した境遇を示してくれているようです。一言で、すべてを言い尽くしています。グサッときます。無欲な心ほど美しいものはありません。
するとその下の穏やかな、柔らかな層に降りて行けるのです。いわば表層が嵐の荒海であっても下の深い層では落ち着いた穏やかな世界があるというようです。
そうすれば、もっと気楽に自由と奥深い幸せが求めなくとも、向こうからやってくるというのです。
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