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秋の詩 「山頂」

2015-11-04 08:54:39 | 「尾崎喜八を尋ねる旅」
2015年秋 11月4日(水)

とても爽やかな秋晴れです。

秋の顔
Prosit(おめでとう!)


『自註 富士見高原詩集』尾崎喜八より


「山頂」
(ジャン・ジオノに)

一人一人手を握り合ってプロージットを言う。

どの手もさらさらと乾いたつめたい手だ。

堅いザイルやピッケルや

荒い岩角ばかりを摑んで来たあとで

血もかよっていれば電気のように心もかよう

実直で大きくて頼もしい人間の手がここにある。

放した瞬間に深い暖かみのほのぼのと生まれる

こんな握手が下界にはまるで無い。

海抜三千余メートル、

純粋無垢の日光に皮肉をつらぬかれ、

真空のような沈黙に耳しいた気がする。

何が成功で どういう事が敗北か、

きれいな顔の世渡りに

どんなきたない裏道があるか、

豁然(かつぜん)と覚めた心が今無心の岩に地衣を撫でる。

がらがらに落ちた天涯の階段の

目もくらむ底はサファイア色の夏霞だ。

下山路は足もとから逆落しに消えて、

むこうに切り立つ白と緑の岩稜を

もう一ぺん天へからむ糸のように見える。

風が吹き上げて来る這松のにおい、

浮力に抵抗する重い登山靴、

うずくまっている者もパイプふかしている者も

みんな男らしくやつれて秋の顔をしている。


【自註】
フランスの現存の作家であり、手紙の上でも親しいジャン・ジオノに捧げたこの詩は、これもまた人に誘われて初めて北穂高へ登った時の作品である。堂々として攀じ登って来た山のてっぺんで、まず「おめでとう」を言いながら握り合う男同士の手がどんなに頼もしいものであるかを書き、三時間余の大キレットの急登にさすがいくらか やつれの見える互いの顔が、どこか秋めいたものを感じさせるその美しさに焦点をしぼって書いた。

戦争での勝利とは何か、敗北とは何か。他人を蹴落としてかち得た世間的な成功やその反対の失意に、そもそもどれだけの意味があるか。そんな事で喜んだり泣いたりするこの世が寧ろむなしく憐れなものに思われて来る高山の頂き。私は昂然と顔を上げ、純粋無垢な空気に深呼吸をし、改めて登山靴の紐を締め直し、さて心も新たに次の峯へと歩き出した。こんな気持ちはあのジオノならきっとわかってくれるに違いないと、ふとあの南フランス、マノスク・デ・プラトーの友人の事を、彼の傑作『世界の歌』や『真の富』を愛読した昔と一緒に思い出しながら。



*ジャン・ジオノ(1895年3月30日~1970年10月8日)
フランス、プロヴァンス出身の作家。 プロヴァンス地方マノスクに生まれる。16歳で銀行員として働き始める。1914年第一次世界大戦に出征。 1929年長編小説『丘』がアンドレ・ジッドに認められ出版。第二次世界大戦では徴兵反対運動を行う。1939年逮捕される。(ウィキペディア)

*尾崎喜八(1892年1月31日~1974年2月4日)

*写真:「山と渓谷」2015年11月号 表紙写真引用。

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