SSF 光夫天 ~ 詩と朗読と音楽と ~ 

◆ 言葉と音楽の『優しさ』の 散歩スケッチ ◆

秋の詩 「郷愁」

2015-12-03 12:02:17 | 「尾崎喜八を尋ねる旅」
わが家の「笛」(見出し写真)

昨年暮れに、大掃除で出てきた、わが家のリコーダーたち!(^^)
歌の練習の「息使い」のためにもいいかなと思い、練習しています。
思うような音はなかなか出ませんが、素朴な響きがとても心地よい。


自註 富士見高原詩集(尾崎喜八)より

郷愁

いつか秋めいて来た丘にすわって

ひとり吹き鳴らす古い此の笛、

バッハ、ヘンデル、グルックから

思い出しては試みる歌のきれぎれ。


高原の草に落ちるその音が

僻遠を生きる私を一層遠い者にする。

しかしそのしらべの天使のような質の故に

なんと却って人間の世のいとおしい事ぞ!


なぜならば天使らが進んでその心を与えるのは

実にかしこ秋風白い都会だからだ。

そこの汚辱と苦悩との衢(ちまた)に人間と共に痩せて、

いよいよ清らかな彼らの眉目こそなつかしい。


【自註】
諏訪出身の化学者三輪誠君から教えられ、東京から遊びに来た串田孫一君に受売りをして、さて自分でも漸く吹けるようになったブロックフレーテ。この笛を手に森に出て草の丘に行き、春や秋の高原の広々とした眺めを前に知っている曲をいろいろ吹く。しかしバッハとかヘンデルとかグルックとか書くには書いたが、どうせ彼らの物の中でもきわめて容易な小曲か、その断片かに過ぎなかった事は言うまでもない。しかし、それにしても笛の音である。柔らかに澄んだその音色にはいつでも何か郷愁のようなものが伴っている。

この場合もやはりそうで、その郷愁はこんな秋風の中でまだ荒廃しているだろう生まれ故郷の東京へであり、そこに生きている人達であり、しかも事によったらその人達の心の中でひそかに歌っているかも知れないこれら天使の調べへの哀愁だった。天使はどこにでもいる。人の羨むようなこんな平和な田舎にもいるし、進んで屈辱と苦悩のちまたに生きて、人々と共に苦み痩せてゆく天使もあろう。そして敬虔な歌を吹きながらそういう天使に此処の天使の調べを送りたいと私は思った。

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*僻遠(へきえん):場所が、中央から遠く離れていること。
*ブロックフレーテ:(英)recorder. (独) Blockflöte (ブロックフレーテ)
*眉目秀麗とは、容貌がすぐれ、たいへん美しいさま。男性に用いる語。
「眉目」は眉と目のこと。転じて、顔かたち。「秀麗」はすぐれてうるわしいさま。


尾崎喜八が愛したアイルランド民謡 The Wind From The Wind」の『朗読と歌』の中で、喜八自身が、リコーダーを吹いていますが、下記音源は、秋の詩「郷愁」のBGMとしてYOUTUBEにアップしました。

よければどうぞ。
<音源:サラマンカ(アイルランドの音楽より) 写真:わが家の笛(^^)>
https://www.youtube.com/watch?v=v3gTX6-bvac&feature=youtu.be

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