さて、基数(1~9)の中の基数である “1・2・3” ですが、この数字ドコかで見たなーと思ったら、そう、“ひふみ(一二三)” なのです。 私の場合、ひたすら直感の赴くまま掘り進めていたら、意図せずこれら二つが交差する場面に多々出遭います。
さて、ここから更に独断と偏見で掘り進めて行きたいと思います。 ので、今まで書いて来た事もそうですが、これから書くことも決して他の人から見て正しいという見解ではありませんので、そのおつもりでお読み下さい。 まーひとつのモノゴトを考える角度とでも思ってください。
占星学では、一周円360度と限定された数字の枠内では、この角度(Aspect)が重要なように、数字(Number)というモノで支配された私たちの日常生活で、この “角度” という概念は、興味深い世界を見せてくれるかもしれません。
さて本題に入りたいと思います。
“1” という数字は、ケイシーの解く数秘学では “太陽(Sun)と肉体(Body)” に対応します。 そして、“2” という数字は “月(Moon)と精神(Spirit)” に対応します。 そして、“3” という数は “木星(Jupiter)と脳下垂体)” に対応します。
これらを調べていてフト私の直感に引っ掛かった事があるのです。 それは、以前アメブロでやった事があるのですが、ベツレヘムの星と呼ばれる六芒星と太陽系惑星群の関係です。
六芒星の頂点にはひとつずつしか星が配置されていないのに、何故か下向きの三角形の頂点には二つの星(太陽と月)が配置されている。 最初はミスプリかと思ったのですが、本文を読むとどうもそうではない。 キチンと考え抜かれて配置されている。
こちらに関しましては、いずれまた “今” の視点から書きたいと思っていますが、今回はスルーしまして、興味深いのが、精神世界で “肉体と精神” の合一といいますと、地に堕ちて土(Earth)を土台として魂を入れて造った “人間” を意味します。
そして、上向きの三角形の頂点に位置するのは大吉祥星である “木星(Jupiter)” で、その対応するチャクラも、最も高い位置にある脳下垂体(Pituitary gland)です。
そう考えると 『1(肉体)+2(精神)→3(霊的最高到達地)』 と読めなくもないのではないでしょうか?
つまり、肉体と精神を使って日々試行錯誤しながら、様々な痛みを伴った経験を踏みながら、向かう先はと言いますと、地球三次元世界に於いて霊的最高レベル(脳下垂体)。 そして、その事をもっともシンプルな図である “数字(Number)” として表現したモノ。
それ故、“1・2・3” という数は基数の中の基数として述べられており、他の数はソコから派生(拡散・分裂)したものである、と。 次に来る “4” という数が “2(月・精神・水)” という基数の分裂したモノであり、海王星(Neptune)に対応し、その意味も “夢幻・イメージ・水(海)・拡散” を意味し、易の基数展開でも “四” は分裂・拡散数ということで目に見えない “放射能” に対応しています。
ここで一二三(ひふみ)神示より、この事を支持しているニュアンスの帖をアップしたいと思います。 “額の目” とは七つの主要チャクラのうち “脳下垂体(Pituitary Gland)” を意味します。
ケイシーもひふみ神示も、人にアドバイスを求めるよりも、現在目の前に降りて来た自分自身の問題は、常に自分の内奥に答えがあるので、瞑想(Meditation)して判断した方が良いと述べています。
これは決して他の人のアドバイスを無視しなさい、と言っているのではなく、長い眼で見た魂の成長には、たとえその時には他の人から見て失敗と思える経験をしても、自分で判断し行動した事なら誰の責任にも出来ないし、その時には受け入れられなくても、長い時間をかけてで受け止めるしかないから、その意味で長い目で見た霊的成長が間違いなく訪れる意味もあると思います。
人のアドバイスを聞いてその時には単純に成功と思っても、ラクして得たものはあまり身に付かなかったりします。 こちらに関しましては、短い自分自身の人生経験からも言えます。 自分の判断で行動して恥をかいたり、失敗したりした経験が、現在Stepping Stoneとなっている事が多々あります。
ととと、あまりダラダラ私見を書いても蛇足ですので、ひふみ神示をアップしてとりあえず失礼します。
【ひふみ神示 〔黄金の巻・第七十三帖〕】
四十八柱、四十九柱、それぞれの血筋の者引き寄せておいて、その中から磨けた者ばかり選り抜く仕組。 磨けん者代りのミタマいくらでもあるぞ。 お出直しお出直し。 世界が二分ぢやなあ。 もの見るのは額でみなされ、ピンと来るぞ。 額の判断間違いなし。額の目に見の誤りなし。 霊界には時間、空間は無いと申してゐが、無いのでないぞ。 違つて現はれるから無いのと同様であるぞ。 あるのであるぞ。 悪の霊はミゾオチに集まり、頑張るぞ。 こがねの巻は百帖ぞ。 こがねしろがねとりどりに出るのぢや。 あわてるでないぞ。(12月二七日) 一二十