私は、自分の明確な目標を持って生きてはいますが、人生そのものは大きな運命に翻弄さています。 渡米もそうでしたし、帰国のタイミングもそうでした。 今回の震災での沖縄疎開なんて典型的なものです。
私が疎開をしたのは、震災から約一ヶ月後の4月11日でした。 本当は、横浜が一番好きだったし、金も無かったし、引越しするのもメンド臭かったので、今後何十年にも渡り放射能の雨が降り続けるのを知っていても、ドコへも引っ越すつもりはありませんでした。 ただ、情報だけはネットを通じて裏から情報を様々な角度から仕入れていたので、もう関東周辺、特に東京はダメだろうというのだけは分っていました。
まー今年で人生も40年生きてやりたいことは大体やったし、一回は永住権でアメリカ人になったし、独身だから家族はいないし、で、特に今回の人生で遣り残したコトもなく、未練も執着もありませんでしたから、疎開してまで長生きするつもりなんて毛頭ありませんでした。
ではソレなのにナゼ引っ越したかと言いますと、私の千葉の知人と既知の神人さん関係の方が、お金がなければ飛行機チケット代まで出すから、関東周辺から離れて沖縄に来なさい、と何度も何度も電話と速達で仰って下さったからです。
まー私のような自分勝手に生きている自由人ににそこまで言ってくれるんだから、メンド臭いけど引っ越しましょうかねーという感覚で沖縄に引っ越しました。 沖縄に行っても様々な意味で大変でした。
ですが、結局、宮崎に帰ってきた理由は単純。 お金が尽きたことでしょうか。
金の切れ目が縁の切れ目、ではありませんが、今でも沖縄に引っ越した方々とは連絡は取っています。 その方たちも千葉から今まで築いた総てを捨てて沖縄に引っ越されました。 が、それまでと全く異なる気候やら習慣やらで想像以上に大変なようです。
ですが、これからの時代はそこがカギとなるような気がします。 この世のモノへの執着を捨てて運を天に任せる。 私も横浜は今まで住んだ街の中で一番好きでしたが、今回その執着を強引に捨てさせられました。 手に握り締めていたモノを叩き落された感覚でした。
今はお伝えしているように、とりあえず実家のある宮崎にいますが、果たして今後どうなるのか予測は立ちません。 誰にも予測が立てられない時代に突入したのを、私は占星学を研究しているので理論的によく理解しています。
ので、日々今までやり続けて来た研究を続けつつ、その他の事は大きな運命の流れに任せます。 それしか生きるすべがなくなる時代に入ったと思います。 個人の小手先の知恵では何ともならない時代に突入しました。
そうそう、もう一つ思い出しネタですが、沖縄であった興味深いアクシデントをお伝えしておきたいと思います。
向こうでしばらく借りていた家は、海の家に近い古い隙間だらけの家でしたから、夜寝ていると上から蛙が落ちてきたり、ムカデのような小さい虫が落ちてきたり、家の前は草薮とお墓で、夜は気をつけないと庭先にハブが出てくるトコでした。
ある時、家周辺の掃除を草履でしていて親指を倒れた鉄板で打って、爪が剥がれる事故に遭いました。 自分である程度のケガは治してきた経験から、痛みにはけっこう強い方ですから、とりあえずヒマシ油を塗ったガーゼを巻いて一週間ぐらいで何とか痛みは引きました。
その時、結構血が出たのですが、右足の親指でしたから肝経と脾経が入って来ています。 今考えると、もしかしたら、原発崩壊後1ヶ月ぐらい生活していましたから、排毒の意味があったような気がします。 足や指の先の毛細血管って、かなり細いから血の循環があまり良くないので、毒血が溜まるとなかなか代謝しないのです。
ですから、昔から瀉血と言って、毒血が溜まっていると思われる部分を切って排毒する療法もあったのです。 しかし、こちらは一歩やり方を誤ると必要な血まで流してしまい、血乏で死んでしまうので注意が必要です。 直感と熟練が要されます。
そう、何でそう考えたかと言いますと、原発事故からセキが止まらなくなり、実家に帰ってキチンとした正食医学をやり始めてやっと止まりました。 昔から喉が弱いといいますか、甲状腺が弱いので、その辺が覿面に出たのかも知れません。
今後原発だけでなく、世界経済、天変地異も含めて果たしてどう導かれるのか? どんな霊能者にも予測が付かない時代に入ったことだけは確かです。
ので、この世の執着を捨てて静かに見守り、次の人生に今回の教訓を活かしたいものです。
本日の思い出し呟き第二弾でした。
Good Night!