人生何でもあり!

日々の思い付きを書いてゆきたいと思っていますので、ヒマな方はお付き合い下さい。

本日の呟き第二段(Sep/19/'11)

2011-09-19 19:29:25 | つぶやき

 私は、自分の明確な目標を持って生きてはいますが、人生そのものは大きな運命に翻弄さています。 渡米もそうでしたし、帰国のタイミングもそうでした。 今回の震災での沖縄疎開なんて典型的なものです。 

 私が疎開をしたのは、震災から約一ヶ月後の4月11日でした。 本当は、横浜が一番好きだったし、金も無かったし、引越しするのもメンド臭かったので、今後何十年にも渡り放射能の雨が降り続けるのを知っていても、ドコへも引っ越すつもりはありませんでした。 ただ、情報だけはネットを通じて裏から情報を様々な角度から仕入れていたので、もう関東周辺、特に東京はダメだろうというのだけは分っていました。

 まー今年で人生も40年生きてやりたいことは大体やったし、一回は永住権でアメリカ人になったし、独身だから家族はいないし、で、特に今回の人生で遣り残したコトもなく、未練も執着もありませんでしたから、疎開してまで長生きするつもりなんて毛頭ありませんでした。

 ではソレなのにナゼ引っ越したかと言いますと、私の千葉の知人と既知の神人さん関係の方が、お金がなければ飛行機チケット代まで出すから、関東周辺から離れて沖縄に来なさい、と何度も何度も電話と速達で仰って下さったからです。

 まー私のような自分勝手に生きている自由人ににそこまで言ってくれるんだから、メンド臭いけど引っ越しましょうかねーという感覚で沖縄に引っ越しました。 沖縄に行っても様々な意味で大変でした。 

 ですが、結局、宮崎に帰ってきた理由は単純。 お金が尽きたことでしょうか。

 金の切れ目が縁の切れ目、ではありませんが、今でも沖縄に引っ越した方々とは連絡は取っています。 その方たちも千葉から今まで築いた総てを捨てて沖縄に引っ越されました。 が、それまでと全く異なる気候やら習慣やらで想像以上に大変なようです。 

 ですが、これからの時代はそこがカギとなるような気がします。 この世のモノへの執着を捨てて運を天に任せる。 私も横浜は今まで住んだ街の中で一番好きでしたが、今回その執着を強引に捨てさせられました。 手に握り締めていたモノを叩き落された感覚でした。

 今はお伝えしているように、とりあえず実家のある宮崎にいますが、果たして今後どうなるのか予測は立ちません。 誰にも予測が立てられない時代に突入したのを、私は占星学を研究しているので理論的によく理解しています。

 ので、日々今までやり続けて来た研究を続けつつ、その他の事は大きな運命の流れに任せます。 それしか生きるすべがなくなる時代に入ったと思います。 個人の小手先の知恵では何ともならない時代に突入しました。

 

 そうそう、もう一つ思い出しネタですが、沖縄であった興味深いアクシデントをお伝えしておきたいと思います。 

 向こうでしばらく借りていた家は、海の家に近い古い隙間だらけの家でしたから、夜寝ていると上から蛙が落ちてきたり、ムカデのような小さい虫が落ちてきたり、家の前は草薮とお墓で、夜は気をつけないと庭先にハブが出てくるトコでした。

 ある時、家周辺の掃除を草履でしていて親指を倒れた鉄板で打って、爪が剥がれる事故に遭いました。 自分である程度のケガは治してきた経験から、痛みにはけっこう強い方ですから、とりあえずヒマシ油を塗ったガーゼを巻いて一週間ぐらいで何とか痛みは引きました。

 その時、結構血が出たのですが、右足の親指でしたから肝経と脾経が入って来ています。 今考えると、もしかしたら、原発崩壊後1ヶ月ぐらい生活していましたから、排毒の意味があったような気がします。 足や指の先の毛細血管って、かなり細いから血の循環があまり良くないので、毒血が溜まるとなかなか代謝しないのです。

 ですから、昔から瀉血と言って、毒血が溜まっていると思われる部分を切って排毒する療法もあったのです。 しかし、こちらは一歩やり方を誤ると必要な血まで流してしまい、血乏で死んでしまうので注意が必要です。 直感と熟練が要されます。

 そう、何でそう考えたかと言いますと、原発事故からセキが止まらなくなり、実家に帰ってキチンとした正食医学をやり始めてやっと止まりました。 昔から喉が弱いといいますか、甲状腺が弱いので、その辺が覿面に出たのかも知れません。

 今後原発だけでなく、世界経済、天変地異も含めて果たしてどう導かれるのか? どんな霊能者にも予測が付かない時代に入ったことだけは確かです。

 ので、この世の執着を捨てて静かに見守り、次の人生に今回の教訓を活かしたいものです。

 本日の思い出し呟き第二弾でした。

 Good Night!


本日の呟き(Sep/19/'11)〔副題:偶然の真理〕

2011-09-19 10:40:39 | つぶやき

 目標を立ててそれに向かっていると、自ずと助けとなる人やモノが訪れるという例を、ひとつ自分自身の経験から挙げてみたいと思います。

 ワケもわからず始めた占星学の研究、英語の難しさや自身の英語力の弱さから大きなカン違い、間違いが、今考えたら沢山ありました。 今でもカン違い、間違いがたくさんあると思います。 ですが、とりあえず衝動に任せて突き進みます。

 さてこの問題、カン違いと申しますか、思い込みと申しますか、英語力の弱さも大きく関係していたのですが、私はほんのこの前まで、沖縄から帰って来るまでですが、占星学のホロスコープの星の位置を ”緯度(latitude)” と思っていたのです。  

 あまりにも基本的なミスに、いつも “基本を大切に!” と書きながら、基本を勉強せずにやっていたことを反省させられた一幕でした。 TVや新聞、講演にしろ、こういった一部の人しか読まないブログにしろ、人に言う(発信する)という事は、必ず己の足元に落し穴を一緒に掘っているコトを教えられました。

 マスコミ関係各社さんなんかそうですが、人の悪口書くってことは己の足元にも同様の墓穴を掘っていることを肝に命じて、日々の生活のためのお金を稼いでください。 いつか己のケツを拭く日が必ず来ますのでゆっくりと肚を括って待っていて下さい。

 本題に戻りまして、どうしてそのカン違いに気が付いたかと申しますと、ある日、占星学の研究をしていて疲れてフト携帯の閉じた時の小さな画面の時計を見たのです。 私はスマフォではありませんので、携帯を閉じた時のモニターには小さなアナログ時計に設定しています。

 そして、理由は分らないのですが、その瞬間

『あ! そうだ! 占星学の星間角度であるアスペクトの “Declination(偏角)” って、“下方への傾斜” ってゆー意味がある。 と、ゆーことは、アスペクトの角度って横の緯度(latitude)ではなく、縦の経度(longitude)のことだ! 今まで大勘違いしていた。』

 と、電撃的な直感が降りて来たのです。

 貧弱な英語力を筆頭に、読解力、思い込みなどなど、原因は様々ですが、偶然の直感からその間違いに気付かせてもらいました。 こちらに関しては自分の地道な努力ではなく、単なる偶然でした。

 ただ、確かに偶然ではありますが、日々ひとつの目的に向かって進んでいたが故にもたらされた、間違った方向に進んでいたコトを教えてくれる天からの方向修正だったと思います。

 他にも日々、小さいこういったコトは多々訪れますが、大きな進む方向 “理想(Ideal)” が間違っていなければ、こういった風に偶然と思えるような出来事に導かれるというひとつの確信を実感させてくれる出来事でした。 携帯の小さな画面のアナログ風デジタル時計を見るという、本当に小さな暗示でした。

 現在、イエス・キリストのホロスコープの研究にチャレンジしていますが、こちらに関しても日々目からウロコの事がたくさん発見できます。 まだ、修正しなくてはならないコトがたくさんあるのも感じますが、とりあえずは占星学に関してはこちらを仕上げる方向で進んで行こうと思います。

 また、何か大勘違いがあったら啓示があるでしょう。

 休日の思い付きネタでした。

 失礼します。 


数秘学について(113)

2011-09-19 07:18:00 | 占星学・数秘学

 ここで、“波動” という考え方も含めて数秘学を読み解いていきたいと思います。

 またもやキリスとに関わるコトですから、嫌いな方はコレより先は進まないようにして下さい。 個人ブログなんで好きに、書きたいように書かせてもらいます。

 さて、ケイシー・リーディングは、数秘学の “22” という数についてChrist(救世主)数である、と述べています。 こちらに関しては、イエス・キリストだけを指すのではなく、今まで世に降りて来た多数の救世主(メジャーなところでは、仏陀、クリッシュナ、ムハンマド等)も含みます。 他にも人類史に刻まれていない多数の救世主も存在しています。

 ひふみ神示もその冒頭の帖で 「二二は晴れたり日本晴れ」 と述べているのは、決して偶然ではないでしょう。 真理(神理)はひとつの源泉から湧き出ていることを教えてくれているのだと思います。 これだけ洋の基盤の異なる哲学が、ほとんど同じコトを述べているのは、私にひとつの大きな確信を与えてくれます。

 で、“22” というマスター数を基数圧縮しますと、「22=2+2=4」 となり、“4・Four” という基数の中で最も弱い分裂数が導き出されます。 この数は、占星学と対応した数秘学では海王星(Neptune)に照応し、人体の主要チャクラではライデッヒ集腺に対応します。 

 “救世主(Christ)” を意味する割には弱過ぎるその数霊に、私は首を傾げ、しばらくこの意味を考え続けていました。 一般的な救世主のイメージとしては、多くの人類をその卓越した権能で引っ張って行く、というのが一般的です。 この数では、その意味にあまり当て嵌まらないような気がしてなりませんでした。

 しかしある時、帰国直前にもらったケイシー・リーディングの主要な項目を纏め上げた 『The Edgar Cayce Companion』 に、このライデッヒ集腺の重要性が書かれている項を発見して、改めてこの世を存在せしめているモノに “強・弱”、”吉・凶” なんて無いんだと実感させられました。 ソレ(吉凶、強弱、上下等)はあくまで表面上のコト。

 確かに、このライデッヒ集腺は人間の儚げな ”イメージ” を司り、移り変わる人間の思考では現実化し難い側面がある。 しかし、逆に言えば、この事(法則)を知って、強いイメージ力を持ってゐる者がこの世を支配出来る怖い側面もある。 それが海王星支配の魚座の時代(BC160~AD2000)。

 まー信じる信じない、好き嫌いは拙ブログをご覧の皆様に判断はお任せしますが、ケイシー・リーディングはイエス・キリストという途轍もない偉大な魂を地上に招き入れるために、約400年以上前からエッセネ派という宗教団体によってその準備がなされた、と述べられています。

 ということは、少なくともBC400年ぐらいからそのための計画が少しづつなされて来たということになります。 つまり、霊能力に優れた占星学を研究している者たちは、救世主降誕の計画を天から読んで、知っていた者も多数いた。 それ故、イエスが地上に誕生した時、全世界から沢山のその国で賢者、聖人と呼ばれる人たちが謁見に訪れた。

 こちらに関しては有難い事に、その模様が結構詳しくケイシー・リーディングに述べられてています。 ウソかホントかは私は当然判断は出来ませんが、非常に興味深い事が多数述べられています。 いずれ、時間があったら書こうと思っています。

 さて、本題はココからです。

 占星学の黄道十二宮の流れから、救世主降誕に最も相応しい時期を読み解いていたエッセネ派の人たちは、決して急ぐことなく、着実にその準備を進めていったようです。 早過ぎても、遅すぎてもダメ。 最も相応しい適切な時節がある。

 そして、その準備を始めてから約400年の歳月を経て、BC7年にイエス・キリストが降誕された。 ですから、その当時の人は当然誰も生きてはいませんから、この事は天の経綸、集団(宗団)の強い意志、として進められていったのでしょう。 そうでなくては、たった一人の人間の誕生のためにコレだけの時間と労力は費やせないでしょう。

 そして、救世主を意味する “22” の圧縮数である “4” 海王星の支配する時代である魚座の時代にイエス・キリストという存在が誕生された。 

 この辺のコトを、数秘学で読み解いていくと思わず 「はーぁーーーーー、ナルホドねー」 と感嘆させられます。 その計画(経綸)に寸分の狂いもない。 

 この辺でちょっと長くなったので、一区切りします。

 続く…