グラの気ままに徒然日記

日々の菜園アクティビティ、旅先での思い出コレクッションetc.

クリスマス イン 志摩TAOYA

2019年12月25日 11時45分37秒 | 旅行

二日前の事を和合温泉からの発信デス♨️

Wi-Fi 🆗  ラッキー🤞

 

 

すっかり年末恒例となりました😁   今回は、伊勢志摩⛩   チョト豪華に志摩TAOYA

 

クリスマス一色デス🎄    予め知らされていた雪だるま発見⛄️

3つ見つけたら、お菓子が頂けるとあって孫も真剣🤭

チェックインは3時。まだ1時間もある👻周辺探索👽  波打ち際で遊んだ後、楽しみにしていた卓球です。

あら不思議?  Mちゃん空振りばかり😿      いつの間にか

「当たらへんなあ〜^o^」と言って自分から笑い転げる始末🤪

ムムッ!   伊勢弁がMちゃんに伝染したら大変😅

 

 

ことは滞りなく過ぎて、食後にあと一つ見つからない雪だるま⛄️見っけ    再燃💥

Mちゃんついにフロントのお姉さんから聞き出したみたい👩

星空✨展望⭐️ 台にて発見🤩   安心して足湯中♨️

 

その流れだったか階下の温泉へ♨️

 

 

クリスマスコンサート🎄

 

 

最前列なので、Mチャン愚図らないか心配したけど、楽しんでいました🥰

 

途中でハンドベル演奏となり、歌のお姉さんがいきなりMちゃんに手を差し伸べたら

驚いた事にMちゃん、スクッと立ち上がり正面へ🙀   妻と娘が顔を見合わせていました💑


大わらわ

2019年12月22日 19時35分26秒 | グルメ

12/20 N農園で予定通り“獅子鍋” 

12/21 早朝、豊田市へ。娘と孫を載せて津市へとんぼ返り。

     5:15津市発~6:50豊田市8:20~鈴鹿市・椿神社へ~津市自宅着~サイエンスシティー公園~ピュア菜~サイエンスシティー~自宅着

 

 N農園(我が第2農園)での獅子鍋パーティー

 イノシシの肉が手に入り、この日予定通りにカラオケパーテーィーです。

 私の分担は、私の菜園から鍋用の白菜とサラダ用のレタスとサラダ菜を収穫をすることです。

 

暖房用の薪の運搬も私の分担

 

ジビエ料理はあまり得意ではないのですが、何とか食べられました


猪肉わかりますか? 

7~8人でいただくのであまり肉ばかり食べられません。

3曲ばかり歌ってこの日は早く引き上げました。

翌日のこともありお酒を我慢したからです

 

翌日真っ暗の津市自宅発。豊田市で娘たちを乗せて、鈴鹿ベルシティー(イオン)へ向かったが、すごい渋滞のため急遽椿神社参拝に切り替えました。

どうせお正月には来れないのでここで済ませておこうという魂胆です。

 

数年前、仲間由紀恵さんがここで挙式され話題となりました。

 

ランチは、ピュア菜で済ませました。店員も客も皆んな学生に見えてきました。娘もそうでした。

ピュア菜は三重大学の前です。

このようなプレートを2枚と、カレーとうどんとデザートを平らげました

 

この後、孫がまたサイエンスシティーへ行くと言ってきかないのでみんなで広い公園へ。

良い食後の運動となりました。

夕餉は我が家でじっくりと。白鶴にする伊賀の地酒にするか迷っていたら、娘が獺祭(娘からのプレゼント)に気づき

「洋酒と違って生モノだから風味が落ちちゃうよ」とたしなめられ、もったいないけど封を切ることにしました。

 

 

 

 

本日は、ランチは回転すしで、早めの夕食を取り2カ所のクリスマスイベントを楽しみにしたのですが生憎夕方から降り出してしまいました。残念でした。

 


正三尺玉

2019年12月20日 15時49分09秒 | グルメ

 清酒吉乃川吟醸酒正三尺玉

長岡まつりの一大名物で、上空で直径650mもの大輪を咲かせるのがこの正三尺玉だ

 

そんな貴重なお酒を、何も知らずに飲み始めていた。

ふとケースの底を見ると

正面からのぞくと正三尺玉が見えます

 

 これはケースから出してすぐ撮影

 

コップの残量は赤ワイン。 切れたところで吉乃川の出番となったのです。

 

シーチキンとマグロ以外はすべて我が菜園からの収穫物です。

白菜、ホウレンソウ、ぶろっコリン、リーフレタス、サラダ菜、カブ、山芋。

 

 

 

残念ながら、ハーフ正三尺となりました

 

 4日間、孫が来ます

 


晩秋の思い出②~河内渓谷

2019年12月19日 10時07分35秒 | ドライブ旅

 

 

関富士石山観音~そして、ラストは河内渓谷

 

11月29日のこと。

ひと頃の混雑ぶりが嘘のように静かな長徳寺周辺の散策です。

 

 

 

妻も下からスマホ

 

 紅蓮の炎

 

長徳寺は津市芸濃町雲林院と言って河内渓谷入り口に所在します。

境内の龍王桜は一見の価値ありです

本来の桜とは時期が若干遅れ、ピンク色の桜と新緑の若葉が同時に楽しめます。

長徳寺から、徒歩で渓谷入り口の門前ガ淵へ下ります。

少し前まで大渋滞を招いたスポットで、夜間のライトアップもの大人気でした

アーチが綺麗な忍田橋

 

↑の川は津市内を貫流する安濃川で左右に、津市の名峰・経ヶ峰&錫杖ヶ岳を源流とします。

以前、沿岸には十箇村あったが現在大半は廃村か、限界集落となっています。

私は山歩きをしているうちにこの地域に興味を持ち、妻と一緒によく訪ね歩いたものです。

この門前ガ淵より先の集落名をあげてみると、まず安濃ダムの下が①梅ケ畑と言って五色椿の浄徳寺は唯一残った有人のお寺です。

そこから少し左に入って②宝並、源了寺は若和尚が時折スポーツタイプのセダンで通っている。

そこからダムを越えると錫杖湖となるが、その湖底に③杖立という集落もあった。

昔の河内小学校の跡地の湖水荘を左に公園を抜けるとまもなく④下之垣内だ。中心は本法寺で錫杖ヶ岳の登山口でもある。

更に進むと川は二つに分かれる。そこは⑤落合で中心となる高台に成覚寺がある。地元では維盛さんと呼ばれてもいる。

平家の落人伝説が残る「平維盛の墓」が今も本堂裏にある。住民は平家の子孫とされ落合さんばかりだ。

住職さんは先年、奥さまを亡くしお一人になられたのを機に、麓に引っ越され時折通われている。落合の右隣が⑥北畑でそれより先には集落はない。左に進路をとる。

しばらく左岸の道を走ると右側に地蔵が祭られた祠があり、今夏その前の川で孫と川遊びをしたものだ。

それはさておき、さらに進むと右手に小山内神社の急な石の階段がある。更に走り民家が見えてくれば⑦南之垣内だ。川は大きく屈曲しその根元に澄源寺がある。

右へ走ると、対岸に10軒ばかり民家が見えるが、一目で廃村と分かる。⑧六呂屋だ。さらに進むと⑨覚ヶ野で、Nさんという方が20年ほど前から住み始めている。

以上9箇村と資料にはあるが、さらに道は山を登り切ると⑩という集落に達する。伊勢国と伊賀国との国境の地だ。

この集落が数に含まれないわけは、江戸の時代には存在せず昭和のバブル期に別荘ブームを当て込み造成されたと思われる。

 

<人口の推移>

江戸時代には1,039人 → 明治時代 870人 → 大正時代 722人 → 我が生誕年 730人 → 令和元年 50人

 

 この人口推移は、全く驚くべきことではない。地方では今や当たり前の現象だ。現に私の故郷大紀町など現象比率は河内集落を凌ぐのではないだろうか!?

 我が母校・柏崎小学校は全児童約600人ほどだったと思われる。現在、大内山と錦と柏崎の3校が合併しようやく50人るのだろうか

 そこで私が世の、政治家先生たちに言いたいのは、一極集中vs地方創生論なんてきれい事ばかり言ってるとホントに日本滅びるぞッと。

 

                 ~    体調(風邪)も天候もパッとしません。こんな時こそと思い(?)ノートレしてみました  ~  

 

                                                                  

 

 

 

 

 


晩秋の思い出~関富士から石山観音へ

2019年12月18日 16時26分21秒 | 菜園

11月29日、この日は滋賀県の永源寺への紅葉狩りを断念して、自宅からも近い関宿裏の関富士からいつもの錫杖ヶ岳へとドライブ旅。

前回、関富士周辺レポで終わっていたので、その続報になります。

 

石山観音を見学したのち正面の山並み(主峰は錫杖ヶ岳)の向こう側へ移動します。

かつて京や近江から伊勢方面へ向かう人々で賑わった伊勢別街道から少し入ったところです。

石山観音 津市芸濃町楠原字石山 

正面右手がメインですが、この日は人目に付きにくい橋下の地蔵を見学しました。

 

地蔵菩薩

駐車場の裏手の土手を少し下ります。最近ではよく整備され案内看板もしっかり立てられているのでまず見逃すことはないと思われます。

以前は、階段もなく草が茂り隅っこに「マムシ注意!」の立て札があるだけでした。ですから発見した時はそれはもう衝撃的でした

川底に立つとまず閉塞感に襲われます。何しろ川幅は2メートル弱で薄暗く、左右の岸壁が天を塞いでいるみたいなんです。

地蔵菩薩は2体で、等身大なので見つけた時は誰もがギョッとします

 

 

腰を下ろして仰ぎ見る角度で・・・

 

 

深く穿たれていてふくよかですね

 

地蔵種字3梵字

地蔵菩薩と対面するように右岸には文字が刻まれています。足元近くなので案内のないときは見過ごしていました。

 

この後、河内渓谷(こうちけいこく)に向かいましたがまた明日。