グラの気ままに徒然日記

日々の菜園アクティビティ、旅先での思い出コレクッションetc.

犬戻りから南亦山へ

2020年05月30日 20時19分21秒 | 登山

アレ もう東の空が明けてきた(㏂3:58)

あっという間にぼんやりと白い輪郭が(4:20)

もうこんなにも夜明けが速まっていたのだ。

約50日ぶりの山

 

南亦山 標高982m

三重県度会郡大紀町大内山村米ヶ谷

2020年5月29日//ウィズ 弟

 

我が故郷 大紀町(旧紀勢町)伊勢柏崎を代表する山、行者山、右後方は笠木高

南亦山は後方に隠れ見えない。待ち合わせタイムにジャスト到着。5:00

弟は既に実家の前で待っていた。2台で出発。

R42号を右折。

大内山村・頭の宮四方大社から林道千石越線に入る。

 

 

約10キロ、標高760m地点までノロノロ運転。

目的地手前の展望駐車場で、一旦停車する。トイレ有り。

少し展望を楽しみ、マップなど情報ゲット。

 

 

正面やや左が門の倉 右手の山は総門山 

 

 

南亦山から北東に延びた尾根。

4~5キロ↓の門の倉登山口にあったマップだ。

次回の候補

 

 

展望台にあった地図

ちょっと古くなっていますが、すごく登攀欲をそそる優れモノです 

●Start~●Goal は今回の実ルートではないない。

正しくは滝ヤ谷コースから魚の道コースの小峠下に合流し樫の木峠(846m)に向かいました。

 

 

展望台からさらに奥へ

千石越(標高760m)の少し手前に弟の車をデポ

私の車で秘境犬戻りを目指す

 

 

再びR42号を、JR梅ケ谷駅手前を右折し米ヶ谷に入域。

集落を越えて宮川源流域に分け入っていく。

米ヶ谷には昔、叔母一家が住んでいて時々訪問していたが現在は廃家。

これより先、多分定住者はいない。(6:51)

 

 

この標識の手前の空き地に車を止める。 

先人手製の段ボール作りには笑ったが

これ以外一切の案内はなかったので有難かった。

すぐ右手の犬戻り渓を歩き始めた。 (7:10) 

 

 

 

予期せぬ絶景に心躍る  

 

 

弟はどんどん先へ! 私はパチパチ

 

 

犬戻橋から振り返って

 

 

弟は登山口を発見したらしい。

少し無理すれば、プリウスでもここまでこれたかも。

 

 

これまた優れた登山マップ!

次は犬戻り高  登攀欲×❷  決まりッ

 

 

登山開始! (7:30)

 

 

崖に近い急斜面の九十九折れの登山道をグイグイと登る。

全く信頼おけぬ木橋!

右斜面をロープの助けを借りてクリアー

 

 

しばらくすると登山道が消える

ヤマップのGPSの助けを借りて位置確認。

最小限10分のロスで済ます。

以前なら最低1時間はかかっていただろう。

必死に探し回りやっと脱出口を発見した時の安堵感と喜び!

しかし、今では利便性が勝り、苦労とともに浪漫もなくしていった。

一旦楽を知るとそう簡単に元には戻れないし・・・

 

 

尾根に出て少し登ると初めてのピークというかコブに到達した。小峠との木札! (9:02)

 

 

小さいアップダウンのあと鍛冶屋谷コースとの合流地点で朝食休憩 (9:16)

 

 

休憩地点から約15分で再び分岐、左の南亦山新コースを取る。

ここから約1時間、南亦山北西側山腹の単調な水平道を歩くことに。

 

 

 

 

弟も、こんな道ならどれだけでも歩けるわ、と軽口をたたいた矢先に、

 

兄貴ッ

 

 

遺体に損傷がないところから昨夜か今朝死んだのだろう。左手を骨折でもしたのだろうか?

家族に取り残され飢えて絶えたのだろうが、自然の厳しい摂理とは言えむごいことだ。

 

そのまま自然界に返してやろうということになった。合掌

 

 

倒木を何本か越へ初めて谷筋に差し掛かる。

ヤマップにはこの谷筋が点線となっている。

しかし、登山道なんてないし、荒れてるし、何と言っても勾配きつ過ぎ!!

スルーして、遠回りだが鳥尾越尾根に向かう。

 

 

頭上に鉄塔の脚部分が見えたので急斜面を攀じ登った。

 

 

鳥尾越 92番鉄塔着 (10:22)

正面が行者山だろうか!?

 

 

行者山の裏が実家でがその向こうが前回登った大河内山有地山? 

南伊勢の海も

 

 

南亦山はすぐソコだ

 

 

反対側の西方向に眼を惹く山群!

『仙千代か古ヶ丸か迷うなあ』なんて、

左から仙千代岳古ヶ丸岳迷岳と蓮ダムの近辺の名峰だ。

私の大好きな山域です。

 

 

バイケイソウの群落が始まる!

 

 

足の踏み場もない! 

ゴメンよ、アッ、ゴメンよ・・・

 

 

93番鉄塔

 

鉄塔裏から北西方向には高見山から続く飯南郡の稜線が続く。

正面の尖りのいずれかが局ヶ岳だろう。(10:40)

 

左が下山ルートだが、まず南亦山頂へ向かう。

 

馬酔木の下を進む。

 

南亦山展望台 一等三角点 標高982m

御覧の通り空以外深い林の中だ! まず櫓に登ろう! (11:06)

 

 

サンザドーテーが難しい! 

 

南伊勢町の海も

 

暑すぎて陰で昼飯を食おうということで階段を降りようとするのだがこれが、気が邪魔をして・・・

 

 

尾根を少し下り、東屋を発見しそこでおにぎりとパンで簡単な昼食。

しかし食事中に、急にブトに襲われに退散!!

 

 

よく見かけた木の花 1

 

 

下山ルートに戻り千石越林道を目指す。 (11:50)

 

 

案内図には、千石越遊歩道とあったが、とても遊歩道気分に離れない。

階段高過ぎ! しかも長過ぎしかも!!

 気を付けないと膝が笑うってことになりかねない。

 

 

鉄塔の方向から左が総門山と思える。

 

 

ハンカチの木みたい 2

 

 

木の花 3

 

 

千石越林道着 

 

 

無事下山 (12:16)

 

 

弟の車で犬戻り登山口に向かった。

 

久しぶりの充実山行となった。収穫は、次回の山行に結び付く貴重な情報をゲットしたことだ。

迷うなあ、門の倉周回か犬戻り高周回か・・・?

 

 

本日の山行

 

総所要タイム:5:11 / 距離:8,2キロ /   882m 467m

 

 

 

 


ズッキーニ― & 10年前のスケッチ・榊原温泉

2020年05月25日 15時48分45秒 | 菜園

本日は、天気の良いのは早朝だけで次第に風が出て曇り始めた。

農作業にはこんな天気が体感的に好ましい。分葱の収穫した跡地に石灰をふんだんに入れてホウレンソウの種をまいた。

そのあと、収穫を終えたソラマメをを刈り取っていたら昼時を知らせる有線放送が鳴り始め、帰宅した。

午後再び出かけて、ゴボウと人参の種を撒こうとしたが大粒の雨が落ちてきて諦め帰宅してシャワーを浴びてブログを始めた。

 

ズッキーニ―

半径1,5mの円柱状になり、4本植えたのでかなり場所を取るし

毎朝,ウリバエ(赤いテントウムシに似てる))の捕獲と、受粉作業がセットでついてくる。

その割に、旨くないと思う

 

 

10年前のこんな陽気の中、三重県津市の榊原温泉に出かけていた。 

 

 

 ~ 妻との周辺ハイキングを終えてホテル・清少納言の前で一休み ~

 

 

 

 

少しずつ平常時に戻りつつある。

白雲荘という旅館には昭和天皇も宿泊されたことがあるという全国屈指の湯場である。

往時は関西や名古屋からの湯客が多かった。このコロナ禍で大変苦しい思いをされたことだと思われる。

この旅館の女将とは少し知己があり久しぶりにお会いしたがあちらはいつまでも若く美貌ますます盛んであった。

 

 

 

 


スイカの発育状況&鈴鹿山脈10年前のスケッチ

2020年05月25日 15時48分45秒 | 菜園

As of May 25

スイカの発育状況 

 今日はホント蒸し暑かった!

午前中は、第2農園のゴボウ収穫で大汗をかき、昼飯の後、前の畑に出てみるとスイカのツルがはみ出ていた!

驚異的な成長ぶりだ。一株から3~4本のツルがトンネル内で窮屈そうにしていた。 

 

慌ててビニールをめくるとワサッと外に飛び出す。

敷き藁が必要な状態だ!まだ当分大丈夫だろうと思っていたので準備ができていない。

急ぎ、鎌とビニールひもを車に積んでカヤを求めて団地周辺を見て回る。しかし

今年はどういう訳かキレイに刈られていて全く利用できそうなカヤが見つからない。

安濃川堤防、経ヶ峰山麓まで足を延ばすが、あってもまばらで大きな株に青々と茂ったカヤがない!

諦めかけた時、グリーンロード〇〇肥料センターの裏で発見!!

歯のかけた鎌で、力任せに刈っていたらひたいから大粒の汗が・・・

それでも刈り取った一抱えをトランクに積み込み戻りました。

日がもう少し傾いたら、作業をはじめます。

 

しかし、玉ねぎが邪魔だねえ。

収穫までにはまだ2週間ぐらいかかりそうだし、

スイカはそれまで待ってくれないし・・・

 

 

2010年1月

このころ妻のウォーキングによく付き合っていましたがよく、この時は別行動だったのでしょう。

1週間の間隔を置き同じようなところから描いています。

鈴鹿の国府の高台、ホンダのモータープールの近くからのペン画です。

よくもまあこんな広い風景を描く気になったものですねえ…しかも実に根気よく・・・

 

 

それでは今から敷き藁作戦に入ります。

~とりあえずアップしとこ~

 

 

完了しました! 早速あげておきます。

周囲を耕してその上に、エンドウ豆の枯れたツルを撒いて、その上に昼過ぎに刈ったカヤを敷きました。

 

 

 


10年前のスケッチ アレコレ

2020年05月24日 17時36分30秒 | 日記

自宅と菜園以外足が外を向かなくなっている。

2カ所の菜園巡りを終え、夕方からパソコンでピクチャーツール内をサーフィン

2010年の初秋に差し掛かったところで足止め検問です。

2010/08/19 16:42

白米城址

兵糧攻めにあい、水と食料が尽きそうになった時城主が頭をひねる。

コメで兵に馬を洗うよう命じた。それを麓から見た敵の大将はが痺れを切らし兵を引き上げたという有名な昔話?がある。

盛夏、麓のお寺の駐車場に車を止め、そこから約30分ぐらいで妻と山頂に立った。

碑の影で休憩する妻をスケッチしている。 多分妻は読書していたはずだ。

 

2010/08/26

津テンマウンテン 髭山

津市が平成の大合併の後、観光課が市内のある山岳愛好家に依頼し10山を選出したと言われています。

御在所の藤内小屋の兄さんからパンフレットをいただき、早速年内に未踏の山を亡くしていきました。

確かこの山は、薄暗い峠に車を止め、登山道も明瞭でなく最後まで展望の利かない地味な山だったと記憶しております。

石造ではなく鋳物?の気品の感じられる立派なものでした。

 

 

熊野本宮大社

日にちは不明ですが、晩夏のころだから風伝颪ではなく熊野古道小辺路か中辺路ウォークのいずれかの途中で描いたと思われます。

 

2010/09/11   12:37

熊野古道小辺路 果無山脈

本宮大社の先の道の駅本宮に駐車して、路線バスに乗り換えて登山口の停留所で下車し、

崖につけられた階段を登りそのまま杉林の急登を一気に登るとパッと視界が開ける。

天空の里、果無集落だ!

「ポツンと一軒家」で取り上げられたら驚異の視聴率をあげられると思うが、

左右切り立った狭い土地にポツン、ポツンと10軒ばかり家屋が建つ。

その集落を通り抜け更に尾根道を登り小辺路の主稜線に到達するがまさに登山の類に相当する。

稜線上で休憩していたら外国人青年がやってきてびっくりした。

古道を歩く外国人は珍しくないが、果無山脈まで来るのはまれだ。何を話したかは記憶にない。

そのうち5~6人パーティ(学生)が来たが、最後の一人はバテバテで、少し心配したことを記憶している。

無理に追いかけることはしないほうが良いよ、とアドバイスしておいた。

 

 

2010/09/17 

山梨学院大学キャンパス

出張で行ったとき余暇に描いたスケッチです。

 

 

2010/09/21

台高山脈 迷岳

飯南郡飯高町の秘境ホテル・スメイルに駐車。

妻と登ったのだが、登山口探しに1時間ばかりかかり、

登り始めて半時間ぐらいして急斜面の上、垂直の150㎝ぐらいの大岩が行く手を遮り

何とかクリアーし↓の妻に手を差し伸べたら、キッと睨みつけられ手を引っ込めた記憶がある。

凄まじいばかりの妻の気迫を見た! はっきり覚えている。

 

日付も地名も無記名だが、眼下は諏訪湖、雲間に除くは霊峰富士とくれば、

高ポッチ山

妻と娘たちで日帰り観光した地だ。

 

えんぴつ描きだと年月とともに薄れていくことに気づき撮影して保存するようになった。

 

 

 

 

 


富士山~今夜のブラタモリ

2020年05月23日 20時34分52秒 | 登山

ブラタモリを観て

富士山に挑戦!今夜再放送を見て共感!感動!

タモリと桑子アナが静岡大学の教授をガイドに富士山の地質と歴史を探る番組でした。

 

~正面のくぼみが宝永火口だったのですね。知りませんでした。~

 

見終わった後、早速記録(メモリーカード)を探したのですが見つかりません!

10年前、還暦祝いに夫婦で富士登山をしました。

 

陽が落ちてから三重県を出発し、富士の宮5合目から一気に山頂に登り御来光を拝み、

御鉢巡り(山頂の火口を周回)をする予定でした。

実は7回目の富士登山でしたが御鉢巡りは初めてだったのです。

 

ところが、9月に入って富士山は閉山のハズなのに5合目は車でビッシリ!

おまけに強風で車ごと吹っ飛ばされそうで、とても外に出られず車中待機となりました。

ナイトハイクでご来光の予定が台無しです!

妻に一度富士山頂からの感動をプレゼントしたかったのです。

 

じっと我慢の数時間後、外が白白とし始めるとまだ風の強い中、人声が聞こえてきます。

待ちきれなくなったハイカー達が、登山準備に入ったのです。

私たちもそれに倣って出発準備、そして登山開始です。

ラッキーなことに、その後風が収まり雲も吹き飛ばされて青空が大空に満ちていきました!

 

 

9合目!

私の心臓がパクパク! 足の運びが極端にスローに!?

・・・どうしたの? ペース狂うから先に行ってるね、と妻はあっという間に見えなくなってしまいました・・・

典型的な高山病でした!

富士山での高山病は2度目で、

初回は18歳の時、東京から夜行電車と5合目までのバスに揺られての強行軍が原因だったと思います。

やはり睡眠不足の弾丸登山となると高度が2千メートル級でも頭痛や吐き気に襲われることがあります。

18の時は、やはり9合目辺りから急に体が重くなり、立っていられなくなってその場にしゃがみこんでしまいました。

そしていつの間にか眠ってしまっているのです(ひょっとすると意識を失っていたのかもしれません)。

しばらくして(どれだけ経ったか不明)、下から登ってくる人の足音で目覚めるのです。

再び、一歩、二歩と登るうちにヘナヘナと崩れ落ちてしまうのです。

その時は、先に山頂に達した友人が空身で私を迎えに来てくれました。

しかし、前回は妻が私を助けに来てくれるはずがありません。

それでも私は死ぬ思いで山頂の浅間大社奥宮に達しました。

そこで先着の妻に合流出来ました。そのすぐ裏の火口を二人で見てから,

火口の大日様を取り巻くの8人の仏様(ピーク)巡りなど、疲労困憊の身には論外ということで、

即、下山しようとする私を妻はあきれ顔で見ていました。

しかし高山病の良薬は濃い空気と熟知している私は一時も早く、低いところへ移動したかったのです(笑)

今夜の番組で5合目より上は今年はすべて閉鎖ということです。

残念ですが、世界遺産に認定されインバウンドも多数登るし、ある意味山頂は渋谷ハチ公前並みですから当然ですね。

だけど、今夜の番組を見て宝永火口に行けるルートがあるのを知りがぜん行ってみたくなっています。

それにその火口から山頂への直登ルートもくっきりと見えていました!

 

今日の画像は、判然としません。観光旅行なのか、どっかの山の帰りか( ^ω^)・・・?

マイブログの表紙絵、マウント・クック、と富士山はほぼ同じひょうこうだったと思いますよ。

 

今夜は少し飲み過ぎました(m´・ω・`)m ゴメン…