グラの気ままに徒然日記

日々の菜園アクティビティ、旅先での思い出コレクッションetc.

志摩半島の南半周の河津桜を求めてのドライブ旅 ~ 後篇

2020年02月29日 17時10分39秒 | 菜園
内陸部から海岸線に移り、古和浦から奈良浦への途次の差し掛かる公園

それが、川村瑞賢公園だ。
峠道の高台に位置し、
眼下の集落へ落ちる急峻な斜面に河津桜が咲き誇るの図は
一度見たものを虜にする。


こんな辺鄙で落人の里とでも思えるも地に大層な偉人が傑出したもんだ😮 


残念ながら、河津桜の盛りは過ぎていた。
この後、資料館の館員?さんが仰るには、
例年だと3月初旬~中旬なんだが・・・






公園から津波の際の避難路を集落へと下った。


川村家の先祖が眠るお墓の前を通り降り切ると大仙寺の裏に出た。


大仙寺境内を過ぎて長い階段道を下り切ると右手に資料館があった。
欅づくりの模型船4~5艘が👀を惹く。
弁財船や遣唐使船・・・


その他、懐かしい品々・・・😮 


あったなあ~、五つ玉😃 


庭先で大人の人たちがせっせと脱穀していく周囲を、
叱り飛ばされながら悪童同士走り回ったもんだ😊 
 

ウォーキングを終えた妻が先に車に着いたとの連絡を受け撤収😆 

避難路をワッセワッセ💦


瑞賢殿‼

拙者、そろそろお暇をいたす、ごめん。



もう一度振り返る。
あのカーブしたところが先ほどいた公園だ。


集落内の最後の交差点を右折し奈良浦港へ。
南伊勢町はリアス式海岸なので良好に恵まれている。


巨大な漁船は船団を組んで遠洋まで出かけるのかナ!?


途中の分岐点で伊勢志摩コースと別れ内陸部を玉置を目指して走る。



初めてのコースだった。
ひと山越えて、山上の道をひた走った🚙
野見坂トンネルとかも2,3通った。

道方という在所を通りかかったとき
路傍に3本、見頃を迎えた河津桜を見つけ通り越したのでUターンして停車した。





玉置からR23バイパスに向かう途中、斎宮の前を、
・・・素通りできないですよね😅 
妻はほぼ出身地みたいなところなので車で待つという。
200mばかり小走りで撮影地まで。

斎宮は広いよ、東京ドーム10個ぐらいかな?


小学生たちが斎宮駅から三々五々に目の前を通る。
皆一様に学用物が多い。 
来週から長い休みに入る・・・
この日2/28(金)、全国の小中学高校が臨時休校のお触れが出たのであった。


この路は生活道なんですね。


伊勢市駅に向かう近鉄電車通の通過だ❕      1




朝9時40分?スタート・・・・午後4時40?ゴール
所要時間約7時間、走行距離190キロ



河津桜~川村瑞賢公園への途次、ちょっと寄り道(前篇)

2020年02月28日 20時55分47秒 | 菜園
番狂わせ
目的地の南伊勢の河津桜は既に新緑の新芽が!
ネット情報の『3月中頃見頃』を信じたのだが・・・😕 

<本日の行程> 志摩半島半周回ドライブ旅
津市自宅(9:40)➡(10:18)松阪(10:30)➡(12:00)故郷・大紀町(12:50)➡(13:00)錦峠
➡新桑竈・棚橋➡古和浦ニラハマ展望台➡川村瑞賢公園➡(16:45)津市自宅

<走行距離> 190キロ



松阪市 笠松河津さくら
広い伊勢平野の地平にピンクの帯が! "あなた、あそこよ❣”
妻の友人情報でついでに立ち寄った初めての地だった😄 

ちょうど見頃を迎えていて、すぐ右隣でTVクルーも撮影中でした。
そのアングルが空きになるまで近くでパチリパチリ %(*#・・・


背景色がすべて❕デスネ。





さあ、場所が開きました! 
成程ベストアングルです。


先へ車を走らせたら、再びピンクの帯が!
車を土手道に停車してパチリ!
さあ、次のターゲットは❕❔


R23からR42に移り一気に三重中部から南紀へ。
我が故郷・伊勢柏崎デス!
実家にに立ち寄った際、たまたま隣のN先輩と顔を合わせ久々の談笑( ´艸`)
小一時間の後、旅続行。
川村瑞賢公園を目指して🚙


錦峠を越え、初めての分岐を左折して南伊勢方面へ。
右折すればを経て北牟婁郡へ。
下の入江は新桑竈(さらくわがま)


正面の集落が新桑竈でその上の秀峰が姫越山(標高503m) 
左肩が、座佐ノ高(標高429m)
新桑竈をスタートし、右の姫越山に登り、
山の向こうの浜、芦浜に降りて再び尾根に乗り
座佐ノ高の途中まで登り(登山道不明で断念)、
画像の尾根を左に下り、座佐ノ浜
尾根を越えてタマゴ浜(画像の左下に隠れてる)、
再び尾根を越えてゴールという過酷な山行はもういまでは無理だろう。
この後、座佐ノ高へは2度登っている。
山頂から見下ろす目の前の入江(古和浦湾)は絶景であった。




上に書いた厳しかった山行ルートだ!


古和浦漁港の上の道をぐるぐる山頂を目指し、ニラハマ展望台にやってきたが、
御覧の様に、樹木に邪魔をされて展望は殆ど利かなかった。
「NTT DoCoMo 東海 古和浦無線局」の脇をすり抜けて、頂を目指すが・・・


やはり、展望は無し!


再び古和浦へ戻る途中、立木が切れて好展望が開けた!



ズーム画像



このあと、メインターゲットの川村瑞賢公園の河津桜を目指して

明日後篇予定


南紀旅番外編 ~竹筒&木津呂

2020年02月25日 15時57分16秒 | 菜園
山から木津呂風景をたっぷり楽しんだ後、
いよいよ集落いよいよに向かう (12:50)
🚙


(登山口掲示板から再掲)
         ↓木津呂
                ↑竹筒


再び、瀞大橋を渡り左折する。
初めての道は心弾む。

左山腹に切り開かれた険路を慎重に走りビューポイントで停車。右奥は一族山。

道の反対側道のからの風景も興味深い。


な、何だ! よく見ると山頂付近に道らしきラインが・・・!?

玉置山・・・❣

( ^ω^)・・・先月妻と山頂からの雲海目当てで行ったばかりだ!🚙

今、立っている足元、つまり前方の山の手前に北山川が流れている!
ココは木津呂の首の部分のようだ。


もう少し走ると、二つ目の絶景ポイント!

とんでもなく蛇行する川沿いの道を走ってる方向感覚がおかしくなる❣
右から木津呂の頂頭部というよりは舌端が伸び、
それを取り巻くように先ほどまで登っていた尾根が横たわる。

ナント!背後の山は一族山ダ❕
錯覚で、頭がくらくら(。´・ω・)?

さあもう一走りで秘境木津呂へ入域だ!



入口近くの桜の大木の下で停車。
折よく60代男性に出合う。
一杯尋ねるべきことがあったのに、私の口を突いて出たのは
「ウォータージェット船、今日は走っていないですね!?」だった。
道の真ん中に停車しているので、なんとなく落ち着かづ早々にお別れした。

この後、人の姿なし。どこに止めても車来ないのに( ^ω^)・・・

今も住人は9人ですか? とか、あの大洪水の時の様子とか、何よりも
向かいの山の土地の方々の呼び名とか、なぜ、道案内がないのかとか・・・


この状況で停車していた!
やっぱり後ろ気になるよね、

先へ


オッ、直線道路!  芝生がいいなあ

突き当りまで行って、右に回り込む・・・


どのあたりまで歩いたのかなあ?


行き止まり!!
そこから先の光景に見覚えが・・・ 玉置の集落だ!
以前、広い段丘上にはウォータージェット船の発着所の建物があったところだ。
その後の大洪水で、跡形もなく流されてしまった!
なんせ上の民家まで水が付いたと言うのだから・・・
被災後、私はこの地域の惨状をつぶさに見て回ったことがある。
この後向かう竹筒付近では
北山川の河原から30mぐらい上の道に立つ電線に流木が引っかかっていたり、
その先の小学校は窓ガラスがいちまいも残っていなかったり、
民家も軒並み雨戸を外し、家財道具はどこかに流れガランドウ、になっていた。
特に印象的だったのは、北山川と熊野川の合流地帯だ。
川幅❷百m位を物ともせぬ圧倒的な水量がぶつかりあい溢れる平野を持たない山間部では、信じがたい高所まで水位が達するのだった。
更にいたるところで土石流が発生し、
時には民家を押し流し、川をせき止め流木と土砂ダムを形成膨張し
一気に崩壊して田辺の中辺路で見られたように
*#王子*#に甚大な被害を与えたり、
まだまだ、熊野川流域では、水面から何十mも高い国道より数段上の電線にも
あるいは墓石倒壊、集落全滅、
当時、何度も放映され有名になった浅利(子の泊山登山口)など、前後の道が土石流で流され1週間以上孤立状態という悲惨な目にあったのだ。
最も衝撃的だったのは、深夜のニュースで那智の町長が直接インタビューを受けていた時だ。緊急事態で役所に詰めていたのだが・・・
奥様に自宅の様子を窺っていた最中・・・に突然!電話が不通に!!!
この日結納だった娘さんと奥様を同時になくされたのであった。
いてもたってもいられなくなり、私はまた出かけた。
R42から那智川を上流へ向かう・・・
いや、もうその辺りは以前とは全く様相が変わってしまっていた。
夥しい数のダンプカーが行き来していた。
新築されたばかりの幼稚園の赤や黄色の原色の壁や屋根が泥まみれの瓦礫となっていた悲惨さは今も脳裏に焼き付いている。
(また脱線してしまった)

後方は玉置山
昔、吉野からこの山まで修業僧(行者)が)1週間で駆け抜けていたという。
熊野古道の最難関の奥駆け道である。


木津呂の最奥を後にして引き返す。
途中、北山川の蛇行屈曲による奇景がここにも・・・


さあもう少しで、瀞大橋だ!
一族山に見守られて、好天下の🚙

前方の島の右側の河原が午前中の駐車場だ!
一台車が見える!


白い点線が走行軌跡だ!
独特だなあ、木津呂は。
現在地は赤い↙。
実は先ほどまで左下画面に、
木津呂の奇形と相対峙するように竹筒の奇形も映っていたのだが、
工事中と道が狭い為停車できなかった!(残念)




さあここが竹筒だ!
南紀での私の一押し絶景ポイント

妻と熊野古道や、風伝颪に取りつかれていたころ、よくこの高台で朝飯を食べた。
この屈曲、蛇行に勝る地は無しとこの日まで信じて疑わなかったのに( ^ω^)・・・


上流側
下流側

うっかり、最近完成した竹筒トンネルのほうへ入ってしまった。
Uターン


R311沿線の河津桜


七里御浜(R42)に戻る。 (15:25)


弟を実家に送り、津市に帰る。

走行距離:366キロ



秘境・木津呂~3県境上のミラクル~後篇

2020年02月24日 14時09分42秒 | 菜園
田平子峠から約10分、
トンネルを抜けると眼前にいきなり瀞大橋
そのまま渡橋、すぐ右折(初めて走る道)👉 


橋の手前を左折すると湯ノ口温泉だが本筋から逸脱のため詳細は巻末



渡橋後の分岐は、左折して本宮大社方面へ旅するのが通常の路線だが・・・
さあ、未知の世界への扉が開かれた❣

先ずこの賑やかなノ~ティス~が目に付く👀
『自称・日本一小さな観光協会』って?


ワオー、、、、( ゚Д゚) ❣
 
行き止まりだよ、
というか島内?の車道、
〝ホワット シンボリック( ^ω^)・・・!”


ナビの終点手前の急カーブ

ってか、民家あった!   


右の道端に(*_*;
 嶋津観光協会事務局
これってまさかの自称( ^ω^)・・・


急カーブを切りると河原天然駐車場
久々にパートナー(弟だけど)同伴などでちったー気を遣うね( ´艸`)
身づくろいと言っても靴履き替えるだけだけど、
弟に先頭を譲って出発。 (8:50)


筏師の道


熊はいいけど・・・イヤイヤ良いことはないけど・・・
マダニには妻がかまれ病院行ったし・・・
ムカデは多分大丈夫だけど、スズメバチは絶対いや❕



ウェルカムな振りして、実のところ・・・ギャーなんて



九十九の山道をおよそ10分で尾根上の十字路に出た。
直進して降れば北山川の河原に行くようだが、まずは左折してゴール?を目指す。

続けざまの看板


登り始めて約50分
進行方向に向かって左手の視界が開けた。
1時間前に通った紀和町 多分
正面左の禿げた棚田?付近が赤木城址で
右手の尖山が通り峠でその麓が丸山千枚田だろう。

もう少し視線を右に移す・・・


・・・真下に瀞大橋が覗く。
その右手川沿いの端の大きな建物が瀞流荘で、
その右隣りの山をトロッコが貫通しているのである。

正面の一番高い山が一族山
その山頂からこちらを見て不思議な地形に頭が混乱したのであった。
今回の遠征の引き金となっている。
その時の写真も貼っておく。


一族山山頂からの眺望 (2018/3/31撮影)
左下の前方後円墳(弟曰くである)を取り巻く尾根上が現在地となる。





進行方向右手↓に木津呂の影が見え始めた!


標高300m台の尾根といえども凹凸の厳しさは変わらない!


弟も久々の山登りとあって苦戦している。
しかし、頭薄くなっていてびっくりした。
そりゃ、弟だって60台半ばだもんな(・・・)


う~ん、あと少し・・・


弟、ギブあ🄿🄿! 
陽だまりに座り込む弟を後にして、一人でもう少し先まで行ってみることに。

すっきりと展望できるポイントを探して・・・



どこまで行っても、木立が邪魔をしてすっきりした展望は得られない!
崖上の倒木の上にも登ってみたが・・・

へっぴり腰で、木立の間からと思うが、思うような空間が開けない❣


これでは半景、意味がない!
しかし、無風快晴、きれいな景色だなあ~いよいよここまでか、


と、その時、初めての標識(?)発見! 三等三角点も😂 
Ⅲ 大洞 394,9m

この先、下り斜面となっていて登山道はなかったので引き返し始めた。
弟も心配しているだろうし・・・




絶景ポイント探しにも疲れ、諦めかけた時、何か不自然な佇まいの・・・
半信半疑で下ってみると明らかな踏み跡が下に続く!


発見!
ここで待ちくたびれているかもしれない弟に大声で呼びかけたら
案外近くから返答があった!


これが木津呂だ!




多分、5割以上のハイカーはこの絶景ポイントを探しきれていないだろう。
木津呂は一般的にはガイド付きで訪れる秘境なのかもしれない。
一度の訪問でこの光景を得られたのは、まさしく僥倖だ❣
絶景をかみしめての昼食は何よりの御馳走だ!


私の幸運は、一族山からのこの光景が脳裏に焼き付いていたからだろう!
2018年3月31日撮影 (ズーム画像)


絶景ポイントから尾根道に戻る途中この神域に遭遇した。
往路の時この岩の向こう側を通過してしまっていたのだった。
最近、木津呂のTV放映の中で、
七里ガ浜の石に願いを込めてこの地に納める地元信仰が紹介されていた。


大満足!
さあ下山にかかろう!


弟も足取りも確か、すっかり回復している。


木津呂全景見納めだ!


登山口の日本一小さい観光協会の隣の案内板
このマップでも木津呂竹筒は当に相似形だとわかる。
これでは、一族山からの光景に混乱したのもわかろうというもんだ( ̄∇ ̄;)




付録: この大河は、北山川と言って吉野北山を源流とし 熊野三山・本宮大社を経て流れ下る熊野川と合流し和歌山県新宮市で黒潮に注ぐ。 また、この北山川手前を左折すれば、清流荘で、その裏手がトロッコ駅だ。 運賃は確か100円で、清流荘受付で購入すると思う。出発は適宜。 このトンネルは、昔、石原産業が鉱山開発で掘り上げたら温泉が湧き 工夫の皆さんが仕事後湯浴びしたとか。 以来、その湯をひき、湯ノ口温泉という秘湯が生まれる。 温泉はトロッコ往復代金込みで400円と安かった! 片道170キロをもろともせず我々夫婦は回数券を購入したものだ。 しかし数年前、趣のある木造の建物は取り壊され真新しい日帰り温泉と化した!

秘境・木津呂 ~ 前篇

2020年02月23日 10時47分12秒 | 菜園
みっ津な旅 (前篇)
 ~ 津市から嶋津、そして木津呂へ 
津が3個、これは偶然!? これでパワースポットとしての威力も3倍増し😀 

 今回は旅のテーマも満載❣
1.河津桜  2.紀州ミカン 3.風伝颪 
4.秘境・木津呂 5.竹筒との比較

 4:30 津市自宅発 🚙
 6:00 大紀町 リタイアーしたての実弟をピックアップ
 6:40 紀北町 種まき権兵衛の里 (^^♪

河津桜は見頃だが残念なことに、山深い為か陽ざしが届かない。
背景の便子山(びんしやま)の山頂部は赤く染まり始めていたが・・・



ここから夫婦で便子山(599m)に登り、
吊り尾根を熊野古道のハイライト馬越峠(まごせとうげ)を経て
天狗倉山(てんぐらさん)(522m)への縦走をしたことがある。
このコースはお勧めできる。


鬼牙城(↓画像左)はスルーして七里御浜に出て獅子岩(すぐ隣)で停車。
更に花の巖の隣のコンビニで朝昼飯用のパンおにぎり購入。


七里御浜沿いのR42から右折して、R311(愛称サンピンピン)を約30分
日本棚田百選 ベスト3に入る丸山千枚田へ。
途中さぎりの里からの風伝颪は不発に終わりスルーしてきている😞 
千枚田は裏山通り峠が朝陽を阻んでいる。


千枚田は高巻く車道の展望所から一望できる。





もう少し先まで車を進め、棚田の最上部からの光景。
風伝颪とは、この盆地にたまった霧が
風伝峠を越えて尾呂志集落へ溢れ流れる現象を言う。
棚田内の道を下るのは諦めた。
右手奥の山並みにたなびく雲切れ(霧)が気になる。
まさかと思うが、赤木颪では❔

正面の山は、一族山だ!
今回の秘境・木津呂探しの旅は、
2年前に初めて登ったこの山からの光景が遠因となっている。


当時の写真 
左奥の北山川の蛇行により形成された不思議な地形に目が釘付けとなった。
すぐ竹筒が思いついたが、でっぱりが逆方向だし( ^ω^)・・・❕❔
この後、↓の画像の出っ張りを直近で受けている山尾根を歩くことになる。(後篇)
~ 2018年3月31日 一族山山頂付近より ~


丸山千枚田から戸津川村街道を下ること約10分で田平子峠 
北山方面の霧が丸山千枚田へ流れ込むのを阻止する形で横切る尾根上の道だ。
風伝颪が空ぶってもこの峠を越える霧の流れ(赤木颪:命名者グラ)に遭遇できるとはるばる朝早くからやってきた「かいと幸運」に感謝したくなる。

しかしこの日は、運がなかったようだ(´;ω;`)
ただし山間に溜められた霧が無風のため滞っているようだ。




丸山千枚田に壁のように立ちはだかる通り峠の肩から陽が昇ろうとしていた。



田平子峠から赤木城址に向かった。
トイレ前の空き地に車を止め早速登り始めた。

霧が辺りに漂っているので逆光が思わぬ光景を作り出す。

足元に車と弟がボンヤリと映る。



陽を背にすると↓の様に現実的だが・・・


主郭


一旦、陽に向かうと幻想空間 天空の城


虎口の野面乱層積みの石垣上から




赤木城址を後にして再び田平子峠に戻る。
この上にツエノ峰に向かう林道もある。
未踏峰なのでいずれは( ^ω^)・・・
左の坂道を入鹿、紀宝町方面に降る。


ここまでが前篇だ。
この後、木津呂探しが始まるが、ほとんど情報がない状態なので
結構出たとこ勝負の冒険となりそうだ😁