防災カレンダー
茨城県行方市(霞ヶ浦、土浦方面の空)
茨城県行方市(霞ヶ浦、土浦方面の空)
想い。
日本人はかつては「祈り」の民族であったと言われます。
現代の私達が思い浮かべる「祈り」とは
・世界が平和でありますように
・大きな災害が起きませんように
・家族が健康でありますように
などなど
「祈り」を「願うことの延長線」にあるように認識しています。
でももともとの日本人の祈りって、そういうものだったのかな。と違和感を感じます。
きっと、日本人の祈りとは「ありがとうございます」という感謝の想いを、相手と共鳴させることだったのかもしれません。
ポカポカ。
ここで言う「感謝」とは「理由なき感謝」とでも言いましょうか。
相手が〇〇してくれたから、そのお返しに「ありがたい」と思う。そういう次元の感謝とは少し異なります。
それは「愛」という表現とも表されるかもしれません。
「愛」だったら理由はいらないでしょ?
そういう想いも「感謝」です。
想い。
そして相手に「ありがとうございます(愛)」の周波数を送って、
相手から暖かさが返って来たら、私の想いも相手に伝わったというように思います。
もし相手から「暖かさ」が返って来なければ、きっと私の「想い」が何かがずれているんだろう。
今回の実験、全ては自分の脳内心の中での世界です。
でも相手から暖かさの反応を感じることが出来たら、私の「想いの周波数」は相手に正しく届いたということです。
これが元来の「日本人の祈り」であったのだろう。そんな仮説の小説です。
次元。
だから対象は人だけとは限りません。
八百万の自然の森羅万象。
自分が生活の中で見聞きしたもの。感じたもの。そしてふと思い出した人。
それらのみなさまに、ありがとうございます。という周波数をお送りし、
そして暖かさが返って来た時に、それは「祈り」であったのか。
その祈りが共鳴した時に、
過去と未来が同時に少しだけ変わったのわかった?
世界の次元がまた今回少しだけ移動しました。そんなメモφ(・ω・`)小説です。
祈りで世界が変わること。
おまけ(読者の方によって教えて頂いたこと)
==========
https://www.youtube.com/watch?v=ruqEoZLJW7A
発達障害児にオーガニック野菜を食べさせて
治したそうです。
→ お知らせありがとうございます。
ベランダで栽培しているサツマイモの葉っぱを毎日美味しいと食べております。これもオーガニックな生命をお裾分け頂いております。
たとえ量が少なくとも、自分で育てた草を、生命をお裾分けを頂く気持ちは温かいなと想います。(^^)
==========
なのみーなさん
・・・
私もヒラメ筋が欲しくて、しばらく踵をつけないで歩いてみました。そういえば馬も踵をつけてないなあと思いながら。なかなか疲れました。
そして夜、さっきまで脚だのつま先だのがつってましたー。飽和マグネシウム水を塗りつけるとすぐ治ります。毎日攣ることになりそう。ふくらはぎが両手の親指と人差し指で囲めるようになったら危険!らしいから、ヒラメ筋を育てられるかどうか、やってみます。
→ あまり無理をせず。ゆっくり試してみてください。(^^)
==========
さかなさん
・・・
下記の4項目を箇条書きで書き出してみてみてください。それぞれ数に制限はありません。
1,あなたが感じるお母様の嫌いなところ。
2,あなたが感じるお母様の好きなところ。
3,多分お母様が感じていらっしゃる(想像)あなたの嫌いなところ。
4,多分お母様が感じていらっしゃる(想像)あなたの好きななところ。
頭の中で思う浮かべるのではなく、紙でもスマホでもパソコンでも良いので、実際に文字にして書き出してみる。思い出せる限りできるだけ多く書き出してみる。ということです。
あなたが書いたその「作品」に、ご質問の答えがあるかもしれませんよ。(^o^)
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https://www.youtube.com/watch?v=ruqEoZLJW7A
発達障害児にオーガニック野菜を食べさせて
治したそうです。
→ お知らせありがとうございます。
ベランダで栽培しているサツマイモの葉っぱを毎日美味しいと食べております。これもオーガニックな生命をお裾分け頂いております。
たとえ量が少なくとも、自分で育てた草を、生命をお裾分けを頂く気持ちは温かいなと想います。(^^)
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なのみーなさん
・・・
私もヒラメ筋が欲しくて、しばらく踵をつけないで歩いてみました。そういえば馬も踵をつけてないなあと思いながら。なかなか疲れました。
そして夜、さっきまで脚だのつま先だのがつってましたー。飽和マグネシウム水を塗りつけるとすぐ治ります。毎日攣ることになりそう。ふくらはぎが両手の親指と人差し指で囲めるようになったら危険!らしいから、ヒラメ筋を育てられるかどうか、やってみます。
→ あまり無理をせず。ゆっくり試してみてください。(^^)
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さかなさん
・・・
下記の4項目を箇条書きで書き出してみてみてください。それぞれ数に制限はありません。
1,あなたが感じるお母様の嫌いなところ。
2,あなたが感じるお母様の好きなところ。
3,多分お母様が感じていらっしゃる(想像)あなたの嫌いなところ。
4,多分お母様が感じていらっしゃる(想像)あなたの好きななところ。
頭の中で思う浮かべるのではなく、紙でもスマホでもパソコンでも良いので、実際に文字にして書き出してみる。思い出せる限りできるだけ多く書き出してみる。ということです。
あなたが書いたその「作品」に、ご質問の答えがあるかもしれませんよ。(^o^)
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→ちょうどお聞きしたいと思ってました。11月中旬ですが芋掘りはまだなんですねー。今年はちょっとは掘るのが早くて、いくつか小さいままでした。
芋の収穫のサインは何で判断されてますか?
正教会は楽器は使わないのですが、プロテスタントやカトリックは設置してあるオルガンを使うので、私はそこで弾くのです。プロテスタントとカトリック、両方です。そして両陣営の相剋みたいなのにも遭遇します。
例えばカトリックはミサの終わりに聖母マリアの像に向かって(この時は神父も会衆と同じ方向を向いて)祈りを捧げます。彼らにとってはとても大切な聖母マリア像ですが、プロテスタントはこの教義には反発。なのでミサが終わったらこのマリア像を片付けて欲しい、と言います。これはカトリックをめっちゃ傷つける。
両教会にはそれぞれ式の準備をする係の人がいます。カトリックの準備係りは、D君というイタリア系移民の青年。彼が私にこぼします。参ったよ、またあのF牧師(プロテスタント)から苦情が入った、マリア様を片付けろって!
⋯カトリック側にしたら、普段から日中にお祈りに立ち寄る信者が居る、でもこの場所にマリア像が無かったらここはカトリック信者にとって祈る場所ではなくなってしまう、という事だと解釈しました。彼らにとっては大切にしている事なのです。私は「構わないからそのまま置いときなよ」と言いました。でもD君は片付けてました。小さな像なので抱き上げたら簡単に運べちゃうのです。トラブルを避けたかったのでしょうね。
さてプロテスタントの準備係りの人はアフリカ系移民のお姉さんです。礼拝の1時間前に準備を始めます。聖餐式のパンを用意したり讃美歌集を運んだりとかです。礼拝が終わった後、私が「マリア像、元の位置(ステンドグラスの前)に置いておこうよ」と言ったら、彼女は困った顔をして、でもF牧師さんに撤去すべきだって言われてるから⋯と言います。そこで「私たち、皆んなお母さんから生まれたじゃない!あの像はそのシンボルだよ、お母さん大事にしようよ」と言ったら、彼女はパーっと顔を輝かせて「そうよね!」とマリア像を抱えて元の位置に戻しました。準備係のお姉さんには、この件に関して責任は私が取るから、とも言っておきました。
私としては、別に特別にカトリックの味方をするというより、像の撤去による人々のガッカリ度はこの場合、カトリックの方が大きいとみたからです。
その後、プロテスタント側の信者会のトップと世間話ついでにマリア像のゴタゴタについて触れたら、彼らが実はF牧師のゴリ押しに困っているのだということがわかりました。
信者会と聖職者側の相剋もあるのでした。
皆んな、仲良くしようよ、もう。。
まるぞうさんと同じ方法で立ち直るタイプの人とか
まるぞうさんと同じように過去に他人を傷つけた事を反省している人とか
何かしら同じ要素がある人の方が、まるぞうさんの持つ優しさを理解しやすいかな?と思います。
ていうか、まるぞうさんの優しさは
「俺がしてやっている」感がある場合もたまにあるから、要らない人には優しさに写らないのかも。
その優しさが欲しい方にとっては、やってやってる感があろうがなかろうが、とてもありがたいわけだけど。要らない人にとっては鼻につくみたいな感じていうか。
優しさは同じ行為であっても、受け取り手によって千差万別で。
相手がどう受け取ろうが自分が出来る範囲で良心を出せばそれでいいのかな~とも思います^0^
失敗しちゃったら、その時はごめんなさい、で済む話だし。
あ、でも、まるぞうさんは失敗しても謝らないこともあるけれどー。