あとあじ(後味)の法則
その人と会って、数時間後〜数日後、「あとあじ(後味)」として感じられるその人の印象が、その人の本質です。
表面は親切そうであったけれど、実はその言動の奥に隠された敵意トゲトゲがあったなあ。とか。
あるいは逆に
結構厳しい言葉や態度であったけれど、実は本当は私のことを心配してくれていたんだなあ。何かその方の伝え方が不器用だからその時は、きちんとこちらが共感できなかったけど、それから話すタイミングも悪かったんじゃないかな、とその時は思ったけれども。
でもその方の、あとあじは暖かいです。その時気が付かなくて申し訳ありません。そしてありがとうございます。
食べ物料理も同じ。
食べている時は美味しく感じるけれど、食べ終わってから30分たっても変な塩っぱさが口に残って、いくら水を飲んでもそのいやなあとあじが消えない料理があります。
食べ終わってから、ずっと気持ちが悪い料理。人もそういう方がおります。
逆に食べている時は特に印象は強くないのだけれど、食べ終わって30分もしてもなんだか胃腸がすっきりするのです。不思議なことに食べる前よりおなかが空いているとさえ感じる胃腸や身体の気持ちよさです。本当に身体が喜んでいる。そう感じる料理もあります。
そしてそういう方(=人間性)の方もいらっしゃいます。
人も食べ物も、そのあとの印象(あとあじ)が、その方の本質を想い出させてくださいます。
ふとした時に、思い出す方がおられます。そしてその方の印象(あとあじ)。なぜ今その方をふと思い出すのか。やはり理由があるのでしょう。と思います。
メモφ(・ω・`)
おまけ(読者の方によって教えて頂いたこと)
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ただし、文中の
「日本語は言霊だから、悪い未来を口にするのは縁起が悪い」という方もおりますが、これは半分正しく半分間違っている
に対しては私は少し違った認識です。
悪い未来を言葉にして自分で自問自答、あるいは対策を練ることは大事ですが、あえて他人に言う必要はないと思います。
なので「悪い未来」について恐怖心を煽る書き方をしている人からは、私は離れます。今年は多くの人が7月5日に言及するでしょうが、私はそれをリトマス試験紙として見ています。
→ コメントありがとうございます。(^^)
・自分の不安が抱えきれないから人にその不安を伝播させようとする→NG
・油断している人に備えをしてもらって憂いの可能性を少しでも減らしてもらう→OK
表面は似た言動でも動機で180度異なります。
でも見分け方は実はすごく簡単です。
・具体的で現実的な対策方法や心構えも一緒に述べている人。本当の警鐘の人。
・不安を煽るだけ煽って具体的にどうするかを述べていない人。言いっ放しの人。否定だけの人。不安を周囲や社会に伝播するだけの人。本人が思う以上に罪は重い。
ただし警鐘の言葉であっても、実際に自分の知人や親戚に伝える時は、距離感が大切なことは事実であります。誰しも基本は耳が痛い話は聴きたくないので。嫌悪感拒否感をもたれる前で止めておくことも、とても大切な大人の態度だと思います。
話は全く変わりますが、
これから食べ物が不足する時代。備蓄は大切だけれど長期にわたる場合は。そもそも今よりずっと少ない食べ物でも大丈夫なように、体質が変わっていくという近未来。その体質が変わる鍵は「〇〇の心」。もともと日本人の体質は省エネでした。少食でも大丈夫な体質でした。これから更にそれが進化する可能性があるようです。全然関係ない話ですみません。
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今日もありがとうございますさん
・・・
山麓の古民家(邸宅です)を見学させて頂きました。山の傾斜を利用して『横掘り井戸』になっているそうで、羨ましいですね。本当に素敵な邸宅でした。
→ 自然との住まいの距離感。これからますます重要になるのではないでしょうか。
人が密集した生活は便利でありますが災害災難には弱点になります。だからといって孤立した山の中ではなく。免許返納しても生活ができるくらいの人と自然の距離感が理想だなと思います。
==========
ちらでも紹介されていた方々の動画をよくみています。共感できるし為になるし、ただ、スピリチュアルな体験や、自分には(みんなにも)使命がある、今の時代、行動しよう、という内容が多くなってきて、言葉にできない一欠片の違和感かあります。
→ こちらで紹介した動画は、その動画の内容に興味深いポイントがある。という意味であって、その動画の方の言動が全て肯定できる。という意味では決してありません。
やはり正解は自分の心の中にあって、それと共鳴共感する内容の部分は興味深いと思いますし、違和感が感じる部分は、その部分はやはりダメだと思います。
でもこれからの時代、その玉石混交の違和感フィルターも、ますます、わかりやすくなるのではないかなと思います。
==========
SHO_KOさん
・・・
先祖の話、パターンは私の中にも流れているつながり。生きているからこそ変える事のできる流れが血の中に在るような気がします。
→ 本当に同じパターンが繰り返されるのはよくあると思います。そして御先祖に感謝するという習慣がそのパターンを緩和するというのも実感しています。これもまた代理昇華の一つだと思います。
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ただし、文中の
「日本語は言霊だから、悪い未来を口にするのは縁起が悪い」という方もおりますが、これは半分正しく半分間違っている
に対しては私は少し違った認識です。
悪い未来を言葉にして自分で自問自答、あるいは対策を練ることは大事ですが、あえて他人に言う必要はないと思います。
なので「悪い未来」について恐怖心を煽る書き方をしている人からは、私は離れます。今年は多くの人が7月5日に言及するでしょうが、私はそれをリトマス試験紙として見ています。
→ コメントありがとうございます。(^^)
・自分の不安が抱えきれないから人にその不安を伝播させようとする→NG
・油断している人に備えをしてもらって憂いの可能性を少しでも減らしてもらう→OK
表面は似た言動でも動機で180度異なります。
でも見分け方は実はすごく簡単です。
・具体的で現実的な対策方法や心構えも一緒に述べている人。本当の警鐘の人。
・不安を煽るだけ煽って具体的にどうするかを述べていない人。言いっ放しの人。否定だけの人。不安を周囲や社会に伝播するだけの人。本人が思う以上に罪は重い。
ただし警鐘の言葉であっても、実際に自分の知人や親戚に伝える時は、距離感が大切なことは事実であります。誰しも基本は耳が痛い話は聴きたくないので。嫌悪感拒否感をもたれる前で止めておくことも、とても大切な大人の態度だと思います。
話は全く変わりますが、
これから食べ物が不足する時代。備蓄は大切だけれど長期にわたる場合は。そもそも今よりずっと少ない食べ物でも大丈夫なように、体質が変わっていくという近未来。その体質が変わる鍵は「〇〇の心」。もともと日本人の体質は省エネでした。少食でも大丈夫な体質でした。これから更にそれが進化する可能性があるようです。全然関係ない話ですみません。
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今日もありがとうございますさん
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山麓の古民家(邸宅です)を見学させて頂きました。山の傾斜を利用して『横掘り井戸』になっているそうで、羨ましいですね。本当に素敵な邸宅でした。
→ 自然との住まいの距離感。これからますます重要になるのではないでしょうか。
人が密集した生活は便利でありますが災害災難には弱点になります。だからといって孤立した山の中ではなく。免許返納しても生活ができるくらいの人と自然の距離感が理想だなと思います。
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ちらでも紹介されていた方々の動画をよくみています。共感できるし為になるし、ただ、スピリチュアルな体験や、自分には(みんなにも)使命がある、今の時代、行動しよう、という内容が多くなってきて、言葉にできない一欠片の違和感かあります。
→ こちらで紹介した動画は、その動画の内容に興味深いポイントがある。という意味であって、その動画の方の言動が全て肯定できる。という意味では決してありません。
やはり正解は自分の心の中にあって、それと共鳴共感する内容の部分は興味深いと思いますし、違和感が感じる部分は、その部分はやはりダメだと思います。
でもこれからの時代、その玉石混交の違和感フィルターも、ますます、わかりやすくなるのではないかなと思います。
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SHO_KOさん
・・・
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→ 本当に同じパターンが繰り返されるのはよくあると思います。そして御先祖に感謝するという習慣がそのパターンを緩和するというのも実感しています。これもまた代理昇華の一つだと思います。
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■引用転載について
本ブログは引用元をあきらかにしていただければ、ブログやSNSでの拡散は許可いたします。
今日も寒いですが、お体ご自愛くださいね。
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話は変わりますが、私は化学調味料の料理でも食べてる時は美味しく感じるのです。ただ食べ終わって、お店の外に出てしばらくしても、口の中に変な塩っぱさというか風味がこびりついて、いくら水を飲んでも消えない。という感じなのです。
でもこれは人間関係と似ていると思います。会って話をしていると楽しい会話のようですが、別れてしばらくすると、何となく後味が悪い。たまにそういう方がいらっしゃる。そう感じに似ている。そんな印象です。
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コレって私が化学調味料のようなイヤな感じがするっていう意味だと受け取っていました。
悪かったわよ、どーせ私はcomplexの塊でイラチで瞬間湯沸かし器のようにすぐ怒るからね、癒し系の麹料理とは程遠いって言いたいんでしょヽ(`Д´)ノ
でもね、私は普段は麹の優しい味が好きだけど、数年に1回、プリングルスのサワークリームオニオンでストレス発散してるわよ!化学調味料にだって良いトコはあるんだからね!
と流していました。
でも、今日の記事を読んだら、それは私の思い込みで、実は逆だったのかな、
あなたは言葉はキツイけど後味はそんなに悪くないよ~っていう意味だったのかも~、と思い直しました。
中学からの親友の夫○○君のあの大きな声。
まさに、
「伝え方が不器用だから」
デリカシーの無い奴と思ったり、
言い合いもしたけど、心の奥に
飛び切りの優しさと人の良さを
持っていた。
若くして亡くなってもう10年以上経ちました。
親友は○○君の遺した小さな会社をちゃんと続けています。
小学校の同級生だった△君。
若いころ苦労したせいか、あまり自分の本心を周りの友人たちには言わなかった。
△君も伝え方が下手だったけど押しつけがましくない心遣いで、気遣ってくれていました。
奥さんと結婚できたのが最高の神様のプレゼントだったと思います。
△君亡き後、今は奥さんがわたしの親友になりました。
二人ともよくわたしをあちこちに誘ってくれました。
今、なおさら分かる二人の思いやり。
ありがとう。
二人に出会えただけで、こんなに優しく暖かい思い出が出来ています。
また、いつか、きっと会おうね。
代理昇華の一つと捉えるのですね。それは、先祖の過去、民族の過去、国家のの過去の流れを見て、良くなかったパターンを知ることで対策が出来ますね。
あと味のお話、本当にそうだなと思います。たったひと言かけられた言葉、なにげない言葉なのに温かい。思い出すたびにその時の光景が目に浮かぶことがあります。思い出せば励まされ、ありがとうって何度も思うし、そんな小さな思い出が記憶が人を助けるのです。
反対に、本当に思っていないのに気をつかっていう言葉や表面的な言葉は自分を裏切っている気分になる。
本当は面倒だから話を早く終わらせたい、そんな動機でしたあいづちは心が入っていないからなのか、娘は不機嫌になってスグに見破ります。
親切で言ったつもりの言葉でも、相手にいった後にもう一人の自分が言います。本当はアレは面倒くさかったからそう返したんだよね。表面的には丁寧だけど、本心はちがうでしょ?もう一人の自分が後味の悪い気分と共に返してくる。気で返してくる。反対に、不器用すぎて短い言葉しか言えなくても心を込めて言った言葉はその相手とさようならと分かれた後に、これで良かったんだと確かさやふわっとした温かさを感じます。それは、自分が出したものが帰ってきたみたいに思います。
「私が関わるすべての人や物事において、今まで得てきた経験や知識のすべてをたった一つでもたった一人でも良いから、お役に立てることが出来るように今その時出来る最善を尽くします」不器用な私は、もう何十年も毎朝の祈りの中にこんな文言をいれて決意をしているのですが、
本当に相手の為になる事って何だろうと必死に考えて探して伝えた言葉は、何年たってもふと相手を思い出した時に自分のかけた言葉も同時に思い出します。あの時どんな思いで言ったのか鮮やかな記憶で、そして不思議と自分が言った言葉に励まされるのです。あたたかな気持ちになるのです。
だから、その人を思い出せば、応援する気持ちを送り、会えなくても元気でいてね、あの時は楽しい時間をありがとうね。と繰り返し思い幸せな気持ちになります。自分が出した思いは返ってくるもの。情けは人の為ならずの言葉は、あと味のことかも知れませんね。