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17日。大潮。月の最遠から3時間後22時49分。
神奈川県三浦市
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奪われたあとにどう能動するか。
昨日の応用問題です。
「与えたものは与えられる。ならば、奪われたものはどうなるのでしょうか。」
私は奪われてばかりで、ちっとも与え返されていない。そういう方は多いと思います。
このシリーズの問題1と2で、「陰陽とは能動と受動。鏡の法則」であることらしい。であるならば、この3問目も然り。
奪われた人。この人がここから何を「能動的にする」かが重要であります。奪われたままでは、まだ陰陽仮説(鏡の法則)は作用しません。このあと、私はどう動くのか。
手放したものは与えられる。
奪われたもの。これを潔く手放す人もいるでしょう。水に流して手放す人。この場合は、与える人は与えられるという鏡。
オモテで手放すことにより、ウラの因子は「与えられる」が蓄積されます。
実際の社会では、暴力や犯罪は、警察や法律の専門家などに相談するべきです。同じ被害者を二度と出さないために。
泣き寝入りは時として、二番目三番目の被害者を作り出すことに加担する。そういうケースもありますから。
ただしそのように法的な手段は(これ以上の被害者を出さないために)淡々と行う。が、奪われたものは、潔く手放すこと。水に流して手放すこと。が、陰陽仮説では重要と言えます。
大切な家族を奪われた場合。その喪失感は長い時間消えることはないでしょう。その失われた家族をいつまでも忘れないことは大切であると思います。亡くなった家族は心の中でその家族と共に生きる。これは事実であろうと思います。
しかしこの世界にはいないこと。これもきちんと認めること。悲しいことではありますが、この世界で一緒にいることはもう出来なくなった。と手放すこと。
手放すものは与えられる。
人の不幸を願うと自分に不幸が来る
奪われた人の中には、奪った相手を呪う方もいらっしゃるかもしれません。しかし人を呪わば穴二つ。他人が不幸になることを願えば、自分が不幸になる因子を蓄積します。鏡ですから。
自分が大事にしていたものを奪った相手。どうしても許せない気持ちはわかります。自分以上に相手が不幸になればいい。と願う気持ちもわかります。
しかし陰陽仮説の視点では、相手の不幸を願うということは、自分も同じだけ不幸になる因子。自分の未来を不幸にすることと引き換えに行っていること。
このことは、人生の知恵であります。
自分が能動した行為。鏡に映って自分に返る。
今回の3問の応用問題でわかったことは、人が能動的に何かをするということは、未来の自分の受動を同時に創造している。ということ。
良いことでも悪いことでも、親切なことでも意地悪なことでも、愛情深く接することでも関心なく無視することでも、
自分が他人に社会に自分の身体に、自分の周囲の生命あるものでも生命ないものに対してでも、行なっていること。この能動行為の鏡。受動として未来の自分に跳ね返ってくる。
ですからこの陰陽仮説を実験しようとする人。この人は自分の能動行為を注意深く観察する人であります。自分が周囲に能動的に与える行為。これが未来に自分の環境として受動として跳ね返ってくる。
これは人生を思い通りに創り上げる知恵。もしこの知恵がなければ、自分はどういう未来を自分自身に創っていたか。怖い話でもあります。
私は私の未来を創っている。
この世の中理不尽なことは多いでしょう。自分の努力が認められないこと。自分より悪いやつがのさばっていること。我慢できないことは多いかもしれません。
しかしその時、自分はどう「能動」するのか。それでも諦めずにコツコツと努力するのか。あるいは不満を周囲にぶつけるのか。
どのような「能動」も私達の自由であります。しかし、その「現在の能動」は「未来の受動」となって自分に返ってくる。(本当は能動と受動、陰と陽は同時に生成されています。ウラの因子は目に見えて現れるのに時間差があるだけ。)
相手を責める癖のある人は、「相手を許す」という受動を行うと、未来には「許される」という環境を自分が引きつけます。
自分を責める癖のある人は、「自分を守る」という受動を行うと、未来には「守られる」という環境を引きつけます。
自分が自分を守る行動をとることで、自分が自分に守られるという結果となる。自己の否定が癖になっていると、自分が自分を見放してしまう未来を。勇気を出して自分を守る行為は、自分自身が自分を守ってくれる。
今回の陰陽仮説の応用問題シリーズは終わりです。皆様のご意見を伺えて大変参考になりました。投稿してくださった方々、そしてお読み頂いた方々。ありがとうございました。
おまけ(読者の方によって教えて頂いたこと)
==========
体に気を付けないというのもだめですか、健康本とか健康食品とか、健康オタクも精神が病みそうです。
→ 執着するとその分逆効果になりますから。失いたくないと固執するほど奪われるという因子が蓄積される。
自分の身体への愛情も人への愛情も同じ。見返りなく与えるだけだと与えられる。失いたくないと固執すると失う因子。
==========
奪われることに遭遇した際、奪われた、、と、自分の中で反芻すること無く、事実関係を客観的に観るに止まり、水に流せたり、自分から能動的にプラスの行動を継続できれば、尚更、奪われたコト、モノ、は奪った側に還ることになるのでしょうか。
結局、自分が何を発信して自分や周りに何を与えているかが一番大事ですね。
ですね〜。命の使い方。見直そうっと。
→ Yes。能動的にプラスの行動。という点が正解であります。ありがとうございます。
==========
まるぞうさんは、いつも鉄フライパンをお使いですか?
私は鉄フライパン歴半年で単純な野菜炒めは出来る様になりましたが、お肉はすぐに焦げ付かせてしまいます。
→ 我が家は、鉄の中華鍋と鋳鉄厚手のフライパンを利用しています。そのお手入れですが
1,焦げ付きがある場合はスチールたわしなどでゴシゴシと焦げ付きを取る。中華鍋の場合は手でさわってツルツルになるまで。
2,洗ったあとは空焚きして水滴を飛ばしたら、油を少量ひいて鍋底全体にのばす。油煙が出始めたら火を止めてゆっくり冷やす。この冷える過程で油膜が鍋にコーティングされこれがテフロンの膜と同じ働きをします。
3,鍋底に余った油は油こしにうつして保管します。
料理をする時は、
1,きちんと油を引いて火をつけて油が馴染んでから材料を入れる。
2,お肉などはこまめに鍋を動かして、焦げ付きが鍋底と結びつかないようにする。
3,それでも焦げ付いた場合は、それもカルボン基で味のうちとおおらかなお気持ちで。焦げ付いてもまたゴシゴシ洗えばいいのです。テフロンと異なりゴシゴシ洗えるところが鉄鍋の気持ちの良いところです。
==========
「差し上げた」とまでは行かなくても、せいぜい「くれてやった」と思っておけば、またいつか自分に返ってくるかも知れません。
場合によっては非常に困難でしょうが。
→ 感覚としては正解です。ありがとうございます。
==========
奪われると何かを得るというプラスの因子が発生するが、残念無念と執着すれば、マイナスの因子が発生する。仕方がないと、さらりと手放したいものです。
→ こちらも正解です。ありがとうございます。
==========
でも、いつも思うのですが、自分が軽くなる為に誰かが罪を背負う事になるのは、可哀想。
相手に罪を背負わせたくない。
→ 相手は相手の自業自得です。相手が能動したことが、受動として返る。これは全ての人に公平な鏡の法則です。
==========
奪われた物は、執着すれば、奪いかえす因子を生む?
執着を適度に手放し仕方ないと諦めれば、奪った相手には奪われる因子をプレゼント。奪われた者には、基本は何にも無い。
→ 仕方ないと手放す=与える。というように私は考えます。
==========
まるぞうさん、なす炒め、作ってみますね。
→ 私はナスの煮浸しも好物でありまして。中華鍋で多めの油でたっぷりナスに油を吸わせて炒めたあと、お醤油と味醂でぐつぐつと数分煮るだけです。そのあとたっぷりのおろし生姜をかけます。今の季節、ベランダの大葉などをちらしてもいいですな。
ご飯のおかずでもおいしいし、冷やしうどんの具としても。
==========
お隣の大統領ムンムンの光復節での勘違いなトーンダウン演説をどう思われますか?
→ 沈んだ国への路線一直線です。
==========
もし、私たちが、仮に1000円を持っていたとします。この1000円をあげた(与えた)か、1000円を奪われかと思うのでは、 後の執着、後悔、後味が違うと思います。
結局、手元から1000円が無くなったのは同じなのですが、その方が、奪われたと感じるならば、それは、その方自身が奪う方だったからだと思いますし、与えたと感じるならば、その方は、与えた人だったと思います。
・・・
社会で、生きていると、毎日色々なことが起こり、一瞬、一瞬、その選択していかなければなりません。そね中で、警戒、疑うことは、大切ですが、済んだことは、済んだことで、さっさと水にながしてしまうことが一番の極意だと思います。
→ 正解です。ありがとうございます。
では、初めの動機が、相手から与えてもらうために、相手に最初に与えた場合はどうなりますでしょうか。確信犯です。
→ 純度は薄まりますが、与えたものが与えられる。という因果律は形成されると思います。
==========
奪われるという物事も、実は、与えられていると思うのです。うまく説明出来なくてすみません( ̄▽ ̄;)
→ 水に流すことで、そのような現象が起きる。そのように思います。ただし注意深く生きることとセットであります。世の中には悪魔のような人はいますから。
==========
「ぱよぱよ日記」さんという非常に洞察力、分析力と編集力に秀でたバランスの良い政治評論ブログがありまして、その最新記事にて香港騒動の裏に潜む国内における派閥間や中南海と軍閥間の政治的闘争、覇権争いがまとめられています。
→ この方が書かれている
「当然の話ですが、どこの国も一枚岩であるわけでもないし、「中国を見る時、中共=習近平ではないことを意識しなければならない」ということが前提で」
については私も同意見です。
==========
天安門事件で虐殺された人々の陰陽は?
彼らの死によって、今の中国はある。
彼らは生まれ変わり、現代中国の富裕層になっているのか? それともアメリカに生まれることが出来たのか?
もしこれから香港でまた一万人が虐殺され、その生け贄によって中国共産党が倒れたら、人柱となった一万人は、好きな国に、恵まれた環境で生まれ変われる、みたいなのが陰陽仮説?
→ それぞれのケースがあるので、ステレオタイプのように「虐殺された人」とはひと括りにはできないでしょう。
特に虐殺を受ける前に「小さな警告」を受け取っていたかどうか。自分の生命を守るという義務に対して、やむを得なかったのかどうか。これと後年多くの人の生命を守ることに繋がったかどうか。の相殺となります。
==========
今、この時代に、BTSがアメリカで売れていることが、なんか気になります。
→ 朝鮮半島出身の方は芸能の才能に恵まれている方が多いということと思います。都はるみさんのコブシなどは素晴らしいです。古いかな?
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体に気を付けないというのもだめですか、健康本とか健康食品とか、健康オタクも精神が病みそうです。
→ 執着するとその分逆効果になりますから。失いたくないと固執するほど奪われるという因子が蓄積される。
自分の身体への愛情も人への愛情も同じ。見返りなく与えるだけだと与えられる。失いたくないと固執すると失う因子。
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奪われることに遭遇した際、奪われた、、と、自分の中で反芻すること無く、事実関係を客観的に観るに止まり、水に流せたり、自分から能動的にプラスの行動を継続できれば、尚更、奪われたコト、モノ、は奪った側に還ることになるのでしょうか。
結局、自分が何を発信して自分や周りに何を与えているかが一番大事ですね。
ですね〜。命の使い方。見直そうっと。
→ Yes。能動的にプラスの行動。という点が正解であります。ありがとうございます。
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まるぞうさんは、いつも鉄フライパンをお使いですか?
私は鉄フライパン歴半年で単純な野菜炒めは出来る様になりましたが、お肉はすぐに焦げ付かせてしまいます。
→ 我が家は、鉄の中華鍋と鋳鉄厚手のフライパンを利用しています。そのお手入れですが
1,焦げ付きがある場合はスチールたわしなどでゴシゴシと焦げ付きを取る。中華鍋の場合は手でさわってツルツルになるまで。
2,洗ったあとは空焚きして水滴を飛ばしたら、油を少量ひいて鍋底全体にのばす。油煙が出始めたら火を止めてゆっくり冷やす。この冷える過程で油膜が鍋にコーティングされこれがテフロンの膜と同じ働きをします。
3,鍋底に余った油は油こしにうつして保管します。
料理をする時は、
1,きちんと油を引いて火をつけて油が馴染んでから材料を入れる。
2,お肉などはこまめに鍋を動かして、焦げ付きが鍋底と結びつかないようにする。
3,それでも焦げ付いた場合は、それもカルボン基で味のうちとおおらかなお気持ちで。焦げ付いてもまたゴシゴシ洗えばいいのです。テフロンと異なりゴシゴシ洗えるところが鉄鍋の気持ちの良いところです。
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「差し上げた」とまでは行かなくても、せいぜい「くれてやった」と思っておけば、またいつか自分に返ってくるかも知れません。
場合によっては非常に困難でしょうが。
→ 感覚としては正解です。ありがとうございます。
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奪われると何かを得るというプラスの因子が発生するが、残念無念と執着すれば、マイナスの因子が発生する。仕方がないと、さらりと手放したいものです。
→ こちらも正解です。ありがとうございます。
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でも、いつも思うのですが、自分が軽くなる為に誰かが罪を背負う事になるのは、可哀想。
相手に罪を背負わせたくない。
→ 相手は相手の自業自得です。相手が能動したことが、受動として返る。これは全ての人に公平な鏡の法則です。
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奪われた物は、執着すれば、奪いかえす因子を生む?
執着を適度に手放し仕方ないと諦めれば、奪った相手には奪われる因子をプレゼント。奪われた者には、基本は何にも無い。
→ 仕方ないと手放す=与える。というように私は考えます。
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まるぞうさん、なす炒め、作ってみますね。
→ 私はナスの煮浸しも好物でありまして。中華鍋で多めの油でたっぷりナスに油を吸わせて炒めたあと、お醤油と味醂でぐつぐつと数分煮るだけです。そのあとたっぷりのおろし生姜をかけます。今の季節、ベランダの大葉などをちらしてもいいですな。
ご飯のおかずでもおいしいし、冷やしうどんの具としても。
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お隣の大統領ムンムンの光復節での勘違いなトーンダウン演説をどう思われますか?
→ 沈んだ国への路線一直線です。
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もし、私たちが、仮に1000円を持っていたとします。この1000円をあげた(与えた)か、1000円を奪われかと思うのでは、 後の執着、後悔、後味が違うと思います。
結局、手元から1000円が無くなったのは同じなのですが、その方が、奪われたと感じるならば、それは、その方自身が奪う方だったからだと思いますし、与えたと感じるならば、その方は、与えた人だったと思います。
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社会で、生きていると、毎日色々なことが起こり、一瞬、一瞬、その選択していかなければなりません。そね中で、警戒、疑うことは、大切ですが、済んだことは、済んだことで、さっさと水にながしてしまうことが一番の極意だと思います。
→ 正解です。ありがとうございます。
では、初めの動機が、相手から与えてもらうために、相手に最初に与えた場合はどうなりますでしょうか。確信犯です。
→ 純度は薄まりますが、与えたものが与えられる。という因果律は形成されると思います。
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奪われるという物事も、実は、与えられていると思うのです。うまく説明出来なくてすみません( ̄▽ ̄;)
→ 水に流すことで、そのような現象が起きる。そのように思います。ただし注意深く生きることとセットであります。世の中には悪魔のような人はいますから。
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「ぱよぱよ日記」さんという非常に洞察力、分析力と編集力に秀でたバランスの良い政治評論ブログがありまして、その最新記事にて香港騒動の裏に潜む国内における派閥間や中南海と軍閥間の政治的闘争、覇権争いがまとめられています。
→ この方が書かれている
「当然の話ですが、どこの国も一枚岩であるわけでもないし、「中国を見る時、中共=習近平ではないことを意識しなければならない」ということが前提で」
については私も同意見です。
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天安門事件で虐殺された人々の陰陽は?
彼らの死によって、今の中国はある。
彼らは生まれ変わり、現代中国の富裕層になっているのか? それともアメリカに生まれることが出来たのか?
もしこれから香港でまた一万人が虐殺され、その生け贄によって中国共産党が倒れたら、人柱となった一万人は、好きな国に、恵まれた環境で生まれ変われる、みたいなのが陰陽仮説?
→ それぞれのケースがあるので、ステレオタイプのように「虐殺された人」とはひと括りにはできないでしょう。
特に虐殺を受ける前に「小さな警告」を受け取っていたかどうか。自分の生命を守るという義務に対して、やむを得なかったのかどうか。これと後年多くの人の生命を守ることに繋がったかどうか。の相殺となります。
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今、この時代に、BTSがアメリカで売れていることが、なんか気になります。
→ 朝鮮半島出身の方は芸能の才能に恵まれている方が多いということと思います。都はるみさんのコブシなどは素晴らしいです。古いかな?
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本ブログは引用元をあきらかにしていただければ、ブログやSNSでの拡散は許可いたします。
取扱説明書よりも詳しくて分かりやすい解説をありがとうございました。
今日のお話しは、とてもわかりやすかったです。
あいちトリエンナーレの件について、プロフェッショナルのキュレーター、クリエイターの方の意見が、参考になりました。
→ 愛知県の大村知事について。お父上は農業をしていましたが、昭和31年の台風で農作物が被害を受けた為、渡日。そこで、在日韓国人の母親と出会い結婚。3人の子供に恵まれました。とあります。
朝鮮半島出身の方の中には日本を大切に思われている方も多くいらっしゃると思いますが、この知事については残念な方のようです。
>>>
大村知事の両親が在日朝鮮人というのは、デマではないでしょうか? そのような内容のサイトや書き込みが散見されますが、どれも根拠を全く示してません。
誰かが韓国の肩を持つような言動をすると、見境なく、根拠もなしに在日認定する、ロクでもない風潮の一つではないでしょうか。
大村知事は、あいとりの作品選定は、芸術監督に全責任があると弁明してますが、スキルと経験不足のジャーナリストを、監督に採用したのは、知事本人です。
シロウトの津田大介を、話題集めと動員数のために採用し、その結果、大炎上を引き起こした知事の責任は、厳しく追及されて欲しいです。
でも、事実無根のことで人を蔑むことが、日本人のすることでしょうか。
なんですが…
この世は、誰かが悪役になるしかないのですか?
バイキンマンとアンパンマン…
美輪さん、ポンチャックの存在を知らなかったんだね。
しかし、現実の世の中は複雑です。与えたつもりが恨まれる事も有ります。指導教育のつもりがパワハラや、褒めたつもりがセクハラとか・・・
与えるにも、無垢のものと見返りを意識したものとでは大きな差になると思っています。
私達は与える時、僅かばかりの優越感や上から目線の様な感情を抱くと思います。
それは、善の心の中に潜む悪心に通じるものですから厄介なものですが、善と悪は一体ですから、それも心の修練なのでしょう。
仮説で気になっていることですが、許す、手放す、水に流す事で救われる部分ですが、日本人同士の個々人の出来事では概ね成立すると思いますが、今、心配されている多くの移民が来た場合、それが通じるかです。
時間と共に摩擦は増えて行きます。
その時にも日本人が許していれば、思考が真逆の移民が取る行動が心配になります。
摩擦の多くは犯罪ではなく、マナールール違反の様な些細なものの集合体です。
毅然とした態度で接しなさいとなるのでしょうが、ヘイト、差別、多文化共生の屁理屈に引っかかると、我慢≒許すになってしまいます。
移民の多くは、少人数の時は地域のルールに嫌々従いますが、多人数になると自分達のルール(勝手)が増えてきます。
古いアパート等ではトラブルとなり、日本人側が嫌になり引っ越してしまうようです。
陰陽で難しいのは、日本人の常識と外人の常識が違う事です。
簡単な例で、日本人は嘘をつく事は悪として罪悪感が有りますが、多文化では、有利になる嘘は善で、損をする正直は悪とされています。
先進国同士でも、宗教観の違いから、似て非なるものも多いと感じます。
地球全体では陰陽はバランスするのでしょうが、不安定な地域レベルでは個人が呑み込まれる不安も、小さな警告なのでしょう。
注視し備える事は理解していますが、コミュニケーションがうまく取れない方々が相手ですから、難しいと感じています。
人類史理想的な縄文文化が他国の武力からの滅亡を避ける為に弥生人となり、大和民族は他国の侵略を防いできましたね。
幕末は他国の脅威が急激に高まり、明治維新を迎え、列強の本質を学び対等になろうとしました。
敗戦によって、本質を知ったのですが、ある意味封印され至ります。
今現在、封印は解かれつつ有りますが、封印を解かせまいとする勢力との攻防が表に出てきました。
大東亜戦争は、日本に大きな陰をもたらしましたが、東南アジアの植民地支配を終わらせた事で、彼の地に大きな陽をもたらせたと思います。
近い将来、再び日本人が大きな陰を受け止め、世界を陽に導く運命(責任)を民族として持っているように感じています。
ひと時の安寧の時間に感謝して歩みたいと思います。
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都はるみもそっちなの!?
今日の解答が1番語るに難しく、ある意味 酷かもしれないと感じていたので、読めて良かったですし、勉強になりました。
昨夜、京都五山送り火を見に行きました。如意ヶ嶽の山頂に大の文字が燃え上がった時、雲の切れ間から、東の空に上がったばかりの満月の月と山が並びました。亡き人の魂が煙りとなって月へ掛かっていく様は、神秘的ですらある情景でした。 台風一過のご褒美だったのでしょうか。 そう思えました。ただ写真に収める間も無かったほど、一瞬でしたが。
自分が個人としてどの様な能動的な行動をするのか、生きていく上でそれが大事なのだと教えて頂きました。 与えれば与えられる。もう少し早くこの原理に気付きたかったと欲を思いますが、とても勉強になりました。 また1つ真理を教わったと喜んでおります。