防災カレンダー
千葉県北西部
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今回の無自覚の地雷の考察もとても興味深く執筆いたしました。
まさか右脳と左脳の話にまで展開されるとは当初想定もしておりませんでした。
右脳左脳とセルフ123の関係性についてはこれからも考察を続けていきたいと思います。
魂の熟成度の指標。
さてこの考察シリーズの最後に、やはり改めて思うのは「無自覚地雷の自覚」にとって一番重要なのは「魂の熟成度合」であるということです。それは「人生の季節」とも言えます。
たとえば「私が100%正しい。相手が100%間違っている。」という人を見掛けた時に、「ああ自分もそのような思い込みをしているかもしれない」と、自分自身を省みることが出来る時、その方は、十分魂が熟成された時期にいらっしゃる。というようなことです。
・自分の半分は間違っているかもしれない。
・相手の半分は正しいかもしれない。
その可能性について受け入れる準備が出来ているかどうか。これが魂の熟成度である。そのように思います。
無自覚の呪縛から解かれる(ほどかれる)。
ゆっくりと、魂の熟成を経過して、いよいよその時期になった時。人は自分の中の「無自覚の地雷」について気づいていきます。
一つは私のように信頼がおける相手からの忠告やアドバイスによってです。
私は自分では全く気づかなかったけれど、そういう地雷があったのか。言われてみれば確かにそうだよ。と気づくことが出来ます。
しかしもし私の魂がまだ未熟の状態であれば、そのようなアドバイスは、まるで自分が否定されているかのように、自分が攻撃されているかのように感じて、反発することでしょう。
そういう時は、まだ私の魂はその準備が出来ていないということです。
憤慨日記が、無自覚の地雷を浮かび上がらせてくれる。
もし周囲にそのようなアドバイス忠告をしてくれる友人や家族がいない場合でも、憤慨日記を書くことで、自分自身で「地雷」に気づくことが出来ます。
毎日の生活で、自分が憤慨したことを書き記します。
・誰に対して憤慨したか。
・その相手のどういう言葉に憤慨したか。
・その相手のどういう態度に憤慨したか。
これを書いて見返すと、自分が気づかなかった「無自覚の地雷」が浮かび上がってくることでしょう。いつも自分が憤慨するには、自分が気づかないパターン(地雷)があった。
無理に思い出さなくても大丈夫。
この観察が進んでいくと、この地雷の原因になった過去の体験を思い出すことがあるかもしれませんし、それは結局思い出さないままかもしれません。
思い出さないことは、思い出さないことに意味がある。無理に思い出すことが正解じゃない。
思い出すべきことはその時期がくれば自然と思い出すし、そうじゃない場合はそれでいい。
ただ「自分の中に自分が自覚していない地雷があるかも?」という仮説を受け入れることができれば、もうそれで十分。時期が来た。と言えます。
「憤慨日記」実験を試すには。
もしこの記事を読んで
・自分の半分は間違っているかも。
・相手の半分は正しいかも。
・自分の心の中には自覚していない地雷があるのかも。
と思える方は、試しに「憤慨日記」という実験を試されるのも良いと思います。
自分では見えなかった自分自身。
自分では見ないことにしていた自分自身。
その自分自身を自覚することで、縛りが消える。
自分の人生の選択肢を自分の自由意志で決められる。
この世界を自分自身で創っている。
世の中の災難災厄が塞翁が馬になる。
そういう人類が次の世代の私達です。という近未来の小説です。
このシリーズ終わり。
お読み頂いてありがとうございました。
おまけ(読者の方によって教えて頂いたこと)
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いつもありがとうございますさん
・・・
ずっと昔ですが、今思うと、「あれはLaLaランドだったのでは!?」と思う事がありました。あの感覚は一度だけです。
→ ジル・ボルト・テイラー博士のお話は本当に興味深いですね。コメントありがとうございます。
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面白い実験ですねー。この実験は初耳でした。
まるぞうさんへのブログの解釈も面白かったです。
なるほどなーと思いました。
→ とても示唆深いお話だと思います。私達の意識の真相の大切なヒントですね。コメントありがとうございます。
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いつもありがとうございますさん
・・・
ずっと昔ですが、今思うと、「あれはLaLaランドだったのでは!?」と思う事がありました。あの感覚は一度だけです。
→ ジル・ボルト・テイラー博士のお話は本当に興味深いですね。コメントありがとうございます。
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面白い実験ですねー。この実験は初耳でした。
まるぞうさんへのブログの解釈も面白かったです。
なるほどなーと思いました。
→ とても示唆深いお話だと思います。私達の意識の真相の大切なヒントですね。コメントありがとうございます。
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まさに今日、家族に対してイライライラッとしたことがあったので、さっそく憤慨メモを書いてます。
家族には即座に「理屈としてそれはおかしいでしょー」と、キーッていう雰囲気の反応をしてしまいましたが、きっと家族の方にも、その行動の理由があるはずですね。
キーッてならずに、ひと呼吸して~という気持ちを忘れずに自分の憤慨ポイントを見つめてみたいです。
今思ってるのは、私の方に、「私の、この理屈は正しい!」という旗を振りかざすような気持ちや、深層心理として、家族のせいで自分の行動に制限が出るのは嫌だ、という気持ちもあった気もします。
憤慨日記は、自分自身の見たくない部分と向き合うという難しい行為をする良いきっかけになりそうです。
ここはまるぞうさんの備忘録という事で、まるぞうさんの心の考察をご自身のために記録されているということはよく承知していますが、一読者の私としては、まるぞうさんのセルフ論がテーマの日には「よくわからないけど、また心の理屈をこねこねしてる」という感想を持っています。
そこで、あのすごい読者さんです。
あの読者さんはもっとわかりませんが、あの方がいらっしゃるおかげでまるぞう理論が真に検証できると思い、成り行きを興味深く見ています。
まるぞうさんがあの読者さんの反応に対して少しも憤慨する事なく、その皮肉を記事にすることもなく、ご自身の理論を展開できるのかがその答えのすべてである事と思います。
まさに今のまるぞうさんにあの読者さんがちょうどいい。。
その成り行きは興味深いですが、ただ心の理屈こねこねの記事は読んでいて面白くはないのもまた事実です。
昨日の記事を読み、私は「あ~あ」というよりも、「あらら」という言葉がでてきました。紹介していただいた動画も実験もとても面白く考えさせられました。でもなぜそれらの紹介とまとめでなぜ終わらず、ブログ記事と読み手についての考察まで書いたのか。備忘録なので、思ったこと、感じたことを書くのは当然なのでしょうが、公開記事ですし、ここまで書かなくてもいいのにと思いました。書かずにはいられなかったから書いたのかもしれません。そして、案の定の反応コメントが来ていました。反応せずにはいられなかったのだと思います。書かずにはいられないまるぞうさんと反応せずにはいられない読者さん、お互い、そこまで踏み込まなくてもいいのに。でも、そういう関係とか、そういう人生時期って必要な時あるよね、と思いながら読ませていただきました。すみません、第三者的で。
でも、まるぞうさんの記事は毎日楽しみに読んでいます。いつもありがとうございます。
人生、勝ちと負けどっちが多い?と言われたら、大概負けの方が多い気がする。人生は「敗者復活」の繰り返し。
でも、本当は勝ちも負けもないのかもしれない。勝とうが負けようが、一生懸命やった結果なら、それでいい。
そんな気もする、今日この頃。
慶応高校おめでとう。仙台育英よくやった。
ありがとう。
※応援というのは一種の「圧」です。慶応側の応援は伝統と誇りに裏打ちされた見事なものでした。文句を言う筋合いなどない。
盛岡一高のバンカラ応援「ピッチャーおかわり来い!おかわり来い来い。おかわり来い!」あの「圧」を知っているものにとっては、慶応の応援など
当たり前だ。
>修羅の人という鏡に映る自分の良心を観ること
これって、自分の中の修羅も意識しろ(手綱を引き締める)よ、的な意味でしょうか?
まるぞうさんがご友人から指摘を受けた時は、ちょうど熟成していた。ご友人はそのタイミングが分かるくらい愛情を持ってまるぞうさんに接したとも言えるのではないでしょうか。
どれだけ善意であっても、タイミングを間違えれば、それは拷問にしかならない場合もあるでしょうから。
質問です。
まるぞうさんがご友人から指摘を受けた時、つまり「魂の熟成度合」がちょうどよい状態だった時は、まだイケイケでしたか?それとも、イケイケが終わってご自分を振り返った後の時期でしたか?
今回のシリーズの感想でっす!面白かった〜。