おいしい朝ごはん

おいしい朝ごはん食べましたか 私はまだです

パティスリーシュクリエールのコーンスープ

2005年10月09日 12時36分38秒 | プチサイトから
お昼のランチのコーンスープは、殆どでデミタスカップほどの大きさの白磁の器に入っていた。

たった、これだけか。

と、口にすると

粒コーンは新鮮で、しかも十分に火が通って甘い。

コーンスープのスープ部分は極めて滑らか。

極少量でも十分に満足感がある。




コンサートマスターと赤い薔薇

2005年10月09日 12時35分55秒 | プチサイトから
演奏会が終わると乙女が現れ花束を五重奏の楽士に手渡した。

この後にアンコール曲の演奏がある。

花を床に置いて演奏してもおかしくはない。

コンサートマスターから、ほんの少し下の最前列に女の子が座ってる。バイオリンを普段から習っている女の子だ。

マスターは、花束を投げた。薔薇の花束は宙を舞って落下した。

その薔薇の花束を女の子は、はっしと受け止めた。

そして、アンコールの曲が始まった。

ウィーンの市歌だった。



今年の冬も妖怪大戦争を見に行きたい  

2005年10月09日 12時35分18秒 | プチサイトから
映画のパートツーは大体、駄作だ。

けれども、たとえば007のように傑作シリーズになる場合もある。

ただ、年二回のシリーズにした場合、夏はいいとして、問題は冬だ。

正月に怪談といかがなものか。

いや、妖怪シリーズは怪談ではない。これは美談なのだ。

出てくる女優さんは、主人公の担任の先生をはじめ全て美人ばかりだ。

当節、妖怪の生き方ほど、まっとうな生き方は、なにかなかお目にかかれない。

気がかりなのは、麒麟麦酒が冬でも麦酒を提供してくれるかどうかだ。



イタリア貴族のナンパ術と大倉男爵の誕生会登山と白いサファリ王

2005年10月09日 12時32分39秒 | プチサイトから
ナンパ術は、私には、はじめから終わりまで役に立たない。

男爵の誕生会登山は、さらに役に立たない。

動物は猫ですら飼うことが難しい。できれば、駱駝をかってみたいが。

とにかく、なんとも太っ腹な人たちが、この世には、おられるものだ。





初めての献血

2005年10月09日 12時31分39秒 | プチサイトから
今年の夏初めて献血に行った。

まず血液の比重がはかられた。

緊張の一瞬。

無事、比重は合格した。

献血は献血車の中で行われる。

車に入ると寝台があって、その上に寝ろといわれる。

真夏の車内だが冷房がよく効いている。

熟練のした腕前の看護婦さんが腕の血管に針を刺した。

看護婦さんは献血用の針はかなり太いので痛いのが当たりまえだといわれたが、実際には痛くなかった。

暫くして自宅に血液の分析表が送付された。



また、献血するかどうかは決めていない。

ガリガリ君の夏が続く

2005年10月09日 12時25分47秒 | プチサイトから
夏も下り坂だろうと高をくくっていたら、しっぺ返しをくらった。

やっぱり、まだまだ暑い。本当に暑い。

ここは60円のガリガリ君を齧って、暑さをしのごう。

なんといっても、100円玉を渡して御釣が帰ってくるところがうれしい。

ただし、カキ氷なので食べ過ぎには注意しよう。

カキ氷系では、明治の宇治金時も、天辺のコンデンスミルクがグーだ。

井村屋の小豆アイスも、硬くて冷たいが良質の小豆で、根強い人気だ。

井村屋の小豆物はどれも水準以上だ。

ことに水羊羹は井村屋に限る。

ほどほどの値段の割りに、丁寧につくってある。



妖怪大戦争によると、小豆は体にとてもいいらしい。


20億ドルの水売買  NHKの番組から

2005年10月09日 12時23分53秒 | プチサイトから
乾燥地帯は灌漑により穀倉地帯 に変えることが出来る。

しかし、そのために川の水に異変が起きているという。

中国の黄河でも水不足がおきている。

アメリカでは水の分配をめぐり連邦政府も関心を示す。

そしてついに、アメリカでも例のない20億ドルの水売買が成立した。

農業用水が都市用水として買われていったのだ。

農家には金が払われ、その代わり農家は農地を休耕する。

このとき、耕作地の土壌が変わっていく。

農地が昔の砂漠に戻っていくのだ。


緑の砂漠が広がっている

2005年10月09日 12時22分51秒 | プチサイトから
今、日本の森が苦しんでいる。

保水力のない森が増えている。

山村が衰えると山の緑も衰える。

以上はNHK教育放送の受け売りです。

だけども、台風が去ったからといって、若い世代にとっては、忘れてはいけないことかもしれません。



我が亡き後に洪水は来たれかし。



という言葉は未来を考えない発想なのだ。

走る弁護士の奇跡   誰が為に君は走る

2005年10月09日 12時21分25秒 | プチサイトから
師が走るのは師走です。

ところが士は八月でも走ります。

確かに人が生きるということは、昨今では、人生を走っているようなものです。

私のように、カタツムリのように生きていたのでは文字通り、バスに乗り遅れてしまいます。

けれども、先生のことです。深いお考えの上で走られていることと思います。

そうであるからこそ、先生の走られるお姿に目が離せないのであります。