トミーの想い パート2

一日一日を精一杯楽しくね!

石見銀山

2011年10月07日 | 日記
              石見銀山  龍源寺抗道の入り口付近                                     

             此処より坑道に入る 
坑道のことを間歩といって3〇〇メートルに及ぶ坑道内をあるく、学生らしい一同とともに照明はされているが薄暗い道を進む。まだ銀があるぞーなんていいながら脇道の奥を覗き込んだり、懐中電灯を照らしながら楽しそうにしていた。。狭い坑道を掘って土砂を運んだり過酷な労働に耐えていた工夫たちも大変だったでしょう。閉山は昭和18年で、228年間掘りつずけたようです。


五百羅漢
                                       
 石見銀山の石工技術を信仰遺跡にし、石窟内に五百羅漢を収め中央に石造の釈迦三尊仏左右にそれぞれ二五〇体ずつ収められた。石見銀山は室町時代博多の商人が開発。銀をめぐって度々戦いがあった。徳川時代に幕府の管轄になった。銀山の入り口には厳重に見張りが置かれ町には代官屋敷の跡が数多く残っている。女子供たちは掘り出された砂利や土砂の屑から金のくずを拾って銀を探した。
  
 大森銀で栄えた町の散策はレンタルの電動自転車で回った。久しぶりに自転車に乗った。                                                    

金子みすずのふるさと仙崎

2011年10月07日 | 日記
   
鯨館 対岸からの鯨館の写真   昔捕鯨が盛んな港であり鯨のお墓もあった鯨の胎児700体埋葬された 


海上レストラン残念ながらいい雰囲気のお店で釣堀もありましたが現在営業されてません.惜しいですねえ!

長門で宿泊して青海島を訪れた、途中金子みすずの生家のところに記念館が建てられていた。26歳の若さで子供
を残しての自殺、その後に大ブレークして一躍有名に、まさに海辺で育ったようすなど詩情豊かな詩がたくさんあります。旅館にも彼女の詩が大きく掲げられていた。
 大漁 朝焼け 小焼けだ
    大漁だ 
    浜は祭のようだけど
    海の中では何万の
    いわしの  とむらいするだろう。  私の好きな詩のひとつ