OECDが3年に1度実施している国際的な学習到達度調査(PISA)において,日本は各項目において学力低下が進んでいることが明らかとなりました。
これをうけて文部科学省は学習指導要領の見直しの前倒しなどを実施する模様です。
日本、数学10位に後退=下がった読解力も前回並み-OECD15歳調査 (時事通信) - goo ニュース
ゆとり教育だけが悪いんじゃないけどなあ・・
このニュース,多くのコメンテーターが「ゆとり教育の弊害」と指摘しており,とにかく「脱ゆとり」みたいな論調を得意げに展開していました。
もちろん,ゆとり教育の弊害が皆無であるとは言えず,いわゆる基礎学習時間が削減されたことが今回の結果に影響しているということ事態は否定できません。
しかし,今回の調査で分かったことは,「応用力の低下」です。そして,ゆとり教育とは詰め込み教育で問題となっていた「応用力が養えない」という点をフォローするために始められた制度なのです。
さらに,PISAの調査は2000年から実施されたものであり,日本がちょうどゆとり教育に切り替えてその成果が出始めたあたりからスタートしている調査にすぎないのです。
とすると,ゆとり教育だけに責任を押し付けるのは筋違いといえるでしょう。
もちろん,応用力の低下は非常に由々しき問題であり,この点を改める必要があるのは事実です。
では,応用力が低下した背景はどこにあるのでしょうか。その点をまずは検討する必要があるといえるのです。
かつて詰め込み教育時代に応用問題が苦手という背景は,「暗記中心主義」の副作用で「問題が読めない」という点した。例えば,「1+1は」と聞かれれば「2」と答えられるのですが,「りんご1つとみかん1つ,あわせて果物はいくつある」と聞かれると答えられなくなるというものです。もっと実感のある例をだすと,小学校の算数でやる「食塩水の濃度」の問題などはかなり悩んだ人が多かったのではないでしょうか。あれこそ,まさに応用問題の典型です。
ところが,近年の応用問題苦手の背景にはどういうものがあるでしょうか。もちろん,「問題が読めない」という点があるのは今でも同じですが,それ以前に「応用を解く前の基礎学力が低下している」ことや,「そもそも解こうとしない」という敵前逃亡型,予備校が中心となる「マニュアル教育」などが考えられます。特に,敵前逃亡型やマニュアル教育型が顕著だなあと感じるのは,子供たちにある問題を解かせようとすると,1分もしないうちに「答え教えて!」と言ってくることが多いという点です。応用問題なので,考える時間が必要なのですが,問題読んだ瞬間に「考えることを放棄」して,「まあ,答え聞いておけばいいや」という発想になってしまうのです。つまり,「自分で考える」という作業をすることをまったく学んでいないということです。また,マニュアル教育型の場合は,予備校が逆に「応用問題のパターン集」を作り,それを学ばせて理解したつもりになっているのですが,これは実際はパターンの暗記にすぎません。
ちなみに,マニュアル教育型については,近年の資格試験(司法試験,公認会計士試験等)においても,その問題点が指摘されており,受験生が論証といわれる論文模範解答を暗記して試験に臨み,その暗記した問題を答案に吐き出すというスタイルが主流となっています(当然,試験委員もあの手この手で丸暗記だけでは太刀打ちできないような問題を作り始めていますが。)。
いずれにしても,話は戻りますが,この調査は「応用問題が弱い」ということが判明したに過ぎないわけですから,犯人探しよりもまず「応用力が強くなる教育」を考えればいいだけの話なのです。
さらにいえば,総合順位の上位は必ずしも先進国ではありません。つまり,上位の国の多くは「スーパーエリートもいないが,まるでだめ夫くんもいない」という感じの子供たちが多いものと思われます(フィンランドはその典型例です。)。
とすると,日本の場合,「スーパーエリートとまるでだめ夫」の格差が徐々に開き始めてきているともいるのではないでしょうか。もちろん,日本の場合,スーパーエリートをさらに伸ばすという教育ルートが確立されていませんから,この辺もしっかりと方針を見極めなければならないといえるでしょう。
格差教育を容認するのか,それともエリートを伸ばさなくても底辺底上げを図るのか,あるいはエリートを伸ばしながら底辺の底上げも図るのかなど基本方針も考える必要があるでしょう。
とにかく,「ゆとり教育が悪かった。めでたしめでたし。」で終わりにしてはいけない問題といえるでしょう。
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http://blog.livedoor.jp/ktu2003/archives/51238005.html
これをうけて文部科学省は学習指導要領の見直しの前倒しなどを実施する模様です。
日本、数学10位に後退=下がった読解力も前回並み-OECD15歳調査 (時事通信) - goo ニュース
ゆとり教育だけが悪いんじゃないけどなあ・・
このニュース,多くのコメンテーターが「ゆとり教育の弊害」と指摘しており,とにかく「脱ゆとり」みたいな論調を得意げに展開していました。
もちろん,ゆとり教育の弊害が皆無であるとは言えず,いわゆる基礎学習時間が削減されたことが今回の結果に影響しているということ事態は否定できません。
しかし,今回の調査で分かったことは,「応用力の低下」です。そして,ゆとり教育とは詰め込み教育で問題となっていた「応用力が養えない」という点をフォローするために始められた制度なのです。
さらに,PISAの調査は2000年から実施されたものであり,日本がちょうどゆとり教育に切り替えてその成果が出始めたあたりからスタートしている調査にすぎないのです。
とすると,ゆとり教育だけに責任を押し付けるのは筋違いといえるでしょう。
もちろん,応用力の低下は非常に由々しき問題であり,この点を改める必要があるのは事実です。
では,応用力が低下した背景はどこにあるのでしょうか。その点をまずは検討する必要があるといえるのです。
かつて詰め込み教育時代に応用問題が苦手という背景は,「暗記中心主義」の副作用で「問題が読めない」という点した。例えば,「1+1は」と聞かれれば「2」と答えられるのですが,「りんご1つとみかん1つ,あわせて果物はいくつある」と聞かれると答えられなくなるというものです。もっと実感のある例をだすと,小学校の算数でやる「食塩水の濃度」の問題などはかなり悩んだ人が多かったのではないでしょうか。あれこそ,まさに応用問題の典型です。
ところが,近年の応用問題苦手の背景にはどういうものがあるでしょうか。もちろん,「問題が読めない」という点があるのは今でも同じですが,それ以前に「応用を解く前の基礎学力が低下している」ことや,「そもそも解こうとしない」という敵前逃亡型,予備校が中心となる「マニュアル教育」などが考えられます。特に,敵前逃亡型やマニュアル教育型が顕著だなあと感じるのは,子供たちにある問題を解かせようとすると,1分もしないうちに「答え教えて!」と言ってくることが多いという点です。応用問題なので,考える時間が必要なのですが,問題読んだ瞬間に「考えることを放棄」して,「まあ,答え聞いておけばいいや」という発想になってしまうのです。つまり,「自分で考える」という作業をすることをまったく学んでいないということです。また,マニュアル教育型の場合は,予備校が逆に「応用問題のパターン集」を作り,それを学ばせて理解したつもりになっているのですが,これは実際はパターンの暗記にすぎません。
ちなみに,マニュアル教育型については,近年の資格試験(司法試験,公認会計士試験等)においても,その問題点が指摘されており,受験生が論証といわれる論文模範解答を暗記して試験に臨み,その暗記した問題を答案に吐き出すというスタイルが主流となっています(当然,試験委員もあの手この手で丸暗記だけでは太刀打ちできないような問題を作り始めていますが。)。
いずれにしても,話は戻りますが,この調査は「応用問題が弱い」ということが判明したに過ぎないわけですから,犯人探しよりもまず「応用力が強くなる教育」を考えればいいだけの話なのです。
さらにいえば,総合順位の上位は必ずしも先進国ではありません。つまり,上位の国の多くは「スーパーエリートもいないが,まるでだめ夫くんもいない」という感じの子供たちが多いものと思われます(フィンランドはその典型例です。)。
とすると,日本の場合,「スーパーエリートとまるでだめ夫」の格差が徐々に開き始めてきているともいるのではないでしょうか。もちろん,日本の場合,スーパーエリートをさらに伸ばすという教育ルートが確立されていませんから,この辺もしっかりと方針を見極めなければならないといえるでしょう。
格差教育を容認するのか,それともエリートを伸ばさなくても底辺底上げを図るのか,あるいはエリートを伸ばしながら底辺の底上げも図るのかなど基本方針も考える必要があるでしょう。
とにかく,「ゆとり教育が悪かった。めでたしめでたし。」で終わりにしてはいけない問題といえるでしょう。
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http://blog.livedoor.jp/ktu2003/archives/51238005.html
力づくで抑えようってのは自律する事を放棄してるワケで。
子は親の鏡と言いますが、大人の方に応用力を伸ばそうという考えが欠落してるからこういう馬鹿な発想が出てくるワケで、自由を奪おうと熱心な社会に応用力なんて出てくるんでしょうかね?
今、ワンクリックの時代で疑似体験はいくらでもできますが、実際、物に触れる機会が減ったせいなのではないでしょうか?
算数はりんごとみかんの数から覚えさせようと思ってます。自然と身につくといいのですが。
理科は主人が得意で、発想の世界がすごいもの。生活に一番密着してて、面白いと思うんだけどなぁー。。。まぁ読解力もないと解けないですけどね。
そうなんです。この経験値というのが大切なのです。
応用問題だって,いきなり完璧に解けるわけではなく,いろいろと経験した中から「そうだ,この方法だ」などと気がついていって解けるようになるのです。
もっといえば,そういった経験値を高めるためにいろいろな視点から物事が見られるようにするためとして始められたのが「ゆとり教育」だっただけに,うまく活用できなかったところが残念でなりませんね。
国は,「国家に従順な国民たれ」という発想になりやすい為,国民を統治するためには,「思考停止状態の国民を量産する」ことが望ましいのです。
とすれば,実は今の日本の教育制度は,内心で「思考停止従順国民の量産」を画策しているのかもしれませんね。
いろいろなものに触れないから,物事に対する素朴な疑問というのが涌いてこないのかもしれませんね。
例えば,春タンポポが咲いたときに,「なぜ,ここにタンポポが咲くのか」などということは,実際にタンポポを見ないとなかなか思いつかないでしょうし,あの綿帽子に自分で息で吹きかけるような遊びをしなければ,タンポポがどうやって育つのかという疑問を持たないでしょう。
いろんな経験をさせること,それが大切なのかもしれませんね。
簡単そうですが,便利な時代になった今ではそこが一番大変かも知れません。