やっち@十月祭とビール好きの部屋

町田の小さな麦酒屋さんの奮闘記と、訪れた仲間たちのブログです

飛騨高山麦酒カルミナ

2017-11-07 21:41:12 | 日記
十月祭潜在サポーターの皆さんこんばんは!
イベントを終えて。
例のごとくしんみりとした十月祭です。

飛騨高山麦酒から、季節限定レッドボック開栓しました。
これは濃いビールですが私は意外とマースでもいけちゃいますが、お酒の弱い方へはハーフを推奨します。

スリランカでは“黒い宝石“という意味のカルミナ、根強いファンのいるビールですね!
10%の度数と芳醇な薫り強いボディからグラスでしかお出しできません。
バーレーワインが空き次第の開栓です。
お待ちしております。(^^)/

政治家の仕事

2017-11-07 12:39:29 | 日記
佐藤智子 「色んなこと調べてるうちにさぁ、シングルマザーの問題とか、介護の問題とか、子供の挨拶とかさ、それって一馬君の問題だけじゃなくて、世の中の問題なんじゃないかって…。」

一馬 「だったら世の中変えてくださいよ!」

智子 「そうっ!それ!
なんかさ、政治の仕事ってさぁ何だかよく分かんなかっただけど、先ずは目の前にいる人なんだよ。
目の前にいる人を一人ずつ幸せにすれば、世の中変えられるんじゃないかって…。
教えてくれてありがとう!」

(中略)

智子 「一人じゃどうしようもないことを何とかするのが政治家、佐藤智子!
先ずは目の前の人から幸せに!そして世の中ぜーんぶ幸せにしてみせます!」

(ドラマ“民衆の敵~世の中、おかしくないですか!?~“より抜粋”)

両親が苦労することないように育ててくれたので、厳しかったし規制は多かったけど、お金に不自由なく育ちました。
て言うか、周りもそうだからそこに感謝したかって言えばしてないです。
さらに恵まれてる家庭のこと羨ましく思っていました。

甘えてました。

大学でて、腰掛けで就職して、結婚して、子供を育てて、稼ぎのよい旦那さんに養ってもらうつもりでいました。
子育てが落ち着いたら、ボランティアしながら社会に貢献したいなってのが夢でした。

まさか自営することになるなんてね。

自活して分かった。
私が考える人並みの生き方って、かなり恵まれてたんだよね。

極貧に陥っても、家賃が払えなくても、食事がとれなくても、どうしてもお金を心から欲する気持ちにはなれない。

雇われている時はできるんだ。
だってそこに“雇い主の意向”があるからね。
売ればいい。
成績あげればよい。そして評価の対価をもらう。
簡単なことです。どうやれば流行るか、売れるか?なんてチョロいです。
結構営業は向いてるんです。

しかし、自分のためとなるとやけに真面目に考えちゃって…
やっていて楽しいのか?
それが自分を幸せにするのかさ。

そう言う意味では私は商売が下手です…。

でもね、幼い頃から願っていたのは変わらないんだ。

世界が平和で、皆の心が豊かで、愛する人たちと、温かな寝床で安心して眠れること。

幼い頃から教会に行ってたのもあるかな。
病院慰問したり、募金箱持って街角に立ったり。
褒められる、感謝されるのは気持ちがよかった。

今みたいにちっぽけな店を一人で切り盛りしてるようじゃ世界は変わらないけど、来てくれたお客さんを幸せに導いてる自信はあるんだ。

乗ってた電車の広告に、11月3日発売、石井ゆかり最新版“三年の星占い”天秤座「限りない優しさをもって“居場所”をつくる」って貼ってあった。
“私の場所“じゃなくて、“各々の居場所“を見つけてあげるってことなんだね。
なんかそれ、私の生き方かもしれません。

各々の居場所をつくる

政治家じゃないけれど、それに近い仕事してるんだよね。
資金と権力さえあれば、もっとできることあるのだけれど。

今の私にはこれが精一杯。

セーフティネット

2017-11-07 12:08:51 | 日記
※平田和美 「思えば思うほど追い詰められて、空回りして、裏腹なことして、自己嫌悪に陥って…
そう言う時にさあ“助けてー!”って言える人が近くにいるかいないか、それってとっても大事なことなんだよね。」

※佐藤智子 「それが、セーフティネット…。」

※平田和美…石田ゆり子
佐藤智子…篠原涼子

(ドラマ“民衆の敵~世の中、おかしくないですか!?~”より抜粋)

和美は出版社の記者。
ボランティアで智子の政治活動を手助けしつつ、智子に感じるものあって理想と期待を抱いている。
智子宅で和美がつい思いをつぶやくシーン。
“セーフティネット”と答えた市議会議員の智子自身、その言葉を覚えたばかりと言うのがちょっと笑える。

幼少を大阪のある地域で過ごした私。
思えば貧困で危ない環境だった。
子供たちは当時から集団登校。父兄やボランティアさんがその道をガードしてくれていた。
ちょっと遅くなると、子供たちの影はすっかりなくなって、遅くなった時はかなり怖かったっけ。
実際、誘拐されそうにもなっている。
確か、小学二年生の時、同学年の女の子が殺された。
卒業してからも同じ学校の卒業生が、ナイフもって学校に乱入。
無事にこの歳まで生きてこれて良かった。

親は子供を叱るために安易に表に出したりするが、私の場合そのまま出ていってしまう。
悪いと思えばすぐに謝る方だし根にも持たないが、悪くもないのに絶対謝らないからね。

外にいる私を見つけて、近所のおばちゃんが家に入れてくれたなぁ。
普通にご飯食べてテレビ観て、いい子にしていたもんで、親は焦っただろうね。

最初の結婚で、川崎駅から徒歩10分くらいのマンションに住んでいた。
大家さんが最上階に住んでいて、たまにお家に呼ばれたりしたんだけど、当時川崎球場の試合が見えたっけ…。

周囲ともなかなか上手く生活していたんだけど、気になることがあった。

隣の家からたまに聴こえた女児の悲鳴。
虐待なんだろうか?
常日頃思っていたのだけれど、ある日のこと、どうやら外に出されたようで「ごめんなさーい!」と叫んでいるのが聴こえてきた。

昔からお節介で見過ごせない性格なので、すぐに出ていった。

そうしたら、冬の寒空にパジャマ一枚裸足でドアの前に佇む女児。
「うちに来る?」
言ってみたけれどだんまり…。

そりゃそうだよな。この子にしてみれば私が“不審者”だわ…。(^_^;)

結局、家から毛布を持ってきて、その子にかけて、しばらくの間一緒におしゃべりしたなぁ。

孤独な老人とか、独居とか、そんなの知らね。
自分が長年積み重ねてきたものが現在の自分の姿。
人付き合いは面倒臭い。
人の面倒を見たところで感謝されないかもしれないし、逆に鬱陶しがられたり避けられたりするリスクもある。

それでもやらなきゃダメなんだよ!

そうならない努力を若い頃してこなかったのだから仕方ない。

それか、今からでも出来る努力をしてみてください。

自分が変われば相手も変わる。
相手が変われば社会も変わる。