VORロシアの声より東と西のニュースをひとつずつ。
キリル総主教聖下は今イスラエルだそうです。
聖墳墓教会の水道代の件はどうなったかねえ…
ローマの教皇様がツイッターをお始めになるとのこと。
まあ記事にもあるようにご自分でつぶやいたりはなさらないだろうけど。
「サン・ピエトロなう」とか出たら世界中大興奮なのにwww
さて英国では次代のカンタベリー大主教が決まりました。
MSN産経ニュースより。
英大主教にウェルビー氏
英政府は9日、英国国教会の最高位聖職者であるウィリアムズ・カンタベリー大主教の後任に英中部ダラムのジャスティン・ウェルビー主教(56)が決まったと発表した。英メディアによると、来年3月に就任予定。国教会の選考委員会での選出を経て、同日、国教会の最高権威者であるエリザベス女王が任命した。(続きはリンク先をご覧下さい)
56歳って若っ!
リンク先では奥さんといい雰囲気の写真が出ています。
てか英国国教会の大主教て任期を自分で決められるんだ?
上がりポストってわけでもないようだし。ふむふむ。
最後に何つーか「田舎司祭の日記」を彷彿とさせるというかけなげで尊い神父さんの話。
中央日報より。
“精神的苦痛が蔓延した国”韓国、それでも人生の苦痛を抱え込まなければ
司祭チリロ。2週間前に他界した40歳の若いカトリック司祭です。彼はその日の午前、釜山(プサン)で日程があるといって、杖を突いて京畿道楊州市の司祭館を出ようとしていました。しかし彼の体調が非常に良くなかったので、同僚の神父たちが強制的に病院に連れて行きました。彼は数週間前から杖を突いて歩いていました。そのような状態でも、車がなかった彼はいつものようにミサに必要な祭服と本が入った重いリュックサックを背負って出退勤し、呼ばれるところに行ってミサを行いました。 彼は病院に入って12時間後に亡くなりました。すでに肺がん末期で、全身にがん細胞と炎症が広がっていました。家族も同僚も誰も気づきませんでした。彼はその時まで泰然と普段の日常生活を続けていたからです。(続きはリンク先をご覧下さい)
(´;ω;`)ブワッ
キリル総主教聖下は今イスラエルだそうです。
聖墳墓教会の水道代の件はどうなったかねえ…
キリル総主教、イスラエルに到着
| 10.11.2012, 13:16 |
![]() | モスクワおよび全ルーシの総主教キリルは聖地への巡礼の枠内でイスラエルに到着した。巡礼は14日まで続く。 引用元: VOR ロシアの声. |
ローマの教皇様がツイッターをお始めになるとのこと。
まあ記事にもあるようにご自分でつぶやいたりはなさらないだろうけど。
ローマ法王も Twitterを開始
| 10.11.2012, 13:00 |
![]() | バチカンは、ベネディクト16世のマイクロブログをスタートさせる準備がすべて整った。法王のスポークスマンを務めるフェデリコ・ロムバルディ氏によれば、今年の末にもTwitterに法王のメッセージが登場する。 バチカンの社会コミュニケーション評議会の会長であるクラウディオ・マリア・チェリー大司教は「当然、一つ一つのメッセージについて、法王が個人的に承認する事になるだろう。法王の最も重要な発言の中の主要な考え、恐らくは毎週恒例の日曜日の説教などがTwitterで流される事になる」と伝えた。なおバチカンは、数か月前に@BenedictusPPXVIというユーザー名を登録した。 当然、85歳のベネディクト16世が、御自分でTwitterするとは考えられない。よく知られているように、法王は普段の生活の中でコンピューターを使わず、神学上の著作などは昔ながらの手書きで、それも鉛筆を使って書いている。 引用元: VOR ロシアの声. |
「サン・ピエトロなう」とか出たら世界中大興奮なのにwww
さて英国では次代のカンタベリー大主教が決まりました。
MSN産経ニュースより。
英大主教にウェルビー氏
英政府は9日、英国国教会の最高位聖職者であるウィリアムズ・カンタベリー大主教の後任に英中部ダラムのジャスティン・ウェルビー主教(56)が決まったと発表した。英メディアによると、来年3月に就任予定。国教会の選考委員会での選出を経て、同日、国教会の最高権威者であるエリザベス女王が任命した。(続きはリンク先をご覧下さい)
56歳って若っ!
リンク先では奥さんといい雰囲気の写真が出ています。
てか英国国教会の大主教て任期を自分で決められるんだ?
上がりポストってわけでもないようだし。ふむふむ。
最後に何つーか「田舎司祭の日記」を彷彿とさせるというかけなげで尊い神父さんの話。
中央日報より。
“精神的苦痛が蔓延した国”韓国、それでも人生の苦痛を抱え込まなければ
司祭チリロ。2週間前に他界した40歳の若いカトリック司祭です。彼はその日の午前、釜山(プサン)で日程があるといって、杖を突いて京畿道楊州市の司祭館を出ようとしていました。しかし彼の体調が非常に良くなかったので、同僚の神父たちが強制的に病院に連れて行きました。彼は数週間前から杖を突いて歩いていました。そのような状態でも、車がなかった彼はいつものようにミサに必要な祭服と本が入った重いリュックサックを背負って出退勤し、呼ばれるところに行ってミサを行いました。 彼は病院に入って12時間後に亡くなりました。すでに肺がん末期で、全身にがん細胞と炎症が広がっていました。家族も同僚も誰も気づきませんでした。彼はその時まで泰然と普段の日常生活を続けていたからです。(続きはリンク先をご覧下さい)
(´;ω;`)ブワッ