VORロシアの声より、「六千人の命のビザ」杉原千畝さんの記事です。
なして今彼の記事?と思ってよく見たら、カリーニングラードで展示会が開かれているとのこと。
そういえばドラマで反町が演ってたっけなー。
まあ熱意は買うけどうーむ…って感じだった記憶が。
今日は聖マトロナ・モスコフスカヤの生誕祭だそうです。
こういうローカルな祭日もいいよね。
日本ローカルはニコライ祭だけだけど、まあ、まだたかだか伝わって150年くらいだからしょうがないです
ロシアで1000年、ギリシャで1500年ってのに比べたらまだまだヒヨッコだ。
勇敢なキリスト教徒 従順ならざる官僚
ダリヤ デニソワ | 20.11.2012, 21:09 |
![]() | ロシアの街カリーニングラードでは日本人外交官、杉原千畝をテーマにした展示会が始まった。1940年代、杉原氏はカリーニングラード(当時、ドイツ領のケーニヒスベルグ)で領事を務めた。第二次世界大戦の初期、杉原氏はナチスの収容所に送られたであろうユダヤ人数千名の命を救った。 杉原千畝のキャリアは当時多くのロシア人移民が住んでいたハルビンから始まった。そこで杉原氏はロシア語を勉強し、正教の洗礼を受けた。満州国およびヘルシンキで勤務した後、リトアニアの首都カウナスに副領事として赴任した。当時、欧州ではドイツとの戦争が広がり、多くの欧州諸国はユダヤ人難民の受け入れを拒否していた。そこで数少ない窓となったのがリトアニアだった。ここではユダヤ人に同情的な外交官2名がいた。オランダ領事ヤン・ズワルテンダイクと日本副領事杉原千畝だった。彼らはオランダ領キュラソー島への出国ビザをユダヤ人に発給する計画を立てた。しかしそのためにはソ連もしくは日本を経由することが必要だった。日本の通過査証を与えたのが杉原千畝だった。カリーニングラード州歴史芸術博物館のマリヤ・テプリィシェワ広報担当は次のように語っている。 ―展示会では外交史上見たこともないような書類が展示されています。この証明書の右側には在リトアニアオランダ領事のヤン・ズワルテンダイクの印鑑で「キュラソー島へのビザは必要なし」と書かれています。その左側には杉原千畝による日本の通過査証があります。これは「命のビザ」と呼ばれていました。これは2000枚以上が発給されました。これは家族に対して発給されたもので、家族は3-4人ですから、6千人から8千人のユダヤ人が救われたことになります。 引用元: VOR ロシアの声. |
なして今彼の記事?と思ってよく見たら、カリーニングラードで展示会が開かれているとのこと。
そういえばドラマで反町が演ってたっけなー。
まあ熱意は買うけどうーむ…って感じだった記憶が。
今日は聖マトロナ・モスコフスカヤの生誕祭だそうです。
モスクワ市民の篤い信仰を集める、聖女マトローナの生誕日
| 22.11.2012, 23:07 |
![]() | 11月22日はロシア正教の至福聖女マトローナ・モスコーフスカヤの生誕を祝う日にあたる。聖マトローナはモスクワの市民がもっとも敬う聖人のひとり。タガンカ地区にあるモスクワ・ポクロフ修道院には、マトローナの聖骸を参拝し、災いを取り除いてもらおうと、毎日のように多くの巡礼者が集まってくる。 マトローナの正式な名前はマトローナ・ドミートリエヴナ・ニコノヴァ。1881年11月22日にトゥーラ県の子どもの多い農民の家庭に生を受けた。マトローナは生まれつき目が見えなかったが、幼い頃から危険なこと、天災が近づくとそれを予知する能力を備えていた。 マトローナは社会主義革命の到来も予知し、やがて盗みが横行し、教会が壊され、皆がこぞって追放されるだろうと語っていた。 のちに、マトローナは自分に病気を治す力があることに気がつく。マトローナの治癒能力は知れ渡り、近隣の村や州から病人たちがやってくるようになった。人々の深い悲しみを共に分かち合うことでマトローナはすっかり力を使い果たし、日が暮れるころにはものを言う力もなかったといわれる。 引用元: VOR ロシアの声. |
こういうローカルな祭日もいいよね。
日本ローカルはニコライ祭だけだけど、まあ、まだたかだか伝わって150年くらいだからしょうがないです
ロシアで1000年、ギリシャで1500年ってのに比べたらまだまだヒヨッコだ。