陰陽師新井健一郎のblog
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きょう朝食を済ませていつもの様にドトールコーヒーに行っていたら電話が御客様から入った。
その内容は自分の友人の兄嫁の事だった。この人の嫁さんは、亡くなっており以前住んでいた家屋に一人でいるが、この家屋に現在は誰も住んでおらず空き家なっている。何故だろう何でこの様な所にいるのだろうか?
その答えは直に分かった。この家での生活の未練があり、ついこの前の出来事ように思えて上がらないのだ。
上るのがつらいと言った方が良いのかも知れない。自分はまだ生きて生活をしていたかった。
この人は天上人(天界に上がれる人)で、どちらにしても一度天界に上ってからこの世に戻れば良い事なのに、しかしそれが出来るのか分からないでいるのかも知れない。
御客様の友人の兄から直接連絡してくれる様に頼んだ。
人にもよります、がなかなか亡くなった事が分かってもそれを受け入れる事が出来ない人がいます。
これは人における特徴でしょうか?
生きていた時の心構えなのでしょうか?
私には両方あると思いますが。
霊的障害を起こさない為にはどうしたら良いのか?
そのヒントは日常生活にあるようです。自分が蒔いた種は自分が刈り取るしか有りません。良い種を蒔けば良いものを収穫する事が出来ます。
それとは反対に悪い種を蒔けば悪いものを収穫する他有りませんので、悪い種を蒔けば運は下がる事になります。
蒔いた種は必ず生えてきます。
愚痴や誹謗中傷ばかり言って人の足を引張るような事をする人は、今度は人から自分の足を引張られてしまい運は下がってしまう事でしょう。
逃げ得など無いものです。今生で出なくとも来世で出る事があります。
自分の宿命(変える事が出来ないもの)を受け入れ自分のやるべき事に精進していれば運は良い方に行くことでしょう。
人生は一つの無駄も無いと言われていますが、何故この世に生まれて来たのかと言う事です。喜怒哀楽を経験し感動を得て魂を磨く為のようです。
この前テレビである人が言っていた事があります。この資本主義の世の中に生まれて金の稼げないやつはバカだ。
と言っていた芸能人もいましたが、唯一物質主義者だと思います。このような人も世の中必要なのかも知れません。
色々な考えの人がいて、喜怒哀楽をとうし学び感動し魂は磨かれていくのですから。
人は必ず死が訪れます。あの世に持って行かれるものは経験と学びだけです。
御祓い(除霊)していていつも思う事は悪い因縁をつくらない事だと思います。必ず因果となり現れてきます。