調和したとか調和しているとか耳にすることがあるが、goo辞書によると調和とは「全体がほどよくつりあって矛盾や衝突などがなく、まとまっていること。また、そのつりあい。」と書かれている。goo辞書は用語の意味を示しているだけでただそれだけの話だ。しかし本当にこの説明に該当する存在はあるのか?よくかんがえてみればそんなことは森羅万象どこを見てもありえない。人間一つとってしても自己主張している。本当に調和がそんざいするならば世の中の発展などありえない。ただ一瞬だけは存在することはあるがすぐに崩れ去りつり合いは取れなくなりそこでまたつりあうように変化していく。この営みが永遠と続いていく。また、人間は認知的不協和を起こしながら生き発展させている。例えば甘味が好きでチョコレートやケーキをよく食べずにはいられないが食べれば太って血糖も上がってしまう。だが精神的には満足が得有れる。この場合太ることや血糖値が上がることは嫌だから食べないか、太って血糖値が上がっても精神的満足にはよいから食べるか選択に迫られる不協和状態だ。そこで人間はどちらかを選択するのかこれを打開するよい方法があるか考え試行錯誤してどれだけ甘味を食べても血糖値上昇や太ることのないサプリメントを開発したりすることだろう。(要望が多く経済的にも採算が取れる前提の話だが)まだまだ例を上げればきりがないがこうして世の中発展して行く。もし全て調和のとれた世界が存在するならばその世界は何の発展もない世界だろう。
私の世界とて同様だ。陰陽師の千年前の古典芸能的な術など全く必要でなくなったというよりは現在では使い物にはならなくなったと言う方が正しい。また私は神仏がいなくとも全く問題なく術同様に発動させることができる。これらの発展もまた止まることはないだろう。