久しぶりに観劇。梶山季之原作ジェームス三木脚本の“族譜”。昭和十年代の頃のことだ。日本が植民地化した朝鮮。そこで強制した創氏改名を通して、ある家庭を描いている。日本に協力的な土地の有力者が度重なる改名への押さえつけにも屈せず生きていこうとするが、次第に暴力的に押し寄せてくる官憲たちや兵隊たち、そしてわが子たちが通う学校でのいじめや退校命令にやむなく命を賭して名字を改名していくという話だ。
日本では私たち、特に若い人など、ひとつのディスプレーみたいに着飾るように響きのいいかっこよさげな名をつけたりして、家のこととか先祖のことなどそれほどり考えない。しかし、朝鮮という国では一家の家宝として家系図のような族譜というものが連綿と受け継がれてきており、そこに惣領として名前を刻んでいくことは、自分の人生全てを名前として書きしるしていくくらい大変重要だという。先祖から受け継いできた命の繋がりという縦の糸とこの苦難の多い時代に私が力一杯生きてきましたという横の糸の交じったところが私の命であり名前であるという。木が一輪いちりん年輪を刻むように族譜に名を入れていくことは命がけのことらしい。木を分析すればその時代がわかるというが族譜には世の中の出来事もしるされ、はるか昔、秀吉に残虐無惨に蹂躙された朝鮮民族のことも書かれているという。それほど重い名を日本人たちは改名させたのだ。そして、主は、アリランを哀愁をこめてうたいおどり、明くる朝、改名を受入れ、族譜に名を記し、そして井戸に大きな石を抱えて身を投げた。娘と抗日青年との束の間の愛や、子供たちの踊り、歌、そして鬼のような日本人や情けをかける日本人などいろいろ織りなすドラマがユーモアもあって笑いもこぼれるときもあったが総じて、内容は重かった。青年劇場の方たちが心をこめて演じてくれたのだろう。私の心にとても響いてくれた。場内の空気はシンと時が止まったようだった。ちょっと力が抜けたような疲労感がある。
たしか梶山季之ってよく新聞の広告に載った流行作家だったんじゃ?とうっすら記憶していたがこんな真摯なものを書いていたとは。私の命の少し前にはこのようなことが地上で繰り広げられていたのだ。ある逃れられない恐ろしく苦しい状況に陥った朝鮮人の一家を疑似体験した怖い劇だった。秋の夜長の観劇。
日本では私たち、特に若い人など、ひとつのディスプレーみたいに着飾るように響きのいいかっこよさげな名をつけたりして、家のこととか先祖のことなどそれほどり考えない。しかし、朝鮮という国では一家の家宝として家系図のような族譜というものが連綿と受け継がれてきており、そこに惣領として名前を刻んでいくことは、自分の人生全てを名前として書きしるしていくくらい大変重要だという。先祖から受け継いできた命の繋がりという縦の糸とこの苦難の多い時代に私が力一杯生きてきましたという横の糸の交じったところが私の命であり名前であるという。木が一輪いちりん年輪を刻むように族譜に名を入れていくことは命がけのことらしい。木を分析すればその時代がわかるというが族譜には世の中の出来事もしるされ、はるか昔、秀吉に残虐無惨に蹂躙された朝鮮民族のことも書かれているという。それほど重い名を日本人たちは改名させたのだ。そして、主は、アリランを哀愁をこめてうたいおどり、明くる朝、改名を受入れ、族譜に名を記し、そして井戸に大きな石を抱えて身を投げた。娘と抗日青年との束の間の愛や、子供たちの踊り、歌、そして鬼のような日本人や情けをかける日本人などいろいろ織りなすドラマがユーモアもあって笑いもこぼれるときもあったが総じて、内容は重かった。青年劇場の方たちが心をこめて演じてくれたのだろう。私の心にとても響いてくれた。場内の空気はシンと時が止まったようだった。ちょっと力が抜けたような疲労感がある。
たしか梶山季之ってよく新聞の広告に載った流行作家だったんじゃ?とうっすら記憶していたがこんな真摯なものを書いていたとは。私の命の少し前にはこのようなことが地上で繰り広げられていたのだ。ある逃れられない恐ろしく苦しい状況に陥った朝鮮人の一家を疑似体験した怖い劇だった。秋の夜長の観劇。