
1.憲法14条には、すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。と書かれている。
ここから、かつては、「法の下の平等」とは、①法を執行し適用する行政権・司法権が国民を差別してはならない、という法適用平等 の意味なのか、②法を定立する立法権もまた平等原則に拘束され、法の内容そのものも国民を平等に取り扱うべきだ、という法内容平等なのかという論点があった。
しかし、今日では、文言にとらわれた法適用の平等説を採用する人はいないだろう。
2.次の論点は、「平等」とは何を意味するのかである。絶対的平等か相対的平等かの議論である。
これも相対的平等というのが常識的判断だろう、つまり、 法の下の「平等」は、「各人の性別、能力、年齢、財産、職業、人と人との特別な関係などの種々の事実的・実質的差異を前提として、 法の与える特権の面でも法の課する義務の面でも、同一の事情と条件の下では均等に取り扱うことを意味することである」。
つまり、「平等」は絶対的・機械的平等ではなく、相対的平等である。置かれた状況に違いがあるのだから、取り扱いに差があっても、それが社会通念からみて合理的であるかぎり、その取扱い上の違いは平等違反ではないとされる。
3.そこでポイントになるのは、恣意的な差別ではなく、「合理的な取り扱いの違い」といえるかどうかである。
これは基本的には、自由権の違憲審査基準と同じ議論になっていく。
判例は、合理的関連性の基準を取る。
①規制目的(立法目的)の正当性、
②規制手段(立法目的達成手段)と規制目的との間の合理的関連性、
③規制によって得られる利益と失われる利益との均衡
丸めて判断する立場なので、実質妥当性が図れるが、時には、古い価値観にとらわれてしまって、時代を見失う判断がなされてしまう恐れもある。
学説の多くは、厳格な合理性の基準を取るものが多い、立法目的が重要なものであること、その 目的と規制手段(具体的な取扱上の違 い)との間に事実上の実質的関連性があることを論証する責任を公権力に負わ せるというものである。
ちなみに、芦部先生は、もっと厳しくて、14条1項後段に明示されている「人種、信条、性別、社会的身分又は門地」については、必要不可欠な公共的利益の基準を採用している。これらについて、異なる取り扱いをする際には、立法目的が必要不可欠なものであるこ と。かつ、立法目的手段が是非とも必要な最小限度のものであることを求めている。
4.判例の基準ならば、取り扱いの違いが広めに容認されるが、自治経営は、裁判ではないので、裁判に勝つ以前に、裁判にならないようにすることも重要である。助け合いや連携が基本の地方自治では、拠り所のひとつが、「納得性」である。
自治経営では、厳格な立場に立って、慎重に平等問題に対処していくべきだろう。納得性では、説明できる裏付けが必要で、違う取り扱いをする背景、理由を理論やデータで常に、用意しておくことが前提となる。アファーマティブ・アクションも逆差別と言われるようになってくるなど、人権感覚がシャープになっていることを忘れてはならない。
刑事事件では、尋問の映像も要求されるようになってきた。電話では、最近、トラブル防止のために、録音するというのが普通になってきたが、役所でも苦情や問い合わせ窓口では導入すべきだろう。
ドライブレコーダーは、安心できる制度で、トラブルも短時間で解決できるが、これを役所の窓口に導入するには、まだまだ抵抗があるので、当面は、水掛け論にならないように、きちんとメモを残す習慣をつけていくことだろう。