松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆コンプライアンスと政策法務

2009-01-10 | 1.研究活動
 制定法というのは、いつも後追いである。これは宿命的である。それは法をつくり、運用する政府の行動原理が、公平・公正だからである。つまり「みんなの課題」になってはじめて、法をつくることが許される。先手を打ってつくろうとすると、「みんなの課題ではない」とブレーキがかかるからである。
 自治体のコンプライアンスで学ぶべきは、①既存の法を知り、学ぶこととともに、②法は万全ではないこと(必要だけが用意されていない場合があること)、③市民の幸せを実現するという自治体の存在意義を踏まえて、(時には法を乗り越えて)、新たな法をつくっていくことも含まれる。①と③は時には矛盾し、対立するから、そこがコンプライアンス研修の難しさである。
 今日のコンプライアンス教育の弊害は、①に偏りすぎていることである。
 年寄りの昔話のようになってしまうが、今日では組織が職員を守らなくなった。「職員はしょせん役人の限界がある」と言う首長もいる。これでは、職員はリスクをおかさず、法に書かれていることしかやらなくなる。おかしいと思っても、形式を満たせば事務を粛々と執行する事なかれ主義でいくことになる。それで非難を受けるかもしれないが、この場合、怒られるのは、みんなだからである。それに対して、おかしいと思って法を踏み越え、形式に合致するような仕事を行わなかった場合、形式を守らなかったといって非難されるのは自分である。組織の上の人が、「形式は満たさないが実質的にはこちらのほうが法の趣旨に合致するし、市民の利益にかなう」と言ってくれないと、だれもリスクを冒さなくなる。誤ったコンプライアンスが、事なかれ主義を助長しているように思う。そのつけは結局、市民に行く。
 役所時代は何度か失敗したが、我が敬愛する部長は、「『松下を厳しく叱っておきました』と相手方(議員さん)にいっといたよ」と笑いながら私にいって、また私を煽るのである。乗せられた私は、また新たな課題に挑戦することになる。このような組織の溜めが、自治を切り開く源泉だと思うし、なによりも居心地がよかった原因である。この組織の溜めがなくなりつつあると感じたときが、大学に移ろうかと考え始めたときでもある。
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