
当たり前であっても、条例があれば安心する。条例のよりどころとしての機能である。
某市でまちづくり政策提案研修をやっているが、そのテーマの選定で、いつも相談に乗ってもらっている某市の特任職員のFさんに、「名簿を安心して使える条例を某市では、検討したことがありますか」と聞いたことがある。
少し基本から話をすると、ここでは、まちづくり政策研修をやっているが、5,6回検討して、最後に政策案をつくるという流れである。昨年、やってみて気がついたが、実際は、政策提案になっておらず、事業提案にとどまっている。おそらく、私の以前に担当した人が、研修業者の人で、役所のことが、よくわからないので、いま、どんな政策が必要なのか、政策提案は難しかったのだと思う。
むろん、事業提案も必要であるが、事業提案では、どうしても漸進型、改良型になってしまい、これでは、せっかく、時間をとるのはもったいないし、私がやる意味も乏しいと考えて、政策提案に徐々にシフトしようと考え、その下調べで聞いてみたのである。
いくつかアイディアを考えたが、そのひとつが、「名簿を安心して使える条例」である。つまり、個人情報保護は、個人の情報を守るという側面と同時に、個人の情報を活用して、暮らしを豊かにするという両面があるが、後者に光を当て、個人の情報を守りながら、それを大いに活用するというのが政策である。
ちなみに、個人情報保護は、OECDが最初にルールをつくった。1970年代である。OECDは経済協力開発機構なので、その主眼は貿易の自由である。貿易の自由を貫徹するために、個人情報保護に取り組んだ。
相談に乗ってもらっているFさんは、ベテランの弁護士さんで、事務所をたたんで、某市の特任職員になったが、仕事ぶりは出前型で、職員の法律相談に気楽にのるので、相談件数は、ものすごい。ベテランなのと頭の回転が速いので、速攻、返事が返ってくる。私も、困ると、相談メールを送るが、いつも、あっという間に返事が来る。
そこで、Fさんに、「名簿を安心して使える条例」の検討状況を聞いたが、「はじめて聞く」とのことで、未検討課題であることが分かったが、そのやり取りの中で、印象的だったことがある。
Fさんは、早速、調べてみたが、この条例は「個人情報保護法」の範囲内で、いわば当然の内容ですねという、コメントだった。たしかに、その通りで、個人情報保護法の範囲を越えていたら、違法になる。
つまり、ベテラン法律家から見れば、法律の範囲内なので、その通りに解釈して運用すればいいので、何もわざわざ条例をつくる必要はあるのかと直感するのだと思う。しかし、私は、政策マンなので、少し思考回路違う。自治体公務員は、自ら解釈して、法律の範囲内で問題ないと思っても、公式なよりどころが欲しいのである。市民から、法律に違反しないかと問われて、自分の解釈を説明しても、「それはお前の解釈だろう」といわれてしまうからである。
結局、それを恐れて、課題に消極的になったり、あえてリスクを犯さず、何もしないで、やり過ごすという選択になりやすい。役所が職員を守らない時代なので、そんな風になる。
そんなときに、自治体職員の矜持をといっても、励ましにはならない。条例のようなよりどころをつくるのが励ましになる。なぜならば、「条例があって、それに従ってやりました」と言えたら、自信をもってできるし、「条例を守るのが私たちの仕事です」と、胸を張って課題に挑戦できる。
これが政策法務の意味であるが、法律家の議論と政策マンの発想の違いを鑑みて、とても印象的だった。
某市でまちづくり政策提案研修をやっているが、そのテーマの選定で、いつも相談に乗ってもらっている某市の特任職員のFさんに、「名簿を安心して使える条例を某市では、検討したことがありますか」と聞いたことがある。
少し基本から話をすると、ここでは、まちづくり政策研修をやっているが、5,6回検討して、最後に政策案をつくるという流れである。昨年、やってみて気がついたが、実際は、政策提案になっておらず、事業提案にとどまっている。おそらく、私の以前に担当した人が、研修業者の人で、役所のことが、よくわからないので、いま、どんな政策が必要なのか、政策提案は難しかったのだと思う。
むろん、事業提案も必要であるが、事業提案では、どうしても漸進型、改良型になってしまい、これでは、せっかく、時間をとるのはもったいないし、私がやる意味も乏しいと考えて、政策提案に徐々にシフトしようと考え、その下調べで聞いてみたのである。
いくつかアイディアを考えたが、そのひとつが、「名簿を安心して使える条例」である。つまり、個人情報保護は、個人の情報を守るという側面と同時に、個人の情報を活用して、暮らしを豊かにするという両面があるが、後者に光を当て、個人の情報を守りながら、それを大いに活用するというのが政策である。
ちなみに、個人情報保護は、OECDが最初にルールをつくった。1970年代である。OECDは経済協力開発機構なので、その主眼は貿易の自由である。貿易の自由を貫徹するために、個人情報保護に取り組んだ。
相談に乗ってもらっているFさんは、ベテランの弁護士さんで、事務所をたたんで、某市の特任職員になったが、仕事ぶりは出前型で、職員の法律相談に気楽にのるので、相談件数は、ものすごい。ベテランなのと頭の回転が速いので、速攻、返事が返ってくる。私も、困ると、相談メールを送るが、いつも、あっという間に返事が来る。
そこで、Fさんに、「名簿を安心して使える条例」の検討状況を聞いたが、「はじめて聞く」とのことで、未検討課題であることが分かったが、そのやり取りの中で、印象的だったことがある。
Fさんは、早速、調べてみたが、この条例は「個人情報保護法」の範囲内で、いわば当然の内容ですねという、コメントだった。たしかに、その通りで、個人情報保護法の範囲を越えていたら、違法になる。
つまり、ベテラン法律家から見れば、法律の範囲内なので、その通りに解釈して運用すればいいので、何もわざわざ条例をつくる必要はあるのかと直感するのだと思う。しかし、私は、政策マンなので、少し思考回路違う。自治体公務員は、自ら解釈して、法律の範囲内で問題ないと思っても、公式なよりどころが欲しいのである。市民から、法律に違反しないかと問われて、自分の解釈を説明しても、「それはお前の解釈だろう」といわれてしまうからである。
結局、それを恐れて、課題に消極的になったり、あえてリスクを犯さず、何もしないで、やり過ごすという選択になりやすい。役所が職員を守らない時代なので、そんな風になる。
そんなときに、自治体職員の矜持をといっても、励ましにはならない。条例のようなよりどころをつくるのが励ましになる。なぜならば、「条例があって、それに従ってやりました」と言えたら、自信をもってできるし、「条例を守るのが私たちの仕事です」と、胸を張って課題に挑戦できる。
これが政策法務の意味であるが、法律家の議論と政策マンの発想の違いを鑑みて、とても印象的だった。