明けない夜はないこと

2013-06-23 21:54:47 | 幸せのコツ

今日は、山の先輩に沢に連れて行ってもらったのですが、沢登りと言うより、岩登り、な沢でした。今日の記録ヤマレコ。

山歩きって基本は飛び石伝いなのかもしれません…河原歩きは飛び石伝いでしょう。山でも本当はフラットな場所を飛び石に見立てて、歩くのが正解の歩き方なのかもしれませんね。

今日は、朝は市川三郷町を通る県道36号線を初めて通りましたが、ちょうど町と山里の境界にあるようなエリアで、ほどよく町で、ほどよく農村、しずかな暮らしが楽しめそうだなと思いました。古びた家屋や大きな農家の建物が、故郷っていう感じを醸し出します。

以前の私にとっては、街と田舎のミックス具合が心地いい、というセリフは福岡を指す言葉でした。福岡はミニ東京。東京にある機能はすべてあり、そして、大混雑する電車”痛”勤がない… そういえば、サンフランシスコも同じですね。スモールタウン、だけどワールドクラスシティ・・・ 本当に都会的人間だったなぁと思います。まぁそこは今でも変わっていないような気がしますが、都会の人のほうが田舎の良さを良く知っているような気がします。

思えば、大阪という大都会?に居た時代、私が不適応症をおこしたのは、満員電車での通勤でした…もうぐったり。その通勤がないだけでも今の生活は十分に幸せと言えるかも…。

今日行った沢は芦川という川の沢でしたが、芦川は笛吹川水系…笛吹川って、奥秩父のイメージでしたが、実は御坂の山のお水も笛吹川に流れ込むんだなぁ…水質はとても違うのではないかと思いました。お魚だったら、味が違うなぁって思うでしょう。

私は笛吹川の東沢、釜ノ沢に行きたいのですが、初心者は誰もが大感動する沢と言われています。定番の沢。ただたぶん初心者にはロングルート…少し長いので、一泊二日が体力的にゆとりがある行程…となると沢泊などとなり、それはそれで生活スキル的な難易度が上がりますね。夏の山は虫がとても多いし…

今日はマイマイガの幼虫が一杯でびっくりでした。去年、芦川町に畑を見に行ったときに、10年に一度の大発生と言われていたのを思い出します。

■ 子供がいない

私は子供の頃、三人兄弟の一番上でした。親は片親。女親。父親は8歳から会っていません。弟の葬式を除いて。

で、まぁたくましく育ちましたが、そのたくましさというのは、たぶん、岩場でフリーソロしていたら、墜ちたら死ぬから、というのと同じ種類だと思います。

私の時代は団塊2世です。豊かさしか知らずに育てられたのに、大人になったころバブル崩壊。 長いものに巻かれろと言われて育ったのに、大きくなったら君は何ができるか?と問われるのです・・・話が違う。

私の、4~5年先の先輩は、じゃんけんで負けて一流企業に就職したそうでした。超売り手市場。長いものに巻かれてさえいれば生きていけた時代でした。

私の世代は超氷河期。今の若い人ほど社会に氷河期だという理解もなく、四大卒なのに仕事に就けず自殺した大学の同級生もいます。蟹工船はリアルな話です。今も若い人は搾取されていますよね。若い人のことを思うと本当に気の毒な気分になるのは、自分もその一部だからです。

私は氷河期組だったので、最初から一般的な新卒採用など当てにせず、実力で行くことに。頼れる親もいないし・・・つまり墜ちたら死ぬから…ねぇ(笑)

日本では、家を借りるのにも、親のハンコが要り、就職しても誓約書には親なり、だれか偉い人のハンコが要り、女性一人で不動産屋に行くなんてとんでもない・・・ので大学の先輩にはだいぶ世話になりました。本当に個人の自立と言うことに関しては後進的な国です。なぜならアメリカでは家を借りるなんて、1か月前金したら終わりだからです。それも退去時は返却されます。

そして、日本と言う男尊女卑の国で、女性が受ける不利益な扱いときたら… セクハラ、パワハラは日常茶飯事だし、後ろ盾のない若い女性など、漬け込まれる相手に事欠きません。 ホントですよ。男性はボケ~と平和ボケしているので何も知りませんが。今時の中学生は(女性に相手にされない)大人の男性の性の対象です。

そういうわけで私は自分自身が苦労をして成人したという経緯から、子供を持つことに関しては非常に慎重になっており、望まない子供を持つことだけはしたくないと思っていましたし、そのためにはアメリカに居たころはピルを飲んでいたくらい。アメリカでは若い女性がピルを飲むなんてのは、ごく普通のことでした。(反面、メキシコからの不法移民は子を孕んでアメリカで産み落とすことに躍起になっていました。子供さえ持てば、グリーンカード決定だからです。だから移民の子供が増えるですよね。アメリカは制度を変えた方がいいのにね)

子供を持つなら、自分の幸不幸を子供のせいにだけはすまいと思っていました。自分の生き方を持つこと。その上で子供を持つこと。これが大事ですよね。(って思うのは反面教師の親を持ったからです)

「子供がいるせいで不自由」なんて子供に失礼ですよね。

しかし、そんな私には、20台の最初で、ベビーシッターという仕事が回ってきて、6歳、11歳の男の子の兄弟を始め、まるで天使のような(でも泣き出したら悪魔!)6か月の双子の男の子、2歳と3歳の日本人とアメリカ人のハーフ、4歳の自由教育の男の子(いつもすっぽんぽんで生活!)、など色々な子供の面倒をみる機会がありました。

子供にはその子供の、その子らしい魂が宿っていて、決して、理屈をわきまえない聞かん坊の分からず屋ではなかったのが、発見でした。というのは、私にとっては年少の弟と妹の面倒をみる、ということは、親からの愛情飢餓に陥った子供の面倒をみるということと同義で、私は単に愛情に充足した子供の姿を知らないだけなのでした…子供というか、人間一人ひとりには本当にそれぞれの素晴らしい才能が宿っていると思います。いかに開花させるかが、その課題

結婚後、子供が欲しいなとは思うのですが、できないものはできないもの…こればっかりは授かりものなので、あんまりガツガツしていません。

子供がいないというと、大概の年配の女性は不妊治療を薦めてきます。子供がいないことがまるで人格上の、あるいは人生の欠点かのように取り扱われるのです。結婚していない女性に結婚を薦めるのと同じですよね(笑)その結婚を薦める当人が、結婚生活を愚痴ってばかりいるのも同じ(笑) 

大体において不妊治療を薦める人は、本人は不妊治療をやったこともなく、どれほど過酷で女性の人格を卑しめる治療なのか知らず(汗)。

こういう人は要するに普通と違うということが許せないだけのようです。その証拠に子供の愚痴や結婚の愚痴ばっかりは豊富。愚痴っていうものは、他のみんなも同じように人生に対して愚痴ばっかりなのを確認するのが”みんなと同じ”で、うれしいみたい・・・ 

そんなに子供や結婚がイヤなものなら、生まなければ、あるいは結婚しなければよいでしょうに。

たぶん自分で選んだと思っていないんでしょうね。

そういうわけで私には子供がいませんが、それは、子供を産み育てるという重責を、重責だと身をもって既に知っているから。それに子供を持つことの愉しみも素晴らしさも、すでに知っているから。かもしれないな~と思います。神のみぞ知る。それでいいのです。寿命や人の生死、体つき、個性、運命同様、人智が及ばないことがある・・・そういうことなのです。謙虚に。 

それに私は十分兄弟の面倒も、親の世話も、老いた祖母の面倒も見ました。20代にして、です。18で親から自立して、28で妹と祖母のダブルで面倒見る境遇ってどうですかね・・・ そんな人今まで会ったことありませんが。

私はよく強いと言われますが、強さがあったから境遇が起こったのではなく、境遇があったから強くなったということで、因果関係が逆だよな~とよく思います。 

この、強いという言葉の裏には、他の人にはできない、とほのめかしてあります。

でも誰しもツライ境遇には会うはずです。

今、厳しい境遇にある人には知ってもらいたいです。明けない夜はありません。終わらない嵐もない。ツライ経験が強さを作る。

どこかに、思わぬ出口があります。絶対に。

目の前だけに集中することです。そうすれば嵐は過ぎ去っていきます。目の前の課題だけに集中すること。

私は最悪の時は、一日500円くらいで食費を押さえ、今日は5000円稼いだから大丈夫、と日割り計算していました。アメリカに住んでいた頃は、週に100ドルしか稼がず、英語を学ぶことに時間と言う資産を集中投下していました。貧というのは人間が甘んじて受け入れる困難の中では比較的楽な方に入ります。他にも病や鬱などの心の病気など、他の種類の困難はとても立ち向かうのが難しいです。

困難と言うのは、逃げるのではなく、受け入れるつもりになればそんなに難しいことではありません。雨の日の山も行ってみれば意外に快適なのと同じです。長い縦走も、そうとわかって取り組めば、そんなに疲れずに行ける。同じことです。状況を良く知り、対策を持つ。後のリスクは甘受する。

誰だって、そういう意味では強くなれるのです。もがけ!そうすれば、出口が見える!そういう感じです。

自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと (Sanctuary books)


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