運命の波に乗る感覚

2013-04-16 10:48:50 | 幸せのコツ

最近、自分の強みとして、ときどき、強く感じるのは、私は食わず嫌いが少ないのではないか?と思うことです。

夫はやったこともないことでも、僕キライ、という発言を良くします。「え~テント泊?重いからヤダ」「え~ ○○?ヤダ」

キライかどうかやってみなくては分からないのでは…などと、思うので、私自身はやったことがないことは判断は保留にしています。

クライミングもその類で…別に今からクライマーになろう!という野心に燃えて(笑)?いるわけではありませんが…

・自分より知識が豊富な人がやったほうがいいと言い、そして、
・たまたま講習会などのご縁がある

ということなので、やったらいいんではないか?と。 これが”運命の波に乗る感じ”だと思うんですよね。

これで、たとえば、

 ・自分はそんな柄ではない、とか、 ・自分には難しすぎる、とか、

テキトーな言い訳を作って、本音のところ、単に未知なることが怖いだけ…という理由で「やらない」ほうに逃げ込むのが… ”運命の波に逆らう”感じです。

■ Yes but how型へ

とりあえず、「ヤダ」と言うことにしている…というのは営業の人が良く使う手ですね(笑) とりあえず「No」、そうすると、「Yes」が高く売れるのだそうです(笑)

しかし、このテを実生活に適用するのは、弊害のほうが多いような気がします。 

実生活は、とりあえず「Yes」で!実現する方法とか、どうしたら、ネガティブ要素が克服できるか?は 後で考える。

"Yes! but how?" (やりましょう!けど、どうやって?) が、いいみたいです。 Noにしてしまうと、"No, because・・・"となってしまう。

思考の起点を Yes but how型に変える。

なぜなら・・・物事は変えられない。変えられるのは、自分自身の考え方、受け取り方だけだからです。 

たとえば、私のクライミングにしても・・・その体験の質を高めるのは、私自身の受け取り方です。 

「○○って壁が登れなかったけど、楽しかった」となるのか、

「やっぱり登れなかったじゃん、やらなきゃよかった」となるのかでは、幸福感の絶対量が違う・・・ ので、楽しんでトライしたことはたとえ結果が思わしくなくても、ネガティブな記憶にはならないものです。

人生の勝負はどれだけ幸福感、肯定的な意識や記憶で、脳の記憶領域を満たすか?ではないかと、最近とみに思うのですが… 

死の間際に見るという人生のフラッシュバック・・・あれで嫌なことばかり思い出したい、という人はいないと思いますので。

 


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