■ ブレーキを外そう!
ヨガの聖典はバガバッドギーターで、聖書のような位置づけにある本なのですが、
ギーターの教えの中に
「人は自分にとって良いことを実行することができない」
というのがあります。
極端な例では、お酒やタバコ、ギャンブルも自身の身の破滅を招くと分かっていてやってしまう。
その弱さこそ人間性だ、という指摘。(ギーターでは、だからヨガをして神に身をゆだねます)
ギャンブルや酒タバコのような大きな罪とは無縁でも、たとえば、
「宿題をやったほうがいいとわかっているのにやらない」とか
「ダイエットをしたほうがいいのにやらない」とか
「食べ過ぎ」とか
「買い物でストレスを発散」とか…
身の破滅に即座につながらないまでも、やるべきだと自分でわかっていることをやらず、前進とは逆の方角に向かって進むことは人間であれば、誰でもよくあること。
それは大なり小なり自傷行為で、なぜか人間と言うものは、自傷行為を辞めることができない。
もしかして、それを辞めれば、人生が開けるのかも?
自分を足止めさせる嗜好を辞める。
人間と言うのは、ブレーキをかけながらアクセルを踏む、生き物のようです。どんなに優れて才能がある人でも、ブレーキをかけていたら…前進はできないのが普通ですよね。
人は得てしてアクセルを踏み込むことばかりを考えてしまいますが、まずは自分を押しとどめているブレーキを外すほうが実は簡単で早道だったりするではないかしら?
■ 友達は応援してくれる人
私が思うには、友達と言うのは、
どんな理由にしろ立ち止まっているときに「誰だってそういうもんさ」と愚痴を言い合う相手ではなく、
「勇気を出して一歩前に出よう!」と励まし合うべきものです。
どう考えたって、人生が前進し合う仲がポジティブな関係です。
その人といれば人生が後退するような仲であれば、恋人であっても親子であってもネガティブな関係です。(余談ですが、そのような仲を発見したらできるだけ早く離れることが必要です)
愚痴を言い合って「自分も相手も同じくらい前進していない」ということを確認し合って安心し合っても仕方ない。それは一種の共依存状態なのです。(共依存はアルコール依存者の研究から発見された関係で、アルコール依存者の背後には、かならずその依存者を一見親身になってサポートする介護者がいるという発見です。ただ実はこの介護者自身もアルコール依存者の世話を焼くことに依存しているのです。)
■ 魚釣りの方法を教える
Give a man a fish and you feed him for a day. Teach a man to fish and you feed him for a lifetime.
男に魚をあげなさい。あなたは彼を一日養うことになるだろう。だが、彼に魚釣りの方法を教えれば、あなたは、彼を一生養ったことになるだろう。
これはアメリカでは大変有名なことわざです。(中国のことわざらしいけど・・・汗)
私の母は子供を三人抱えて、どうしていいか分からなくなったとき、周囲の人にお金を借りる以外の選択肢を思いつけなかったのでした。それはそれしか思いつかなかった、という点で単純に創造性の敗北でした。
母は望み通り支援を得ても、その支援は結局、魚釣りの方法ではなくて、魚そのものを相手に渡すことでした。一日のお魚を食べてしまえば、また前と同じ状況に。
大学に入ると、母と同じような未婚の母の女性が同級生に居ました。でも私はびっくり。働きながら子供を育て、夜は大学に通う。彼女は、魚釣りの方法を学んでいるところでした。子供はときに施設に入っていましたが、そんなのはなんのその!でたくましく育っていました。施設=かわいそうというのは思い込みなのです。
デイビッドは日本に適応できないとき、アルコールにおぼれ、結局日本にはたったの3か月しかいなかったのに、アルコール中毒に。そして、そこからの脱出は、その後10年かかりました。結局、恋人も家も仕事も失うことになったのでした。しかし、本人が溺れて手を付けたアルコールさえなければ、すべてが10年前に手に入ったのです。
もしかして、○○を辞めたら、ものすごく前進できるのかもしれない?
あなたの○○、ブレーキ、は何でしょう?
それこそがあなたを前進させるカギかもしれません。