ありあまる豊かさ

2013-05-12 18:32:29 | 魂と心の成長

■ 体験クライミング

今日は朝から小瀬スポーツ公園で、クライミングの体験会に行ってきました。2000円也。

ホントはジム通いをスタートさせるべきなのに、すっかり日が開いてしまい、最後に出かけたのはGW前の4月の後半…もう2週間、ボルダリングをしていなかったら、一登目から腕がびっくりしちゃって大変。

またオールリセットされた腕になっていました…やはりあまり日を開けずに通わなくてはなりませんね。

あと理解したのは、ボルダリングジムでは、課題で、ある程度ハングした壁をやっておかないと、いくらトップロープでも外の人工壁は登れないってことです。

なぜなら、外岩を前提にした壁?は、絶対ハングしているから。ハングしていると、途端に腕の筋肉への負担が増える。ムーブも難しくなる。 それは、ハングしているせいで、ちょっとしか考える時間が取れないからです。

考えないで突破できるのが重要、っと。

ボルダリングの課題では、ハングしていても、色テープを追っているので、どのホールドを取るか考えなくていいのですが、「どのホールドでもどうぞ」と言われると、考えないといけない。するとハングした壁にぶら下がって、考えている時間の間に腕が疲れちゃうのです…

というわけで、深く考えずにひょいと掴むか、ちょっと無理しても次のホールドまで行ってしまって、ハングしていない楽ちんな場所まで行くべきなのですが…結局、今日はそれができず、一番下のハングしたエリアで敗退です。

うーん、腕力&知力が(笑) 

とりあえず、中の壁では天井まで行けました。高度感が課題ではないことは確認。 今回は正対ではなく、ダイアゴナルで動けたから、とりあえずまだ5回しかトータルで壁に登っていない人にしてはOKってことにしましょう。

何が課題って、腕力と掴んで登る勇気。 なんか自分が選んだホールドがどうも信用できないんですよね。ホールドする握力が。

ロープに対する親しみが湧いたので、接する機会を多く持つ、というのは大切だと思いました。

■甲府はバラ満開です

今日は夏日でした。 大気が不安定な感じでしたが、空の様子は早くも夏かのように積乱雲に近い形のものが一杯。

下界は暑く、日差しは強く、もう夏~って感じでした。木陰を通り抜ける風がとっても快適☆ 今は低山でのハイキングがいいのかもしれない。

去年の今頃、鳳凰三山の麓の林道の緑のトンネルをくぐったなぁ… 夏の登山口偵察のつもりで出かけたのでしたが、結局去年は鳳凰三山には青木鉱泉から登るルートは、体力的にしんどそうで登らず、冬に夜叉神峠からのルートでチャレンジしたのでした。今年こそ、その体力的に大変そうな方にチャレンジしたいものです。

甲府は今バラが満開…どの家のバラも今が盛りです。 バラって蒸し暑い気候の花ですよね。 バラは肥料食いと言いますが、ホントなのかなぁ…私が見ている限り、どの家のバラも手入れをされている様子は一切ないです(笑)。むしろ、手入れされていなさそうな、戦後のドタバタでその場所に落ち着いちゃったんだろうな的なバラックの家・・・ほとんど土らしい土が出ていないような場所のバラが威勢よく満開・・・こういう様子をみると豊かさは家の素材の豪勢さでは測れないんではないかと思ったりするんですが…。門に警備員が常駐している白亜の豪邸よりも、バラのアーチが素敵な小さな家のほうが幸せでは?

去年はバラのボランティアを少し手伝いましたが…かかる手間が限りなく、やっている人たちの重荷になっていそうでした。重荷になっていたらそれは、財産ではなくて、負債・・・。普通のお宅の庭先のバラはたぶんほとんど手入れされていない様子…何しろ魚屋さんの発泡スチロールとかに植わっています(^^;)。

バラと言えば、イギリス…なんでイギリス人ってそんなにバラ好きなんだろうなぁ。イギリスと言えば寒い土地柄…そして土地がやせている、だってヒースってくらいですから。 なので、バラには本当に向かないはずなんですが。バラが向いてそうな気候と言えば、アメリカなら東海岸とかでしょう。湿度が高く蒸し暑い土地柄。 

山梨はぶどうの産地というくらいなので、土壌はそんなに豊かではないはずですが、寒暖の差が激しくて、フルーツ大国。いくら米作には適さないとはいえ、一般的には米のような穀類より、フルーツの方が高級食材なわけで、実はリッチな土地柄なんですよね。そのことには地元の人は気がついていない。というか、公然の秘密と同じことなんだろうな。豊かだということを公言してはいけないんだろうな…

だって思うんですよね。裸一貫でゼロから作り上げなければならない都会に出た人と、親からの財産を引き継ぎいでいる人、どっちが豊かなんだろう?と。以前、私立の大学に通う友人に、「国立大だから、お金持ちなんだね~」と言われ、あっけにとられた時の気分と似ている。 私は大学は国立なんですが、それは国立でなければ行くお金がないからであって・・・それも奨学金で行ったし・・・なけなしの大金を私立大に払ってまでは大学卒の学歴を欲しいと思わなかったでしょう・・・その友人の論理は、住宅ローンではなく、固定資産税の支払いに苦しむ人が、住宅ローンも払い終えていない人に自分がいかに貧しいかを力説するのと似ている・・・。ゼロから積み上げている人と 100が90になりそうだと言っている人では、やっぱり100が90になりそうな人のほうが豊かですよねぇ・・・?

ならば、やっぱり固定資産税が払えない、などと、という悩みは、”持てる者”、”富める者”の悩みなのではないかと。私立に行ったから、贅沢ができないのと同じで。

それは、明日食べるものがなくて飢えて死んでいく人たちが”貧しい”とされる第三世界と比べると、実は先進国である日本全体の心配が、老後が心配・・・なんていうレベルであるのと、かなり相似形ですね… そもそも貧しさのレベルが違う。

山梨は本当に豊かすぎるから、働く場がないんだろうな・・・と中央線の電車から、生産力を爆発させている山々を見ながら思いました…
昔の人はお金にならないから働かない、なんて言わず、働いて山から幸を得ていたんだと思うんですよね。

たとえば日本は木材の輸入国ですが、それは自国に木材がないからではなくて、単に自国で伐採するより、コストが安かったから。
それは家で作って夕食を食べるより、外食の方が安いから家では食べない、と言っているような悩みで、悩みのうちに入るんだろうか…などと思ってしまうわけです。

ありあまる豊かさ…それを”分かち合えないこと”が物事の本質であって、”足りないこと”ではない…そんなことを考えた中央線の車窓…。

常に分かち合う人でありたいものです。


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