今日は甲府は冷たい雨です… 朝からヒヨドリさんが、「何か恵んでくれませんか?」という具合に私を伺いながら、吊るしてある干し柿を気にしています… 「それ、まだ渋いよ」と思いつつ、みているとヒヨドリは「おかーさーん!」ってな具合に飛び立っていきました。
東京への遠征で久しぶりに山の手線に乗ったせいか、風邪をもらってきたみたいで今日は家でおとなしくしています。
昨日は実は友人と打ち合わせしていたのですが、私の未解決の感情問題が私自身にとって露になって、ちょっと精神的に疲れた日でした。(その人のせいではありません)
■ 大人子供な子供時代
私は子供の頃ストレスに曝されていました。母親は典型的お嬢さん育ちの生活力のゼロのタイプ。
なのに両親は離婚。それだけでなく、3人兄弟の子供全員母の元に。そして、私はその長女。8歳、6歳、4歳。このような状況です。
現実を直視する能力が子供の中でかろうじてあるのが8歳の私だったんでしょうねぇ…(遠い目…(笑))
想像に難くなく、母の右腕となったのですが、基本的に母親の判断力に信頼を置けたのは、12歳くらいまででしかなかったような…(失笑)?
私が中学に上がる頃から母の人生はほころび始め、そのほころびをどうしたら繕えるのか、私は分かるのに母には分からない…そんな思春期を過ごしました。母の親としての威厳は
私が14歳の頃には完全に消失していました…母は色々なものに溺れ、現実逃避著しい人生を送り始めました。
■ 今を生きる
そうした結果、私は「目の前の課題に集中する」ということで「不安を払拭し」「未来を確固たるものにする」ことを学びました。
実際、人間にできることなんて「目の前の課題に集中すること」だけ。それは今でも真実だと思います。
「未来の心配」とか「過去の悔恨」なんかしても「時間の無駄」。
本当にそうですよね。でもこれを地でいくと結構日常生活が「殺気立って」しまいます(^^;)。
大抵のことは、そんなに緊急性がないことが多いのです。もっとリラックスしても問題ない。そうと気がついたのは、私が失業して専業主婦となっても夫が相変わらず私を必要としてくれ、家にいるだけでも私は価値があるんだと気がついた最近のことです(^^;)
いやそれまでは貢献度が私の価値だと感じていたんですね…
だから、一切友人などと日和ることなく「語学・生活の確立」に邁進していた大学時代に始まり、キャリア邁進時代のOL時代に至ってもランチの時間でさえ英語を勉強しているような全力疾走していたわけで、傍からみると「奇特な人だなぁ」を長い時間続けてきたんですねぇ。いやはやさすがに疲れましたけど…
私にとっては、「不安を払拭する手段」が「目の前のことを片付ける」だったわけですね。
■ 効率に対する愛
そんな私は仕事においては結構成功し、一時は独立を果たしたこともあります。売上は100万円、ソフト一本1ヶ月。半分はソフトウェア開発環境を買うのに消費されましたけど、うら若い女性の収入としてはまずまずではないでしょうか。
「仕事は覚えてからプロになる」のではなく、「プロになってから寝ないで仕事して覚える」ものだと学んだ時代でした。
「君みたいなのが後4人いれば、ウチは左団扇だな」というのは当時世話になっていたソフトウェアの師匠の言葉。この師匠は年収1000万プレイヤーでしたけど、私は取引先との口座を持っていなかったので5%の手数料を払ってこの師匠と組んで仕事していたのでした。今頃どうしてるかなぁ…。後継者がいなくて当時も困っていたのですけど…。
一応労働市場で優秀さを証明した、と自分でも思えるのに、私が仕事をしない、もしくはできないのは、私の仕事のペースが速すぎ、相手がプレッシャーを感じてしまうからです。
私はなぜだか、仕事をくれた人よりも、達成願望が強いらしく、めちゃくちゃ早い仕事をしてしまいます(汗)
そうすると、それはなぜだか私と仕事をする人は、私がお仕えしている立場なのに逆転してしまうんですね(汗)例えば、早い段階での打ち合わせなど。私からの依頼に追われる羽目になる。
一度コレで大失敗をし、社長の大の秘蔵っ子から転落したことが…(ーー;)いやはや人生とはままならぬものです。
■ ひとごと
傍目からみると「こうしたらいいのに」と分かっていても当の本人が「危機感ゼロ」のことはよくあります。
今年の春は、私のバレエの先生の件がストレスでした。例のために話すと、先生は子供を教えたい!と自分のやりたいことが分かっているのに、幼稚園にチラシを配ったり、子供を持つ親が通いやすい体制を整えたり、それになりより、古い教授法を改めたりせず、文句を言うだけで一向に手を打たない。
その手を打たないという事実がどんどん状況を追い込んでいき、状況は既に子供の生徒1人しかいないところまで追い込まれているのに何もしない。その理由を「最近の人は努力したがらない」と環境のせいにしている…。傍目には「では隣でやっているバレエ教室が子供を何十人も抱えた大クラスなのは道説明するんだろう?」ですが、「自分のやり方に固執」しているために「偏狭な視野」に陥ってしまい、そんなことは見えないんですね。
こういう状況だと判断すると、私はとたんに精神的にスイッチがオンになり、「なんとか先生のために状況を打開せねば」とパニクってしまうのです。つまり、何が何でも状況を打開するために「ひとごと」なのに「目の色が変わって」しまうのです。
それは思うに「お嬢母」を持った早熟な子供が大人役を買って出ていた子供時代の再現なのです…(汗)。
■ 矢印が人に向くとよくない
危機感から頑張るのは、自分自身の運命打開に向けて、状況打開の努力をしているときはいいのですが、この先生のケースのように、ご本人自身が「これじゃマズイ」とか「なんとかしたい」とか思っていない場合、結局は「大きなお世話」で「何1人で焦ってんの?」なのです。
状況が見えすぎるってのも困ったもんなんです。以前ソフトウェア販売の仕事をしていたときは千載一遇の、10年に一回っていう大チャンスを目の前にして、行動を起こさない会社に業を煮やし、色々あちこちに働きかけましたが、結果は誰も動かず(というか動かすことができず)、結局そのソフトは、超がつくライバル会社に横取りされました(--;)
まぁ私のせいではまったくありませんが、「だから言ったでしょー!!」「なんでこんなチャンスに喰いつかへんねん!!」という変なストレスを私が溜めていたことには違いありません。 はぁ…
というわけで、私には「本質的に自分の問題ではない人の問題に首を突っ込んで自分のペースで仕事したがる」という悪い癖があるわけですね…
こういう癖は、のんびり「なんくるなるさぁ~」(なんとかなるさ)的な人を前にすると加速します(汗)
私にとっては物事は「なんとかなる」ものではなく「なんとかする」ものだからです。
■ 危機は過ぎ去ったのに…
しっかし、まぁこんなに「切羽詰った」精神構造をし、常に「自立」「自分に優秀さを課し」ているのもそれは結局は、私が「大変な子供時代」を過ごしたということの裏返しでしかありません。
未だにそれは折々に向けて首をもたげ、私を受け入れ、歓迎してくれようとしている人との間にも軋轢を生みそうにしてしまいます(汗)。
いやはや、今回も危ないところでした… わたしの中の「イラッち」スイッチは、相手が本題と違うことに話題を移すたび「ポチっ!ポチっ!」と押され、そんな事情を一切知るはずのない相手はのんびり「世間話」です…
私の中の「イラッち」さんは、兄弟が3人もいるのに何十万もするオーディオセットを衝動買いで買ってしまうような母親への危機感に向けられたものですが、同じスイッチがメールの本題に答えていないとかそんな小さな程度の「脱線」にでも、押されるのですから、これは神経過敏症、はっきり言って「行き過ぎ」です。
な~んで1人でストレス貯めてるんだ? 頼んだ人は無邪気にそう感じるはずです…
この感じ方…こうした感情問題を解決するには、もう瞑想しかありません。
瞑想による自己対話で心を落ち着け、「相手を信頼する」ことを覚える時期なのでしょう。
うーん…
東京への遠征で久しぶりに山の手線に乗ったせいか、風邪をもらってきたみたいで今日は家でおとなしくしています。
昨日は実は友人と打ち合わせしていたのですが、私の未解決の感情問題が私自身にとって露になって、ちょっと精神的に疲れた日でした。(その人のせいではありません)
■ 大人子供な子供時代
私は子供の頃ストレスに曝されていました。母親は典型的お嬢さん育ちの生活力のゼロのタイプ。
なのに両親は離婚。それだけでなく、3人兄弟の子供全員母の元に。そして、私はその長女。8歳、6歳、4歳。このような状況です。
現実を直視する能力が子供の中でかろうじてあるのが8歳の私だったんでしょうねぇ…(遠い目…(笑))
想像に難くなく、母の右腕となったのですが、基本的に母親の判断力に信頼を置けたのは、12歳くらいまででしかなかったような…(失笑)?
私が中学に上がる頃から母の人生はほころび始め、そのほころびをどうしたら繕えるのか、私は分かるのに母には分からない…そんな思春期を過ごしました。母の親としての威厳は
私が14歳の頃には完全に消失していました…母は色々なものに溺れ、現実逃避著しい人生を送り始めました。
■ 今を生きる
そうした結果、私は「目の前の課題に集中する」ということで「不安を払拭し」「未来を確固たるものにする」ことを学びました。
実際、人間にできることなんて「目の前の課題に集中すること」だけ。それは今でも真実だと思います。
「未来の心配」とか「過去の悔恨」なんかしても「時間の無駄」。
本当にそうですよね。でもこれを地でいくと結構日常生活が「殺気立って」しまいます(^^;)。
大抵のことは、そんなに緊急性がないことが多いのです。もっとリラックスしても問題ない。そうと気がついたのは、私が失業して専業主婦となっても夫が相変わらず私を必要としてくれ、家にいるだけでも私は価値があるんだと気がついた最近のことです(^^;)
いやそれまでは貢献度が私の価値だと感じていたんですね…
だから、一切友人などと日和ることなく「語学・生活の確立」に邁進していた大学時代に始まり、キャリア邁進時代のOL時代に至ってもランチの時間でさえ英語を勉強しているような全力疾走していたわけで、傍からみると「奇特な人だなぁ」を長い時間続けてきたんですねぇ。いやはやさすがに疲れましたけど…
私にとっては、「不安を払拭する手段」が「目の前のことを片付ける」だったわけですね。
■ 効率に対する愛
そんな私は仕事においては結構成功し、一時は独立を果たしたこともあります。売上は100万円、ソフト一本1ヶ月。半分はソフトウェア開発環境を買うのに消費されましたけど、うら若い女性の収入としてはまずまずではないでしょうか。
「仕事は覚えてからプロになる」のではなく、「プロになってから寝ないで仕事して覚える」ものだと学んだ時代でした。
「君みたいなのが後4人いれば、ウチは左団扇だな」というのは当時世話になっていたソフトウェアの師匠の言葉。この師匠は年収1000万プレイヤーでしたけど、私は取引先との口座を持っていなかったので5%の手数料を払ってこの師匠と組んで仕事していたのでした。今頃どうしてるかなぁ…。後継者がいなくて当時も困っていたのですけど…。
一応労働市場で優秀さを証明した、と自分でも思えるのに、私が仕事をしない、もしくはできないのは、私の仕事のペースが速すぎ、相手がプレッシャーを感じてしまうからです。
私はなぜだか、仕事をくれた人よりも、達成願望が強いらしく、めちゃくちゃ早い仕事をしてしまいます(汗)
そうすると、それはなぜだか私と仕事をする人は、私がお仕えしている立場なのに逆転してしまうんですね(汗)例えば、早い段階での打ち合わせなど。私からの依頼に追われる羽目になる。
一度コレで大失敗をし、社長の大の秘蔵っ子から転落したことが…(ーー;)いやはや人生とはままならぬものです。
■ ひとごと
傍目からみると「こうしたらいいのに」と分かっていても当の本人が「危機感ゼロ」のことはよくあります。
今年の春は、私のバレエの先生の件がストレスでした。例のために話すと、先生は子供を教えたい!と自分のやりたいことが分かっているのに、幼稚園にチラシを配ったり、子供を持つ親が通いやすい体制を整えたり、それになりより、古い教授法を改めたりせず、文句を言うだけで一向に手を打たない。
その手を打たないという事実がどんどん状況を追い込んでいき、状況は既に子供の生徒1人しかいないところまで追い込まれているのに何もしない。その理由を「最近の人は努力したがらない」と環境のせいにしている…。傍目には「では隣でやっているバレエ教室が子供を何十人も抱えた大クラスなのは道説明するんだろう?」ですが、「自分のやり方に固執」しているために「偏狭な視野」に陥ってしまい、そんなことは見えないんですね。
こういう状況だと判断すると、私はとたんに精神的にスイッチがオンになり、「なんとか先生のために状況を打開せねば」とパニクってしまうのです。つまり、何が何でも状況を打開するために「ひとごと」なのに「目の色が変わって」しまうのです。
それは思うに「お嬢母」を持った早熟な子供が大人役を買って出ていた子供時代の再現なのです…(汗)。
■ 矢印が人に向くとよくない
危機感から頑張るのは、自分自身の運命打開に向けて、状況打開の努力をしているときはいいのですが、この先生のケースのように、ご本人自身が「これじゃマズイ」とか「なんとかしたい」とか思っていない場合、結局は「大きなお世話」で「何1人で焦ってんの?」なのです。
状況が見えすぎるってのも困ったもんなんです。以前ソフトウェア販売の仕事をしていたときは千載一遇の、10年に一回っていう大チャンスを目の前にして、行動を起こさない会社に業を煮やし、色々あちこちに働きかけましたが、結果は誰も動かず(というか動かすことができず)、結局そのソフトは、超がつくライバル会社に横取りされました(--;)
まぁ私のせいではまったくありませんが、「だから言ったでしょー!!」「なんでこんなチャンスに喰いつかへんねん!!」という変なストレスを私が溜めていたことには違いありません。 はぁ…
というわけで、私には「本質的に自分の問題ではない人の問題に首を突っ込んで自分のペースで仕事したがる」という悪い癖があるわけですね…
こういう癖は、のんびり「なんくるなるさぁ~」(なんとかなるさ)的な人を前にすると加速します(汗)
私にとっては物事は「なんとかなる」ものではなく「なんとかする」ものだからです。
■ 危機は過ぎ去ったのに…
しっかし、まぁこんなに「切羽詰った」精神構造をし、常に「自立」「自分に優秀さを課し」ているのもそれは結局は、私が「大変な子供時代」を過ごしたということの裏返しでしかありません。
未だにそれは折々に向けて首をもたげ、私を受け入れ、歓迎してくれようとしている人との間にも軋轢を生みそうにしてしまいます(汗)。
いやはや、今回も危ないところでした… わたしの中の「イラッち」スイッチは、相手が本題と違うことに話題を移すたび「ポチっ!ポチっ!」と押され、そんな事情を一切知るはずのない相手はのんびり「世間話」です…
私の中の「イラッち」さんは、兄弟が3人もいるのに何十万もするオーディオセットを衝動買いで買ってしまうような母親への危機感に向けられたものですが、同じスイッチがメールの本題に答えていないとかそんな小さな程度の「脱線」にでも、押されるのですから、これは神経過敏症、はっきり言って「行き過ぎ」です。
な~んで1人でストレス貯めてるんだ? 頼んだ人は無邪気にそう感じるはずです…
この感じ方…こうした感情問題を解決するには、もう瞑想しかありません。
瞑想による自己対話で心を落ち着け、「相手を信頼する」ことを覚える時期なのでしょう。
うーん…