”開拓”のための読書術

2013-04-17 11:31:40 | 魂と心の成長

■ 天才の”読み方”

最近、気が付いてしまったんです…。

私の高校は、毎年東大に進む人が5人くらいはいるような進学校だったのですが…そういう天才たちは、寝転がって教科書を眺めていました…(汗) 普通の生徒とは明らかに全然違う人種でした・・・

当時、私は「寝転がって眺めているだけでわかるなんて天才~!」とあっけにとられるばかり…。

当時は、私はただ上から下に読む精読しか知らなかったんです。

今となってわかる…彼らはどんな読み方をしていたのか…。

教科書の内容全体を、つまり1年分を把握してから、詳細部を理解していたのです…

そうだったのか…(汗)。 

■ 開拓のための読書

それはさておき、調査会社にでも勤めていない限り、一般のビジネスピープルが、新しい分野に挑戦する、という状況は、おそらく、課長、部長クラスにでもならない限り発生しません。

そう、その頃にやっと、東大に進むような天才たちが10代で駆使していた技術が要求されるわけですね。齢40~50代、という頃でしょうか…

まぁ普通の人がその年齢でやることを10代でやるから天才は天才なのでしょうね。

ある分野を知りたい!と思った場合、読書力(多読力)があると、本という名の”その道に詳しい人”に話を聞くことができるようになり、「ねぇねぇ教えて」と言える相手が本の数だけいる、っていうことになります。 

ある分野に疎い場合に、読書によってその分野の基礎的な知識を得る。

その力が”開拓のための”読書力です。というのは、大人になると趣味で生かせます。 初心者なのに、基礎的な知識があると、その道の人に実際に出会った時に、好感をもってもらえますし、「勉強熱心だな」と思ってもらえます。

それは、読書によってラーニングスピードは大きく向上するからです。その意味を、普通の人はあまりよく分かっておらず、漠然と読書が必要と思っていますよね。それでは読書をする動機付けになかなかならないです。漠然、としているからです。

何か新しい分野を知ろうという場合(便宜的に、開拓と呼びましょう)の読書は、

 ①関連書物をとりあえずかき集められるだけかき集め
 
 ②大雑把に各本の目次を把握し、

 ③読みたいところだけを読む

です。 10冊あれば、1冊ずつ読むなんてしません。 レファレンス的に読むわけです。

たとえば、私は最近クライミングの本を読みました。 結構たくさん…でも詳細に一語一語読んだりしません。 読みたいところだけを読む。ざくっと大まかな把握で良いのです。

何度も出てくる語、というのが、あるのでそういうものはなんでも目にしているうちに自然と覚えてしまいます。

たとえば、1週間前は、ハングドッグなんて意味も知りませんでしたが、今ではハングドッグもトップロープも、ラペルも、スメアリング、キョンさえも自家薬莢中の語彙です(^^)。

■ 一冊の要点をつかむという体験

こうした読み方をするには、1冊の内容を短時間で把握する、という力が必要ですが…

これが日本の教育システムではなかなか出てこないんですよね。

大学でレポートを書くときにかろうじて出てきます。が、私は文学部でかつアメリカ人の先生のゼミだったので、通常の学生より課題がアメリカでの教育に近く設定されていたので、レポート課題は多かったので身に付きましたが、大学に行っても、多読してレポートにまとめるというニーズが発生するのは、通常の場合だと、卒論の一回コッキリです。

なので、スキルとしてはあまり身に付きません。

次に出てくるのは…たぶん、社会人になり、ビジネスピープルとして何か未知の新しい分野を任される、というようなケースです。もし自営業なら、やったことがない仕事を任される、とか…。知人のビジネスマンは、海外赴任が決まったら、その国についての書物を最低10冊、通常は20冊くらい読むと言っていました。

私は調査会社にしばらくいたのですが、調査の仕事と言うのはたいていこちらが知らないことに調査依頼が来るので、とりあえず片っ端から関連書物を読みます。あとは最近はGoogleで情報を収集します。収集する際のコツはソース(情報源)に注意を払うことですが…

それはさておき、調査会社にでも勤めていない限り、一般のビジネスピープルが、新しい分野に挑戦する、という状況は、おそらく、課長、部長クラスにでもならない限り発生しません。

ので、こうしたスキルは、日本の大人の8割がもっていないのです。

■ 身に着け方

でも実際、身に着けるのは、そんなに難しくありません。 本を手に取り、目次と初めに、奥付を見て、その本が何の本かをあらかじめ考えます。 そして、おもむろにパラパラと適当なページをめくって、その本がタイトル通りのことを言っているかどうか確認するのです。

“その本が言いたい要点を把握してから、書かれている内容と照合する”

です。 

1冊の本には1冊の主張があります。それがタイトル。そのタイトル通りの内容になっていない本は、出来が良くない本です。読み終わった後にタイトルで言われていることがよくわかるように書かれている本が良い本です。

つまり、1冊本を読むときは、目次などで、全体を見てから、詳細を読む。これが特に大人になって、実用書を読むときの読み方です。

もちろん、実用書以外の本を読むときは、最初から最後に流れるように読んで構いません。

■ 基本は読書好きな子供・・・・多読力

読書好きな子供に育てたいという親は多いと思いますが、その根拠は漠然としていて、”なんとなく読書好きだと頭がよくなりそう…”という程度だと思います。それだと読書は身に付きませんね。漠然としすぎていて、何を得たいのかはっきりしません。

実際に頭が良いかどうかはともかく、が、こういう”開拓のための読書”ができると、確実に頭がよさそう、には見えます(笑)

私は、子供のころから読書好きで、小学校の2年生くらいでグリム童話やイソップ物語は全集になっているシリーズの端から端まで読み終わり、3年生で『赤毛のアン』を全巻読み終わりました。3,4年生は少女文学にハマり、探偵もの、冒険ものが大好きでした。ナンシーシリーズとか、ポアロとかですね。『海底二万マイル』はこのころ読みました。

5年生頃には百科事典で数学の問題を解いていたり、6年ではパールバックの『大地』、トルストイの『戦争と平和』『アンナカレーニア』、メルベルの『白鯨』、ヘミングウェイ『老人と海』を読んだのもこのころ。中学2年の頃、マルクス『資本論』を読んで本当にマルクスは素晴らしいと思いました。E・フロム『愛するということ』や『二十歳の原点』などもこのころ読みました。

中2の頃のボーイフレンドからの誕生日プレゼントは、『アルジャーノンに花束を』で、『ノルウェイの森』を貸し借りっこで読む仲でした…(←危険ですね~でも親の本だったけど。過激な親ですね~。いいのか?笑)。

大人になってからは文学はほとんど読まず、もっぱらビジネス書を読み漁るのですが…、こういう流れは、もともと読書好きだった人に多いみたいです。以前、メルボルンで英語の先生とその話題で盛り上がりました。

先日は、たまたま、TVをつけたら映画『嵐が丘』をやっていたのですが、ヒースクリフという名を聞いただけで、すでにあらすじはわかります。 が・・・夫は理系。こういうわけにはいきません。日本版の『嵐が丘』(映画)も知っていて、”強すぎる愛もなんだかなぁ”、 ”愛っていうより、執着なんじゃないの?”、なんて感想をもっていたりするのですが・・・そういう風に思えること、そのものが人生を豊かにしてくれる、とは思いますが、知らなくても実生活には一切困りません(笑) 文学っていうのはそういうものなのです。基本、エンターテイメント。

一方、多読して新分野についての基礎的な情報を得る、という読み方が身に着いたのは、こうしたエンターテイメント系の読書、文学の読書によって培われた多読力です。 読むのが早いことは結構重要です。 これは山歩きの速度が速いと行ける山が多くなるのに似ているかもしれませんね。

うーん、でもまぁ、10代の天才たちがやっていたことを中年に差し掛かって、ハタと気付くんですけどね…(^^;)

まぁ、ノーマルピープルは、ぼちぼち歩きです。 でも、こうした読み方は、ぜひおすすめです。

 


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