やりたいことをやろう!

2012-03-17 07:59:14 | 幸せのコツ
■やりたいことをやろう!

我が家は私が子供のころ、家に食べ物が無い時期がありました。
今思えば、小学校から高校までの期間、早朝に友達とサッカーした帰りに(そう
当時からお転婆娘だったのです。大体当時から紅一点…)、友人宅で朝食を
ご馳走になったり、近所の憧れの高校生のお姉さんが制服一式お下がりをくれたりしたのは…大人の配慮だったのかもしれませんねぇ(笑) 

しかし、子供はまだ お金が無い=不幸、という図式をよく分かっていませんから、
特に悲壮感もなく、小麦粉に卵を入れて自作するパンケーキやプリンなど…
ほとんど元手がかからない自作料理に力が入った(笑)だけだったように思います。
そしてそれを公園で食べる!それだけで幸せでした。

今振り返って仲良しだったあの子の家は歯科医院の3階建てだったし、あの子は
親が税理士で卓球場があったと振り返れば理解できる。

子供なら誰でも当然だと思いますが、当時私の世界は母を中心に回っていました。
母が帰る時間になれば玄関の散らばった靴を並べ、帰ってくればお茶をいれ、
雨が降ればバス停でかさを持って待っている。夕飯の支度。当時8歳。

心配していたのは母が「やりたいことをやっていない」ことでした。

そう、母は東京女子美術大学という田舎ではめったに見ないような大学を卒業した
芸術家であったので、子供が3人もいることが足かせで自分の生き方をできない
と感じていたように思います。

子供というのは誰でも自然に親の期待にこたえるようになりますから、私は”空気を読みすぎて”長女という役割をこなすことに追われるようになりました。

が、これこそ、「やりたいことをやっていない」大人から「やりたいことをやらない人生」
(やりたいことが分からなくなる人生、ともいう)の子供へのバトンタッチ
でした。

客観的に見ると、大人であれば誰でも子供を持つことの責任は理解できるはずですし、
おそらく子供を産み育てるということ自体が彼女の「やりたいこと」だったことでしょう。

たぶん母は子供がいなくても「やりたいことを実行する」ことを遂行できなかったのだと思います。というのはかれこれもう20年も子供と言う重圧から解放されていますが…それでも
やっていないからです。

しかし、このような、今現在主流の価値観に照らし合わせれば恵まれていない子供時代は
私の中に2つの種を撒きました。

私は経済的重圧から母を解放するため可能な限り早期に自立することにしたのです。

自分たちの存在が重荷だ、という母の思いという「空気を読んだ」からです。私の
人生の課題が「自立」になった瞬間でした。

そして、もう一つのタネは…「やりたいことをやって生きるべきだ」という信念です。

私が自殺することを生まれて初めて考えたのは7歳のときです。自分たち子供がいる
せいで親が不幸になっていると感じたからです。強い欝状態。当時私は自閉症の子供でした。
両親は離婚調停中で、最終的には私が8歳のとき離・再婚の繰り返しをやめ、離婚確定。

その後、「子供は親に自分らしい生き方をして欲しいと思っている」という子供心を
大人になっても克明に覚えておくため、
という理由で私は日記を付け始め、
それはかれこれ30年近く続いています。

だから、私の人生テーマは「人はその人が生きたい人生を生きるべきだ」というものです。

余談ですが、夫についてもっとも尊敬する点は、彼が「やりたいことをやっている」点です。

■ 選ぶ自由

私の2大人生テーマの一つ「自立」はあっけなく早期に達成できました。腹をくくったら
すぐだったのです。あっけないほど。私の高校は進学校でバイト禁止でしたが、そんなこと
気にかけていられないとバイトし受験料、進学費用を捻出し進学。大学を決めたのも自分であれば
飛行機から宿泊まで自分で。相談もしませんでした。何があっても行くと決めている人には相談
なんてする必要は無いのです。合格することも分かりきっていたので(今思うとまぁ不思議ですが)受験した日に生協のバイトに申し込んで、入学式より前から大学構内でバイトしていました(笑)。同じバイトで知り合った同級生とは今も同志のような仲です。大学の授業料も生活費もアメリカ留学費用も自分で出しています。成人式、就職、結婚式、住宅購入費、一切親がかり、すねかじりはありません。それでも就職氷河期組みです。

けれどもその自立は得るよりも失うプロセスのほうが非常に難しいものでした。2年ほど前、いったん自立を喪失してしまったのです。夫が転勤になり、私は仕事を失ったのです。

喪失した瞬間は大変なパニックに陥りました。というのも自立と言うのはわたしにとって非常に大事な価値観だったからです。自立と自由は同義語とまではいかなくても、権利と義務のようにセットで語られるものだと感じていました。その感情地図を塗り替える必要があったのです。

しかし、考えてみると”自立”は達成してから10年以上たっていたので、きっと次の「相互扶助」の関係性に移行する時期に来ていたのでしょう。

そして、やっともう一つの人生課題のほうが重さを増してきたわけです。

「やりたいことをやるべきだ」「生きたいと思う人生を生きるべきだ」という課題です。

ただ、長年「自立」をもっとも重要な価値として設計したため、「自立」vs「やりたいかどうか」では「自立」が優先してきたので、経済的自立を無関係にしたときに、やりたいことが
一体何なのか良く分からなくなっていたんですね(^^;)

無論、経済的自立をしていても、やりたくないことをやらねばならないってことはなく、
語学やエンジニアの仕事、そして、マーケッターの仕事、アフターファイブの過ごし方など、
私は自分のやりたいことを自立ができる範囲で選んできました。

が、キャリアという範疇では、私の「やりたいこと」での貢献より「頼まれてやること」が
高く評価されるという循環が生まれていました。

やりたくないこと、例えば、営業など、何度も引き合いばかりが来てしまい…翻訳する人に
営業させようなんて…普通はちょっと違うと分かるとおもうのですが…オファーが来るけど、
やりたいことではなくて、やりたくないことばかりってわけです。本人は苦手意識と言うか
やりたくないけどできないことではないからやっていることでの貢献のほうが高く評価される。

「ちょっと待った、こまったな」というステージです。踊り場にきていたわけですね。

そして次なる課題に取り組むための戦略は何か?それに取り組むために…たぶん私は山に登っているわけですね…(笑)

そうした内的対話にとって、ヨガは非常に強力なツールです。 そして山も。

■ 天国とはこの世のことです

そして…人生とはまったく美しい。 この世は天国を模して作られているそうです。
また人間も神の姿を模して作られているそうです。

まさしくその通りなのではないかと…最近思うのは、人間に与えられた最大の自由が
選択
、であるからです。

選択できる…いつでも。 このことは非常に重要な知恵です。

そして、この知恵は、実は教えられなくても、生まれつき人間に備わっています。

ただ再発見が必要なだけです。

例えば、子供のころ、私は決して豊かではありませんでした。しかし、まったく不幸ではありませんでした。

お金が無いこと=物質がないこと=不幸であること、ではありません。物質がない自分をかわいそうだとみなすことが不幸の始まりなのです。 

ゼロからのスタートも考えてみれば、大チャンスです。

私の愛読書のウォールデンでは、親から相続した田畑という財産に拘束され、自分の生き方ができない農夫たちへの同情から話が始まります。書かれたのは250年も前です。当時から人類の問題は
同じだったわけですね。「人は生まれながらにして不自由」。

現在は高度経済成長期を終え、日本は下り坂を味わっていますが、50年前、田舎での拘束を捨て都会へ出てきた若者たちと比べても現在の日本はすべての点において豊かです。

当時は何も持たずとも、希望に満ち溢れ、3畳一間に住んでいても幸せに感じることができたのに、今では冷暖房完備され、薄型液晶テレビまで支給されても幸せを感じられません。

持たないことは不幸なことではない。持たないことを不幸だと感じる自分の考えこそが自分を憂鬱にさせるのです。

ところがこれに気づくには…ヨガや山が必要ですね~(^^) 

持たないことを心配する必要はないとヨガは教えています。

大丈夫。安心して。

そして前に一歩進みましょう。人にやれることは目の前の一歩を確実に前進することだけです。


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2 Comments

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同感です (airemania)
2012-03-19 22:45:42
Tanihachiさん、やりたいことをやれているようで素晴らしいです。
ぼくは強力な父の下で自分を抑えて生きてきました。
父が亡くなったあとも弱い母の希望に逆らうことができず、ほぼ同じように生きてきました。
去年母が亡くなり、解禁した事のひとつが登山です。
しかし、家族がいるため全てを解禁できないのが辛いところです。
子供にはやりたいことをやって欲しいと思っています。
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airemaniaさん同志です! (Tanihachi)
2012-03-20 17:37:24
コメントありがとうございます。
今山から帰ってきました。

両親というものは色々なものを下賜(笑)してくれますよね。強力な禁止・抑圧…それらは親自身が世界に持っていた恐れを反映していたんだなぁ
って今となっては思います。

山、毎日はいけなくてもぜひこれからも登って頂きたいな… 親からハンドダウンされたものを外して本来の自分を取り戻すプロセスはとってもゆっくりで静かですが、まるで登山の一歩のように確実だ、と山で感じています。
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