今日は甲府はしっとりした雨です。冷たくてとても気持ちがいい。秋雨前線ですね。
やっと夏日が続いた残暑から開放です。
今年は夏本番の頃、今ひとつカッ!とした暑さに欠けて、ただ蒸し暑いばかりで気温的には高くなく、雨も降らずに今ひとつ盛り上がりに欠けた、夏らしさに欠けた夏でした。逆に残暑の頃になって太平洋高気圧は勢力拡大。遅れてきた夏。しぶとく残りました。夏2回あった。今日は蚊も復活していてビックリしましたが、九州ではまだセミが鳴いていたそうです。
お盆は散々だったのになぁ…
■ 家に帰ると妻が死んだふりをしています
というのは本屋で見かけた本。ネットの投稿で話題になり、書籍化されたものでした。
http://www.youtube.com/watch?v=9k-ufOX80Dk
ので、早速自宅でチェック。面白いです。(1,2年前に小耳にはさんだ気が
していましたが、スルーしていました)
この話が私に飛び込んできたのも、面白い偶然だな、と思うんですよね。
愛の形は人それぞれなんだなって。 死んだふりをして、会社から帰ってくる夫を迎える妻。
…死んだふりをする、という愛の形。愛の表現。ネットでの評判はほぼ妻に好意的でした。
ここから学ぶべきは愛の表現は個々人違うってことです。
■ 自分を見つめる
ネットの投稿サイトは同じような悩みを取り上げます。そこには浮気していいかどうかの相談が一杯。
根本的に間違っているのは、自分の心に問わないことです。
自然界には一夫一婦制の動物もいれば、多夫多妻制の動物もおり、オスが子育てをする皇帝ペンギンみたいな動物もいれば、メスしか子育てしない熊みたいな動物もいます。
人間の野性の姿はどうなのか誰も分からないわけです。それどころか人間と言う種で共通のものがあるのかどうかも分からない。
愛の形もそれぞれ。それこそ多種多様。だからそれぞれがそれぞれの自分がどういうタイプなのかは自分にしか分からない。けれど子供は育てられなくてはならない。
結婚は制度です。愛は感情です。性は雄雌の本能による衝動です。愛し合うのは高度なコミュニケーションです。ごちゃまぜにしない。
意味が分からない人は衝動しかなくてコミュニケーションしていないのかもしれません。
■ ブラフマチャリヤ
ヨガでも、キリスト教でも、仏教でも、ほとんどの宗教は、節操を要求します。
ヨガではブラフマチャリアと言って、禁欲を指示しています。
というのは、性エネルギーって生命のエネルギーでもあるんですよね。イコールではないけれど含まれる。 だから、おそらく世界の宗教では、禁欲を一般的に是としているのでしょう。
生命力が大きい人は性エネルギーも大きいことはよくあります。昔は大会社の社長さんはなどは2号3号さんがアタリマエでした。妻が2人も!耐えれます(笑)?並みの男性には1人の女性と対峙するだけでも相当な苦労でしょう。そうでない男性はかなり稀なことでしょう。それは社会的な面で是非がどう、というのではなく、単にパワフルなオスだったんでしょう。それはオレ様キャラの人にいるような一部の自分がそう思っているだけの人ではなく、実際に社会的にもパワフルで影響力があるオスのみに当てはまることです。そういうオスの下のメスが全部幸せかどうかで図れますね?一般社会でちまちま浮気しているようなのには当てはまりませんよ(笑)?それは単なる人間的弱さと未熟さの表れですから。
ヨガの場合は、生命エネルギーの源は、第二のチャクラにあるといわれています。クンダリーニヨガといえば、この生命エネルギーを活性化することを目差したヨガですが、クンダリーニはきちんと順序を守って活性化しないとエネルギーが単に暴走してしまい、自己破滅の道を歩むことになります。
生命のエネルギーは向ける先が生産的であることが大切ですね。単なる消耗ではなく、生産的で健康的であること、程度をわきまえていること。
放蕩や快楽に現を抜かすという大昔の貴族のような退廃的生活は破滅の道です。
むろんだからこそ、世界の宗教と世界の社会規範は非常に個人的な問題である性まで踏み込んだ規律を持っているのでしょう。
そこのところは理解したうえで、自分自身を良く知り、相手を良く知り、そして、
なにより魂のコミュニケーションであることを理解すべきです。
ヨガではタントラ、という言葉で表現しています。
やっと夏日が続いた残暑から開放です。
今年は夏本番の頃、今ひとつカッ!とした暑さに欠けて、ただ蒸し暑いばかりで気温的には高くなく、雨も降らずに今ひとつ盛り上がりに欠けた、夏らしさに欠けた夏でした。逆に残暑の頃になって太平洋高気圧は勢力拡大。遅れてきた夏。しぶとく残りました。夏2回あった。今日は蚊も復活していてビックリしましたが、九州ではまだセミが鳴いていたそうです。
お盆は散々だったのになぁ…
■ 家に帰ると妻が死んだふりをしています
というのは本屋で見かけた本。ネットの投稿で話題になり、書籍化されたものでした。
http://www.youtube.com/watch?v=9k-ufOX80Dk
ので、早速自宅でチェック。面白いです。(1,2年前に小耳にはさんだ気が
していましたが、スルーしていました)
この話が私に飛び込んできたのも、面白い偶然だな、と思うんですよね。
愛の形は人それぞれなんだなって。 死んだふりをして、会社から帰ってくる夫を迎える妻。
…死んだふりをする、という愛の形。愛の表現。ネットでの評判はほぼ妻に好意的でした。
ここから学ぶべきは愛の表現は個々人違うってことです。
■ 自分を見つめる
ネットの投稿サイトは同じような悩みを取り上げます。そこには浮気していいかどうかの相談が一杯。
根本的に間違っているのは、自分の心に問わないことです。
自然界には一夫一婦制の動物もいれば、多夫多妻制の動物もおり、オスが子育てをする皇帝ペンギンみたいな動物もいれば、メスしか子育てしない熊みたいな動物もいます。
人間の野性の姿はどうなのか誰も分からないわけです。それどころか人間と言う種で共通のものがあるのかどうかも分からない。
愛の形もそれぞれ。それこそ多種多様。だからそれぞれがそれぞれの自分がどういうタイプなのかは自分にしか分からない。けれど子供は育てられなくてはならない。
結婚は制度です。愛は感情です。性は雄雌の本能による衝動です。愛し合うのは高度なコミュニケーションです。ごちゃまぜにしない。
意味が分からない人は衝動しかなくてコミュニケーションしていないのかもしれません。
■ ブラフマチャリヤ
ヨガでも、キリスト教でも、仏教でも、ほとんどの宗教は、節操を要求します。
ヨガではブラフマチャリアと言って、禁欲を指示しています。
というのは、性エネルギーって生命のエネルギーでもあるんですよね。イコールではないけれど含まれる。 だから、おそらく世界の宗教では、禁欲を一般的に是としているのでしょう。
生命力が大きい人は性エネルギーも大きいことはよくあります。昔は大会社の社長さんはなどは2号3号さんがアタリマエでした。妻が2人も!耐えれます(笑)?並みの男性には1人の女性と対峙するだけでも相当な苦労でしょう。そうでない男性はかなり稀なことでしょう。それは社会的な面で是非がどう、というのではなく、単にパワフルなオスだったんでしょう。それはオレ様キャラの人にいるような一部の自分がそう思っているだけの人ではなく、実際に社会的にもパワフルで影響力があるオスのみに当てはまることです。そういうオスの下のメスが全部幸せかどうかで図れますね?一般社会でちまちま浮気しているようなのには当てはまりませんよ(笑)?それは単なる人間的弱さと未熟さの表れですから。
ヨガの場合は、生命エネルギーの源は、第二のチャクラにあるといわれています。クンダリーニヨガといえば、この生命エネルギーを活性化することを目差したヨガですが、クンダリーニはきちんと順序を守って活性化しないとエネルギーが単に暴走してしまい、自己破滅の道を歩むことになります。
生命のエネルギーは向ける先が生産的であることが大切ですね。単なる消耗ではなく、生産的で健康的であること、程度をわきまえていること。
放蕩や快楽に現を抜かすという大昔の貴族のような退廃的生活は破滅の道です。
むろんだからこそ、世界の宗教と世界の社会規範は非常に個人的な問題である性まで踏み込んだ規律を持っているのでしょう。
そこのところは理解したうえで、自分自身を良く知り、相手を良く知り、そして、
なにより魂のコミュニケーションであることを理解すべきです。
ヨガではタントラ、という言葉で表現しています。