今日はとても晴れやかな、息をしているだけで幸せな日です。
散歩して帰ってきたところですが、明日など山はさわやかでしょうね~。
ちょっと前から、知人に「2012年12月なんてどこに書いてあるの?」と聞かれていました。 スピリチュアル方面では有名な2012年。
私も「そういえば原典はみたことがないな」などと思ったので、ちょっと図書館で本を借りてきました。
私が知ってたのは、山川夫妻の翻訳本などでの記述ですが、この手の情報は基本的に世間には誤解されていますので、とりあえず誤解だけ解いておくと・・・
・2012年=世界の滅亡などという滅亡論、大規模災害が起こるなどは、尾ひれがついて一人歩きしたものです。
・ではなにがどう?というと、古代文明が発明したカレンダーの区切りが2012年のある地点にある
または
・チャネラー(自称神の代弁者)が受信したメッセージによると…○△□×…
というだけです。
こう書くと、取るに足らないと思われるかもしれませんが、私は、なんにしても切り捨ててしまう思考のほうが、むしろ非論理的で偏狭だと思います。
■ 区切りの利用のされ方
いえるのは、区切りが2012年12月21日にある、ということだけです。
その前後の変化がアセンションと言われています。
例えば、昭和が平成になったように、一区間の区切りが2012年12月21日にあるということですね。
”区切りがある”という話ですから、そこで何かが起こる、という話ではないのです。ただそこが区切りです、というワケ。
というわけで区切りがあるのですが、その区切りの前と後で何かが違う、と言われています。
その”何か”ですが、とりあえず(かどうか知りませんが... )アセンションという名を使われて表現されています。
そのアセンションというのは、”上に一段あがる”と言うくらいの意味です。
ここを具体的に突っ込むと、詳細には第五次元に入るとか、天変地異により何かが変わるとか、地球内部の運動が変わるとか、気の流れが大きく変動するとか、宇宙からエネルギーが流入するとか…色々言われていますけれど(汗)、変化が起こる前に、そこを詳細に突っ込む必要はないんじゃないかな?
なぜなら、時代の変化というのは振り返って分かることで、昭和から平成に切り替わった元旦に何かが劇的に変わることはないのは普通のことだからです。
だからといって平成と昭和では、時代の色合いは同じではないでしょう。
それは後からみたら分かること。
昭和というのは○○な時代だったな、平成と言うのは△△な時代に入ったんだな、という風に理解できるわけです。
2012年12月21日は同じようなものだと私の中では解釈しています。情報の重要度としてはそれくらいで済ましておく重要度かな、と。
似ていますが、エイジオブアクエリアスというのは、みずがめ座の時代と言って、火と戦争の世紀から、水と愛の世紀に入るといわれています。少々古い話で60年代のヒッピームーブメントのニューエイジ系の知識では既に言われていたことです。
■ みんなの心の変化
震災を気に人々のメンタルが変わったのは、誰しも否定できないことでしょう。
イケイケどんどんの経済成長で一億層中流になった日本から、貧富の格差増大の日本、自分だけが良ければ良いと若者(未来)にツケを回した平成氷河期時代、そんな時代に生まれた若者達は最初から仙人のように諦め、運命に身を任せています。
平たくいうと戦後世代のようにハングリー精神があるわけでもないし、団塊の世代のように競争にギラギラしていない。あるいは、団塊二世のように反面教師を見て育ち、皮相的には否定に傾くということもない。ただ運が悪い自分達の運命を受け入れるという感じですね。
ところが、震災で、ある程度理解できるような年齢の人たちの人々の価値観は一転しました。目の前にあるどうしようもない現実は、過去の遺物…仕方がないと受け入れる運命ではなく、自分達が作り出したものなのだから、自分達が負う責任なのではないか?と目覚めた人が多くいました。
社会システムも政治システムも、経済システムも、人間が作り出したものなのだから、人間が壊せないはずはない。
ごく普通に「アクセク働いてもなぜ幸せでないのだろう?」という素朴な疑問が出発点の人もいました。昔は通用した価値観は既に行き詰っています。教えられたことがうまくいかないのは教えられたことが間違っているからなのでは?というわけですね。
カネと競争が支配した時代から、ふと目覚め、「なんでこんなことやってんだ?」と思う。
それはそうです。
お浄土には、カネもモノも地位も、名誉も持っていけません。
生きるのに本当に大切なのは何だろうか? そういう風に原点に立ち戻った。これは普遍的な問いです。時代も性別も文化も越えた問いです。
今この瞬間にも断たれるかもしれない生ならば、真実に大切なことに使いたい、と思うのが普通でしょう…
私が2012年12月に思うのは、そのような心の変化経た人が多数に回るのではないか?ということです。
例えば白物家電の世界などでは、普及率が25%を越えるあたりが普及における一つのラインだということは昔から認識されています。25%を越えるまでが大変で、25%を過ぎれば後は普及は一気に加速する。
あるいは国の発展など、中産階級がどれくらい増えたか、などで統計をとり、企業進出の目安にしたりします。中産階級がある程度いないと売れないタイプの商品はありますよね?
そういうタイプの臨界点が2012年12月なのかな、と。
物質世界に背を向け、精神的な豊かさを取る人々がそれから以降多数に回る、という風に考えています。
むろん、これは私がそう考えたら楽しいな、と思うだけで、根拠もへったくれもありあません。
というか、むしろ2012年12月に根拠もへったくれもないのですから、その前後の変化を夢想するのに、イチイチ根拠など必要なのか?いらないでしょう(笑)
ただ、大いに誤解されているとはいえ、ヨガはこの10年来のブームです。それに山だってものすごいブームです。
まさか、お金をじゃんじゃん使って遊びたい人がヨガをしたり、山に行ったりはしないでしょう。
だってバブルの頃は濃いお化粧をしてジュエリーで身を飾りお立ち台で踊ったり、
高級車を乗り回して夜の街を豪遊して回るのが遊び方だったのです。
今そんなことしていたらダッサーイ感じですよね。なんと平穏で健康的な変化でしょう!
「さあ夢の扉を開けましょう!」と呼びかける住宅展示場のCMが、実は35年ローンと言う「地獄の扉」をあけることを言っているのは、イマドキ誰だって知っているでしょう(笑)
(そうした扉を開けちゃった人たち)がこれまでは実は(お立ち台&六本木組み)を支えていたのです…
今むしろ開けたい扉を開け、ステキな生き方として、注目されているのは、農家になってしまった人などの自然と共生する生き方を選択した人たちなどです。
何と言う価値観の転換!
そういう訳で、時代は(有償)(お金が掛かる)から(無償)(お金が掛からない)ほうに向かっています…
いい時代になってきたと希望を感じるのは私だけでしょうか??
PS 後で読みましたが、この本は良書でした。
どんな時代が来るのか
散歩して帰ってきたところですが、明日など山はさわやかでしょうね~。
ちょっと前から、知人に「2012年12月なんてどこに書いてあるの?」と聞かれていました。 スピリチュアル方面では有名な2012年。
私も「そういえば原典はみたことがないな」などと思ったので、ちょっと図書館で本を借りてきました。
私が知ってたのは、山川夫妻の翻訳本などでの記述ですが、この手の情報は基本的に世間には誤解されていますので、とりあえず誤解だけ解いておくと・・・
・2012年=世界の滅亡などという滅亡論、大規模災害が起こるなどは、尾ひれがついて一人歩きしたものです。
・ではなにがどう?というと、古代文明が発明したカレンダーの区切りが2012年のある地点にある
または
・チャネラー(自称神の代弁者)が受信したメッセージによると…○△□×…
というだけです。
こう書くと、取るに足らないと思われるかもしれませんが、私は、なんにしても切り捨ててしまう思考のほうが、むしろ非論理的で偏狭だと思います。
■ 区切りの利用のされ方
いえるのは、区切りが2012年12月21日にある、ということだけです。
その前後の変化がアセンションと言われています。
例えば、昭和が平成になったように、一区間の区切りが2012年12月21日にあるということですね。
”区切りがある”という話ですから、そこで何かが起こる、という話ではないのです。ただそこが区切りです、というワケ。
というわけで区切りがあるのですが、その区切りの前と後で何かが違う、と言われています。
その”何か”ですが、とりあえず(かどうか知りませんが... )アセンションという名を使われて表現されています。
そのアセンションというのは、”上に一段あがる”と言うくらいの意味です。
ここを具体的に突っ込むと、詳細には第五次元に入るとか、天変地異により何かが変わるとか、地球内部の運動が変わるとか、気の流れが大きく変動するとか、宇宙からエネルギーが流入するとか…色々言われていますけれど(汗)、変化が起こる前に、そこを詳細に突っ込む必要はないんじゃないかな?
なぜなら、時代の変化というのは振り返って分かることで、昭和から平成に切り替わった元旦に何かが劇的に変わることはないのは普通のことだからです。
だからといって平成と昭和では、時代の色合いは同じではないでしょう。
それは後からみたら分かること。
昭和というのは○○な時代だったな、平成と言うのは△△な時代に入ったんだな、という風に理解できるわけです。
2012年12月21日は同じようなものだと私の中では解釈しています。情報の重要度としてはそれくらいで済ましておく重要度かな、と。
似ていますが、エイジオブアクエリアスというのは、みずがめ座の時代と言って、火と戦争の世紀から、水と愛の世紀に入るといわれています。少々古い話で60年代のヒッピームーブメントのニューエイジ系の知識では既に言われていたことです。
■ みんなの心の変化
震災を気に人々のメンタルが変わったのは、誰しも否定できないことでしょう。
イケイケどんどんの経済成長で一億層中流になった日本から、貧富の格差増大の日本、自分だけが良ければ良いと若者(未来)にツケを回した平成氷河期時代、そんな時代に生まれた若者達は最初から仙人のように諦め、運命に身を任せています。
平たくいうと戦後世代のようにハングリー精神があるわけでもないし、団塊の世代のように競争にギラギラしていない。あるいは、団塊二世のように反面教師を見て育ち、皮相的には否定に傾くということもない。ただ運が悪い自分達の運命を受け入れるという感じですね。
ところが、震災で、ある程度理解できるような年齢の人たちの人々の価値観は一転しました。目の前にあるどうしようもない現実は、過去の遺物…仕方がないと受け入れる運命ではなく、自分達が作り出したものなのだから、自分達が負う責任なのではないか?と目覚めた人が多くいました。
社会システムも政治システムも、経済システムも、人間が作り出したものなのだから、人間が壊せないはずはない。
ごく普通に「アクセク働いてもなぜ幸せでないのだろう?」という素朴な疑問が出発点の人もいました。昔は通用した価値観は既に行き詰っています。教えられたことがうまくいかないのは教えられたことが間違っているからなのでは?というわけですね。
カネと競争が支配した時代から、ふと目覚め、「なんでこんなことやってんだ?」と思う。
それはそうです。
お浄土には、カネもモノも地位も、名誉も持っていけません。
生きるのに本当に大切なのは何だろうか? そういう風に原点に立ち戻った。これは普遍的な問いです。時代も性別も文化も越えた問いです。
今この瞬間にも断たれるかもしれない生ならば、真実に大切なことに使いたい、と思うのが普通でしょう…
私が2012年12月に思うのは、そのような心の変化経た人が多数に回るのではないか?ということです。
例えば白物家電の世界などでは、普及率が25%を越えるあたりが普及における一つのラインだということは昔から認識されています。25%を越えるまでが大変で、25%を過ぎれば後は普及は一気に加速する。
あるいは国の発展など、中産階級がどれくらい増えたか、などで統計をとり、企業進出の目安にしたりします。中産階級がある程度いないと売れないタイプの商品はありますよね?
そういうタイプの臨界点が2012年12月なのかな、と。
物質世界に背を向け、精神的な豊かさを取る人々がそれから以降多数に回る、という風に考えています。
むろん、これは私がそう考えたら楽しいな、と思うだけで、根拠もへったくれもありあません。
というか、むしろ2012年12月に根拠もへったくれもないのですから、その前後の変化を夢想するのに、イチイチ根拠など必要なのか?いらないでしょう(笑)
ただ、大いに誤解されているとはいえ、ヨガはこの10年来のブームです。それに山だってものすごいブームです。
まさか、お金をじゃんじゃん使って遊びたい人がヨガをしたり、山に行ったりはしないでしょう。
だってバブルの頃は濃いお化粧をしてジュエリーで身を飾りお立ち台で踊ったり、
高級車を乗り回して夜の街を豪遊して回るのが遊び方だったのです。
今そんなことしていたらダッサーイ感じですよね。なんと平穏で健康的な変化でしょう!
「さあ夢の扉を開けましょう!」と呼びかける住宅展示場のCMが、実は35年ローンと言う「地獄の扉」をあけることを言っているのは、イマドキ誰だって知っているでしょう(笑)
(そうした扉を開けちゃった人たち)がこれまでは実は(お立ち台&六本木組み)を支えていたのです…
今むしろ開けたい扉を開け、ステキな生き方として、注目されているのは、農家になってしまった人などの自然と共生する生き方を選択した人たちなどです。
何と言う価値観の転換!
そういう訳で、時代は(有償)(お金が掛かる)から(無償)(お金が掛からない)ほうに向かっています…
いい時代になってきたと希望を感じるのは私だけでしょうか??
PS 後で読みましたが、この本は良書でした。
どんな時代が来るのか