木を失う悲しみ

2010-10-19 09:43:47 | 現在進行形の甲府暮らし

銀杏の木が切られてしまいました (><)

こんなにも木を失うことが悲しいことだとは思いませんでした。

今日は朝から目の前の銀杏の木が一本残らず枝を払われてしまいました。
まだ青々としていたにもかかわらず・・・、なんという無残な姿でしょう。

地球温暖化防止や環境保護が叫ばれても、このマンションの不動産屋や
大家にとっては、他人事なわけですね。

それはなぜだろうか?と考えると、やはり行き着く果ては、地球温暖化防止
や環境問題が、誰か他所の人がやること、どこか遠いところの森林破壊、
の大きな問題でしかない、ということではないかと思います。

しかし、実際は身近な問題です。 この銀杏の木には来年はほとんど葉が
つかないでしょう。

個人ができることは少ない。けれども町に残る貴重な緑を大事にすることくらい
できます。

そもそもここのマンションは管理が行き届いておらず、夏は草ぼうぼう、
赤ダニが発生して洗濯物を赤く染めても、無視。 廊下や共有部は、
清掃後はまったくありません。

そうした中で落ち葉が嫌だから・・・という理由で、カネを払って木を切り払って
しまうのです。

人間の怠慢以外の何があるというのでしょう・・・ 

私が甲府という町が嫌いなのは、この”怠慢”のせいです。
木を切る、ということだけでなく、街のあちこちに怠慢と他力本願(つまり人のせいにする姿勢)の結果がアチコチに現れています。それをできるだけ見ないように見ないようにと努力しているのが
甲府での私の毎日です。

大都会にあって、地方都市に無いもの、それはひとつは”向上へのやる気”つまり、活気です。活気がないのは、より良くなりたい、という熱意が地方都市には少ないからです。 誰かが・・・それは
往々にして、政府だったり、地方自治体だったり、するのですが、
誰かが自分達を良くしてくれるのを待つだけ・・・
そうした姿勢が本当に卑しいのが、地方都市でした。何しろ、
私は地方都市で育ったのですから知っています。

自立、精神の高貴さ・・・そういうことからは遠い。

そのことを思い出させられ、悲しくなる、銀杏の木の喪失でした。

本当に悲しい思いです。

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