持つべきは気の置けない女友達

2012-10-30 17:55:52 | 幸せのコツ
今日は女友達のありがたさを感じていました♪

午前中にピンポーンと来たので、ちょうど入浴中で(そう、ヨガでは朝シャワーがおススメです)、玄関先で凍えながら「外に置いておいてください」と言うのに、宅急便屋さんが融通の利かない人で、返事をしてくれないので、大きな声を出すとまるでイライラしている人みたいに聞こえてしまいます…。 宅急便屋さんも考えてほしいわー、人は夜風呂に入る人ばかりじゃないのですってば…

でも~ 朝のシャワーを終わって、さて、ヨガでもしようか、というところで、包みを開くと…

じゃーん!オヤツいっぱい♪



しばらく前にぶどうを送った友人からのお返しでした。別にお返しは期待していないので良かったのですが…、っていうか、贈ったぶどうそのものも何かのお返しのつもりで友人に贈ったような(笑)???

というわけで、友人にありがとうメールを打っていたのですが・・・打ちながら、ここ1ヶ月ほど少々夏の疲れで気分も低かったのだと実感しました。

よく考えると実は私最近少し凹んでいたんだよなぁ。

私は、山とヨガで気分転換するのですが、ヨガも山も体を使うアクティビティ…私は頭でっかちになりがちな体癖なので、体を痛めて努めて安静とかで体を使えないと気分が急下降です…。やはり多少億劫でも外に出ることが私の精神衛生には必要なのです。

さらに最近多少ストレスフルな事件が続いていました。ストレスは自分の心から、他の事に気持ちが向けさせられます。大事なのは自分の心です。

先日はやっぱり山は曇りでも雨でもいいなぁと思ったのですが…晴れている日にも「今、脚が…」とかって、自分で自分にブレーキをかけると、ブレーキをかけていること自体がストレスでまったく良くないですね。

■ 主婦業は暇人なのか?

多分言ってくれた人は親切心なのでしょうが、今の主婦業は一時的なことで他にふさわしい仕事をする時期があるだろう、などというのは、言われたほうは余計凹みます。

というのは、その”励まし”、まるで励ましになっていないでしょう…(汗)。

それは、私に向かって「あなたは冷や飯を食わされている」と言うのと同じこと。言っている本人は気がついていないようでしたが… とても無邪気な人でその無邪気さが羨ましいです(--;)。

■ 人生の目的

人は誰しも生まれながらに与えられた人生の目的がある…その人にしかできないユニークな、この世に役に立つ方法があります。その人の才能、情熱、などのユニークなコンビネーションで可能になる、唯一無二の立ち位置が。
その人の才能を活かしきって、この世に生み出せる善を最大化すること。それがその人の使命です。そのことには疑いはありません。

問題は、ほとんどのケースで、それは発見される努力を子供時代にされないまま、大人時代に突入させられることです。

そして生活のニーズを充足することのために人は働き、機会を逃すのです。自分自身の才能を活かし、使命に生きることを後回しにしたために。そうすると絶対に人生は行き詰るのです。行き詰るのは早いほうがいいわけです。

結局のところ、人は自分の使命を自分で発見しなくてはいけません。他の人には発見できません。

親は子供の分を発見する手伝いをすべきですが、現代ではほとんどの場合、むしろ発見の邪魔をすることに躍起になっています。

なので、基本的に誰しも親からは自分らしさを否定するような教育を受けたせいで自分が生きる目的を発見できないという点で、ほとんどの人が平等なスタートラインに立っていますね。

■ 使命に優劣はない

いくら学業や社会的仕事で才能にあふれ優れた人でも使命が結果として主婦である場合もあります。

社会で専門家として精力的に活動することよりも、家事が大変でやりがいがないということはどうして言えるのでしょうか?主婦と言う立場から、世の中に名を成した人は枚挙に暇ありません。たとえ、その方たちに続かなくとも、主婦業という仕事の中身はそうした人たちが示したもので想像できるでしょう。

キリストの母はマリア様です。 歴史に名を残したり、巨大な富を得たり、あるいは多くの人に影響力を持ったりする、ということで、社会貢献の大小を測るのは間違った考え方です。大体肩書きにこだわる人ほど、ありのままの自分を受け入れられない人が多いです。特に日本では。

どんなに小さなことに見えても、それが実は大きな影響力を持たないとはいえません。

成功…それは人間的価値観で見た評価にすぎないのです。

映画のフォレストガンプでは、ガンプの生涯が描かれていますが、ガンプを支えた賢き母(知恵遅れのガンプを
普通の小学校に入れるために母が何をしたか?覚えています?)や、ガンプを支えたガールフレンドのジョニー(父親の虐待に成人後も精神的に苦しめられ、麻薬におぼれた末、ガンで死んでしまう)が、ガンプより偉大でないと誰がいえましょう?2人とも結果としてガンプを成功に導いたキーマンです。二人がいなかったらガンプはなかったのです。

私達一人ひとりの使命(生きていることの価値、生きていることの目的)は、私達一人ひとりからは見えません

それは私達を作り出した、この世に送り出した者にしか見えないのです。それが誰であるにしろ。私達は被創造物であって、自分自身を目的を持って作り出したわけではないからです。 

一人ひとりの人間に出来ることは、

 ・今自分が才能を発揮し、
 ・情熱を持って取り組めることに対し、
 ・対価や結果を求めずに自分を差し出すこと

だけです。仕事だってやりがいがある仕事は誰に評価されなくても自分がそれをやっているだけで、誇りとやりがいが感じられるはずです。

結果の大小で、行為の大小を計る必要はないのです。

結果の大小で行為(使命)の価値を計る限り、その人は自分が果たすことが出来なかった偉大なる使命を夢見て、自分の生涯を過小評価し続けるでしょう…

つまり煩悩というのは、結果の大小で自分の価値を計るような生き方そのものってことです。

それこそ悲しい人生ではないでしょうか。そしてそうした価値観を人に押し付ける人こそ、心の貧しさの証明です。

なぜ押し付けるのか?というとそれは多分自分自身が自分らしい人生を歩んでいないからですね。

■ 生活のフィットネス

私の生きる目的(使命)は主婦業なのかもしれませんし、そうでないのかもしれません。それは知ることが出来ません。

が、目の前の与えられたことをしっかりやるのがまずはその人の課題であることは間違いありません。というか目の前のことも出来ない人が何か偉大なことをやり遂げられると思います?私には思えませんね。

なんで私が主婦業をしていることをさも遊んでいるように言われないといけないのだろうか???? それは社会の見方であって私の見方ではありません(汗)

基本、非常に心外なわけです。私は今の自分をかわいそうとは思えないんで。

私が思うには、主婦業と言うのは”その人次第”が最大限の仕事ですね。手を抜けば抜ける。やろうと思えば、どこまでも深めていける。 これほど裁量の大きい仕事はそんなにない。社長業といえども主婦業ほどの裁量は無いのではないかと思います。枠になるものと言えば、予算の枠が小さいことくらいですね(笑)

私が思うには主婦業というのは、掃除が上手とか料理がおいしいという都度の結果より、むしろ、いかに快適に暮らせるか?の総合評価です。効率、快適性。つまり生活のフィットネス…

我が家は共働きだった頃より確実に生活の質は向上しています。それは私が家にいるからです。いなかったら夫も私も二人ともが不満を感じながら生活しないといけなかったでしょう。


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