高校のときの、国語の先生でした。
男性ですが、かなり背が低く、それを少し気になさっておられたようでした。
同級のS君に「おまえ、ちょっとばかり顔がよくて背が高いと思って、いい気になってるんじゃないぞ。」と
よくからかって(いじって)ました。
あれは、あの先生なりの可愛がり方なんだろうな、というように見えまして、みんなでクスクス笑ってました。
S君も、けっこうなついてたっけな。
あたしからの印象は「面白い先生」だったのですが、実はとても偉い方だったようです^^;
可愛がっていただきました。
というか、生徒ひとりひとりを、とても大事に(甘やかす、ではありませんよ)してくださる先生でした。
あたしの教育実習のときも、当時は学年主任だった先生に、ずいぶんとお世話を掛けてしまいました。
テストの採点を自宅に持ち帰るのは、とんでもなく大変な作業なのだ、と、身を持って知りました。
(せめて、3クラス分くらいにしておいてくださったら、通学電車の中以外でも眠れたんですけどw^^;)
中期テスト終了後の一週間、まるまる完徹しちまいましたよ。翌日の授業の予習や下準備もあるから。
若かったからできたこと。(終わってからの開放感といったら!!)
あとから知りました。実習生は、採点しなくてよかったんですってね^^;
休み時間になると、あたしが副担任してるクラスの教え子たちが、入れ替わり立ち代り連れ立って職員室に押しかけてくるもので、
先生方は目を丸くしておられて。
実習生のことを、そういう目で見る生徒は少ない校風だったそうで。
「おまえは、きっと教師が天職だ、いい先生になるぞ。」
と言ってくださったこと、ありがたく、まだ覚えています。
人生のさまざまな場面で落ち込んだり苦しかったとき。何回か死に直面したときも。
この『自分を認めてくださった』言葉は、心の底の灯火となって、ずっとあたしを支え励まし続けてくれました。
実習中にあった、高体連(今は高総体)のバスケ部の引率も、経験させていただけました。
あたしは体育教師ではなかったのに、ムリをかけたのだと思います。宿泊まであったので。
それで、三週間の予定が、一ヶ月お世話になってしまいました。
貴重な経験をたくさんさせていただきました。ありがとうございます。
あの頃は「ズケズケ言う先生だなぁ。」と思ってたのですが。
いざ、自分が大人になってみたら、すごく言いたいことを我慢してらしたのだ、と理解できます。
ごめんなさい。気が利かないことで、本当にすみませんでした<(_ _*)>
訃報を聞いて、思い出すのは、やさしい笑顔ばかりです。
「いつか、一緒に飲もうなぁ。」
「はい、是非!」
約束は果たせないままになりました。
また、いつかお会いしましょうね。もう少し、待っててください。
今は、安らかにお休みください。
合掌。
男性ですが、かなり背が低く、それを少し気になさっておられたようでした。
同級のS君に「おまえ、ちょっとばかり顔がよくて背が高いと思って、いい気になってるんじゃないぞ。」と
よくからかって(いじって)ました。
あれは、あの先生なりの可愛がり方なんだろうな、というように見えまして、みんなでクスクス笑ってました。
S君も、けっこうなついてたっけな。
あたしからの印象は「面白い先生」だったのですが、実はとても偉い方だったようです^^;
可愛がっていただきました。
というか、生徒ひとりひとりを、とても大事に(甘やかす、ではありませんよ)してくださる先生でした。
あたしの教育実習のときも、当時は学年主任だった先生に、ずいぶんとお世話を掛けてしまいました。
テストの採点を自宅に持ち帰るのは、とんでもなく大変な作業なのだ、と、身を持って知りました。
(せめて、3クラス分くらいにしておいてくださったら、通学電車の中以外でも眠れたんですけどw^^;)
中期テスト終了後の一週間、まるまる完徹しちまいましたよ。翌日の授業の予習や下準備もあるから。
若かったからできたこと。(終わってからの開放感といったら!!)
あとから知りました。実習生は、採点しなくてよかったんですってね^^;
休み時間になると、あたしが副担任してるクラスの教え子たちが、入れ替わり立ち代り連れ立って職員室に押しかけてくるもので、
先生方は目を丸くしておられて。
実習生のことを、そういう目で見る生徒は少ない校風だったそうで。
「おまえは、きっと教師が天職だ、いい先生になるぞ。」
と言ってくださったこと、ありがたく、まだ覚えています。
人生のさまざまな場面で落ち込んだり苦しかったとき。何回か死に直面したときも。
この『自分を認めてくださった』言葉は、心の底の灯火となって、ずっとあたしを支え励まし続けてくれました。
実習中にあった、高体連(今は高総体)のバスケ部の引率も、経験させていただけました。
あたしは体育教師ではなかったのに、ムリをかけたのだと思います。宿泊まであったので。
それで、三週間の予定が、一ヶ月お世話になってしまいました。
貴重な経験をたくさんさせていただきました。ありがとうございます。
あの頃は「ズケズケ言う先生だなぁ。」と思ってたのですが。
いざ、自分が大人になってみたら、すごく言いたいことを我慢してらしたのだ、と理解できます。
ごめんなさい。気が利かないことで、本当にすみませんでした<(_ _*)>
訃報を聞いて、思い出すのは、やさしい笑顔ばかりです。
「いつか、一緒に飲もうなぁ。」
「はい、是非!」
約束は果たせないままになりました。
また、いつかお会いしましょうね。もう少し、待っててください。
今は、安らかにお休みください。
合掌。
私の場合は、小学校のお二人の女性先生。今でもいろいろなシーンが浮かんできます。
私は理科、今のように市販品はないので実験や観察器具は全て自作、教材作りなど部活を終えてから夜10時過ぎまでの毎日でした。しかしとても楽しく充実した日々でした。
なるほど、納得です。
果たされなかった約束。
おいしいお酒を飲む時にふと思い出して
それも供養になるかもしれません。
どうぞ安らかに(*-ω人)
最初に、まっすぐに他人と深く接する。
その「とっかかり」というか、母と違う人から、親身にお世話してもらう、というか。
あたしの場合は、初めてよそに(下宿して)出た、のが高校時代だったもので
特に印象が深いです。
理科は楽しそうですよね^^♪(←ちょっと、うらやましい)
万物すべてが、科学というか理科に集約されていると思います。命の基本、というか。
ステキですねっヽ(゜▽゜*)乂(*゜▽゜)ノ
下準備も、きっと、ものすごく楽しまれたのだろうなぁ、と。
どうやったら、生徒が喜んでくれるか、きっと喜ぶな、とか、不思議がるだろう、とか考えただけで、ワクワクしますよね~( ´艸`)
今回亡くなられた先生も、「おめんど(おまえら)、面白いべ?(面白いだろう?)」と。
相手(子どもら)の気持ち得尾真っ先に考える、真剣に真理を追究する、そういう姿勢は大事だと、思いました。^^
何に、どんな風に納得なされたのか、聞くのが怖いです^^;
約束した当時は「すぐ、できる」と、思ったんですよね。
だけど、クラス担任になられたことは無かったので、クラス会でもお会いできず
同窓会ではなかなか「若いもん」のうちは出ずらく、年をとればそれなり役職とかで多忙で、と、なんやかんやで機会を逃してしまってて。
地元を離れたこともありますし、行き違いが多くて。
約束は、翌日にでも果たすべきだった、と、今になっては悔やむばかりです(T^T)
時の流れは、本当に速いですよね。
やりたいことが出来たら、その週のうちに、少なくとも一ヶ月以内に、と、常日頃から心がけねば、と、痛感しておりまする。(-_-;)
一緒に祈ってくださって、ありがとうございます<(_ _*)>
お彼岸ですからね、きっと、あっちでみんなと「わいわい」やってるのかな?と。^^
楽しい方でしたから、ね。^^
人生の指針になってくれた恩師。つい思い出してしまいました。ありがとうございます。
教師は、聖職であるという意識を持ってて、本当に自分自身の全人生をなげうつ覚悟で
子どもたちに接してらしたと思います。
そして、実際に、そういう先生方から教授を受けることができました、ありがたいことだと思っています。^^
夜中も早朝も無い暮らし。
今では考えられませんよね。
あのころの教師は、普通の楽しみとか自分の快楽などとは無縁だった、と。
日○○あたりが、教師を「普通のサラリーマン」に代えてしまった、と思う。
と、なんだか「えらそうな」「しったかぶりの」言い方、してみました(;´▽`lllA``)てへ。
暴走する前に、このへんで止めときます(-_-;)