日々是迷走中

まったく同じ名前のブログがあるけど、gooのがあたしの。
自称永遠の八歳。
ただし他称、宇宙人。

記憶の断片ーー初めての反感

2010-02-27 11:42:19 | 日常
前にちょっと触れた、ばあやの話。

ばあやは、我が家では絶対に台所には入らなかった。
あたしが誘っても、笑って、黙って首を横に振るだけだった。
あたしは単純に「ばあやは料理が出来ないんだなー。」と思っていた。

台所に続く作業所、ここは親戚が集まるとき(法事とか結婚式とか)の料理を作ったり
何かの行事のとき(餅つきとか)や、うどんや蕎麦を作るときの「のし板」を広げるとか
そういう作業をする場所だったが、吹き抜けの二階への階段があったり、長い水屋(食器棚)
がしつらえてあって、その水屋の板戸をこっそり開けたら、猫足膳がたっっくさん重ねて
おいてあったり丼など重いものがずらっとあったりしたっけ。
何かの行事がある度に、たくさんの手伝いの女の人が集まって、騒がしかった。
そこは板張りで広くて薄暗かった。
四方にたくさんの部屋があったため、そこだけは窓は一個も無かった。

板張り、といっても、今のお洒落なフローリングとかでは無い。
一枚ずつの幅が四尺、長さは5~6間ほどなのか。色は真っ黒、いつも固く絞ったぞうきんで
力を入れて磨いていた。
そこを、ばあやはものすごい速さで、ぎっしゅ、ぎっしゅ、と逆さまになって磨いていたっけ。
ばあやは、他の家族の個人の部屋や二階の部分には立ち入らなかった。
水屋のある作業所と縁側、自分の部屋、離れのトイレ、そこだけを掃除していた。

母が退院してきてからは、ばあやは、あたしの世話をいっさいしなくなった。
というか、かまってくれなくなった。掃除婦に職替えしたみたいだった。
あたしも手伝ったけど、あたしの場合はマンガの小僧さんみたいに、両手でぞうきんを押さえて
端から端まで走る、あれ。でも、すいすいとはいかないよ。途中で突っかかって転ぶの。
まぁ、だんだんに上手にはなったけれど。

我が家の誰よりも、ばあやの仕事ぶりは手早かった。
薄暗いうちから掃除し、柱を磨きあげ、最後に自分にあてがわれた庭に向かう縁側続きの部屋を
綺麗に掃き清め終わると、部屋の片隅に置いてある小さめの長火鉢の前にきちっと座って
おもむろにキセルを取り出し、ぷっか~~~~っと、青白い煙をくゆらせていた。
白い指先でたばこを上手に丸め、キセルに押し込んで、顔をちょっと斜めにして炭火で火を点ける。
そんな仕草の一通りの流れがなんだかとても「美しくて」、幼心にドキドキした。

ばあやの肌は、雪国生まれだからだと笑っていたことがあるが、透き通る白さだった。
肌が白くて薄くて、思わずほっぺたに触ったら、すごく柔らかくて気持ちよかった。
あたしがにっこりすると、ばあやもにこっと笑った。

ばあやは、とても口数の少ない人だった。
まるで「最低限必要なこと以外に口を開けたら損がある」とでも思っているみたいだった。
あたしの方から寄っていくと、ちゃんと相手してくれたけれど、ばあやの方から誘ったり
何かを話しかけてきた、という記憶は、そういえば一度も無い。
ものすごく地味な着物を「きっちり」着ていて、着崩すようなことは無かった。
当時は気付かなかったが、彼女は自分の家に居るという感覚では無かったのだろう。

あたしが小学校中学年の頃だったと思う。
近くに食堂を開いたので、ばあやは早朝そこに通っていき、夜遅くに帰ってくる暮らしになった。
大きいじいちゃまが手筈してくれたのだ、と、みんながひそひそ言っていたのだが。
あたしは内心、とっても案じていた。
ばあやは、料理が出来ないんだよ?それなのに、食堂なんて、何を考えてるの?

学校の帰り、こっそり遠回りして店を覗いた。
狭い店は、とても繁盛していた。
ばあやは、笑顔で冗談を言い、客達がどっと笑ったりしていた。
安心したと同時に、なんだか淋しかった。

ばあやは、台所に入らなかったのだが、それは我が家の人々に遠慮していたのだった。
彼女はとても料理上手で、仕事も速く、清潔好きできっちりしていた。
愛想も良くて度胸もあり、客の大柄な男どもにも言い負けなかった。
我が家での無表情は「ふり」だっただけなのだ。

何日も通(かよ)ってのぞき見しているうちに、ばあやに見つかってしまった。
なんだか、とっても気まずかった。
たまたま客は居なかったので、ばあやは小さくなっているあたしにラーメンを作ってくれた。

めっちゃくちゃ、美味しかった。
横で、あたしが麺を口に運ぶのを見守っていたばあやは、あたしが美味し!と言うと
ふにゃ~、っと表情をゆるめて、「そうかい?」とだけ、言った。

食べた後、次のお客さんが入ってくるまで、あたしは学校であったこととか、いろんな話を
して過ごした。ばあやは、にこにこして聞いているだけだった。

かなりの上機嫌で帰宅したあたしを待っていたのは、玄関先で仁王立ちの母だった。
母は、「どこに行ってたの?」と尋ね、あたしが、くだんの店に、と応えると
問答無用、というように、いきなりあたしの横っ面をはり倒した。
小柄だったあたしは、学生時代バスケでならした母の平手で、壁まで吹っ飛んだ。
どうやら、あたしが「そこ」に居る、というご注進(告げ口)があったのらしい。

二度と、あそこには行くな。行ってはならない。

母は、それしか言わなかった。
あたしは、一緒に住んでいる家族なのに、どうして行ってはならないのだろうか、と
どうしても納得がいかなかったのだが、母の剣幕に押されて、黙って自室に引っ込んだ。

悔しかった。初めてぶたれたことも悔しかったが、何も言えなかったのが納得いかなかった。
何も言ってない、何も聞いてくれなかった、そういう想いが渦を巻いて、いつまでもいつまでも
机に向かって、目を中空にとどめたまま、過ごした。

今にして思えば、母に対する、あれが初めての反感だったのだろう。
今なら、何故ばあやが台所に入らなかったのか、何故母が怒ったのか、少し分かる。
我が家には当時、舅姑小姑その他もろもろ、たくさんの人間が同居していたのだが。
二人居た、まったく我が家とは血縁の無い「居候」でさえ、もっと待遇が良かった。
「ばあやは家族だ」と思っていたのは、うちの中ではあたしだけ、だったのだ。
もちろん、家族旅行とかで温泉に行くときには、ばあやも一緒だった。
でも、ばあやは、楽しそうでもなく、相変わらず「つっけんどん」な様子だった。
これは「ふり」なのだ、と、あたしは知ってしまっていた。


幼かった数ヶ月を同じ布団で眠り、ぐずれば面倒をみてくれたばあやが家族でないなんて、
あたしには、頭で理解はできても、感情では納得ができない。
たまに思い出すと、あのときの痛みが頬によみがえる気がして、あたしはほっぺたに手を当てる。

めんどうなことって、世の中には、ある。

6 コメント

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ほほほ(^^; (まきぼう)
2010-02-27 15:43:47
文部省推薦モノしか受け付けない人、
いるなぁ(^^;
自分の趣味だけに留めててくださればよいのに、
他人にもその趣味を押しつけがち。
一切の「汚れ」を厭う性質を思えば理由はわからんでもないが、
水清くして魚住まず。
そういうタイプさんに「猥談やゲーム話はするな」と、
他の友達と喋ってるところへ首つっこまれて苦情を言われる、
辟易する事件があったばかりのワタシ。
その人のことは嫌いじゃないけど、トラブルは苦手なので、
めんどくさいので逃げてきた。
ははは(^^;

いろんな人がいるよね。
人が大勢で住んでれば、人の数だけトラブルもある。
ひとつ屋根の下だからこそ、小さな汚れが許せなくなる。
せめて家屋がちがえば逃げ場もあっただろうに、
閉ざされた雪国の大屋敷の集う大人たちには、
さぞたくさんの小さな無数のドラマが隠れていたんだろうなぁ。

ほめ言葉の意味で。
文学的だと思います。
返信する
後日談があるのです。 (otikomi)
2010-02-27 16:12:08
その後、数日誰とも口をきかず、ふさぎ込んでいるあたしに業を煮やしたのか
母は、休日にあたしを連れてその店に出向きましたっす。
ラーメンを注文し、食べ終えて、きちんと代金を支払って
普通に挨拶して戻ってきたですよ。

あのときのラーメン、味もなんも覚えてないんですよ。
なんか、はらはらし通しだった記憶しか無いです。(;´▽`lllA``)

あたしは、子供心に、あたしが仏頂面していると、ばあやに迷惑がかかるんだな、って
そう思ったことは記憶しているよ。

ばあやは、一生独身で過ごしたですよ。
いつだったか、身寄りが無くて、行く場所も無いんだ、って聞いた。
大きいじいちゃまは、窮鳥懐に入らずんば猟師もこれを射ず、だって言ってた。

大きいじいちゃま、って、本当に知り合いが多彩だった。
上下含めて、とんでもない方々とまで、知り合いだったですよ。
しかも、「半端ない」つきあい。
名前を出したら「あぁ。」って言いそう。
人間に上下は無いと思うけど、まぁ、便宜上の言葉で言えば、だから。

あたしは、大きいじいちゃまが、とっても好きだった。
本当に懐の広い人だった。
でも、あとの方々は「普通の人間」だったねぇ。
育つには「面白い環境」だった、と、思っているよ。(*´∇`*)
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言い忘れた (otikomi)
2010-02-27 16:23:48
ほめてくれて、ありがとう(*´∇`*)えへ

まきぼうひゃん、トラブってたのか、ご愁傷様(;´▽`lllA``)
他人の怒りに巻き込まれるのはイヤだよね。
面倒ごとは、あたしも嫌い。
あたしも、そういうときは逃げるに限る、で過ごしてる。

そういうとき。
うちらの方ではトラブルの元凶ご本人に対して
「あんなヤツ、今にクソ掴むんだから。」
と、言うのです。ばっちい話で(;´▽`lllA``)
返信する
ほほー。 (まきぼう)
2010-02-28 01:13:34
彩ちゃんがずっと介護してたのは、
その大きいじいちゃまかい?
よい功徳を積んだのぅ( ´艸`)

ラーメンの代金、払ったか(^^;
うちの地域だと、家族じゃない、
他人行儀の扱いだけど、
彩ちゃんちの地域もそうなのかな?
返信する
違うよ (otikomi)
2010-02-28 02:18:11
その上のおじいちゃま。

代金、支払うことは、他人行儀な扱いだよ、うちでも(;´▽`lllA``)
一線を画している、ということなんだろうね。
口には出さない。
誰も、何も言わない。
でも、態度が、きっつかった。(-_-;)
子どもには、せつないことでしたわ。
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あら、意味が分かりづらい (otikomi)
2010-03-04 02:21:34
ごめん、読み返して気がついた。
まきぼうひゃんが書いていたのは
「介護したのは誰?」ってことだったね。
介護したのは、大きいじいちゃまの息子。
普通のおじいちゃま。
普通の、ってのもヘンな言い方だが。

うちらの田舎は結婚が早い。
孫ひ孫、やしゃごなんての、そっちにもこっちにも
居るですよ(^▽^;)>゛ 
三代家族ではなくて、四代とか、どうかすると五代なんてのも。

北海道の伯母は、孫ひ孫やしゃごを数えると百人を越すって。
それぞれが家族を持っているから、半端なく増える。
楽しいってよ、誕生会なんかは(*^。^*)
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