pacyの危ない天使(矢沢永吉ブログ・クレイジーケンバンドブログ・グルメブログ)

2005年4月3日~自由・気ままに好き勝手な事を綴っております(笑)

今年で何年目だぁ???

新潟の母

2013年03月02日 | 出来事(その他)
久々のブログ更新となりました

ここ1週間ドタバタと忙しく・・・・・


実は先週の日曜日に新潟の叔母が亡くなり、水曜日の告別式まで
で向かったりと。

叔母は母方の兄嫁なのですが、自分が幼少の頃から夏休みなどは
その新潟の親戚にずっと居た事から、叔母さんではなく
「お母さん」と呼んでいて、甥にあたる自分を本当に息子のように
接してくれていたので。

最後に話が出来たのが、先月の中旬頃に急遽新潟へ行った際、
入院中の叔父を見舞った後、約30年振りに乗った新潟交通の
路線バスで叔母が入院していた脳外科病院に向かい、寝ていた叔母が
自分が来たのに気付き、自分の顔を見た途端、「あっ、○○(←自分の本名)、
おめぇ、カネあるんけ?」と。「そんな事気にしなくていいわねぇ!
難儀かね???(新潟弁)」と自分。
これが最後だったかな、まともに話が出来たのは。
翌日再度見舞った時は「東京に帰るよ、また来るね」と自分が話しても
頷いていただけで。

叔母の孫達(自分のイトコの子供達)にその事を話したら、
「おばぁちゃまらしいね」と笑っておりましたが。

もうねぇ、ほんといろんな思い出があるな。

お母さんが作ってくれた豚肉とネギのお吸い物のようなスープ。
あれは絶品だった。自分が新潟へ行く都度、自分が作ってくれるように
頼んでいたので、近年では「おめぇが来るすけ、また作っておいたわね」と。
娘にあたる自分のイトコもあのスープはお母さんにしか出来ないと
言っていたぐらい、絶品だった。

自分が6歳ぐらいの時だったかな、のキャディをしていた
叔母のカントリークラブの社員旅行に新潟から東京まで付いていったり。

年号が「平成」に変わった日も本家の叔父とお母さんと
早朝したり。


お棺に納められたお母さんが自分の結婚披露宴に出る為に
作った100万円の着物を着てくれていたのも嬉しかった。

告別式の最後のお別れの際に声を掛けていた親族の中で
自分が一番長く声が大きかったらしい(って後で孫達に指摘され


本当に有難うね・・・可愛がってくれて。


お母さん。







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