会津藩には年齢別の部隊がありました。主力隊の50歳以上は玄武隊、36歳~49歳の青龍隊、18歳~35歳の朱雀隊。そして予備隊の16歳、17歳の白虎隊。
会津に攻め込んで来た新政府軍に対し、出撃命令を受けたわけです。
隊長が山中での夜営を命じ他の隊との作戦会議に出るため陣地を一旦離れた。白虎隊その場を残したまま。隊長は道中、新政府軍に遭遇。銃弾が顔に命中、大怪我を負いながら鶴ヶ城に戻っていた。
隊長の戻るの待っていた白虎隊は戻らない隊長に変わり、指揮を執る年長者が隊を率いて山中をさ迷いながら会津城下を見渡せる飯盛山に身を隠す。中腹あたりから、燃える鶴ヶ城を見て敵の手に落ちたと悟り、19名の少年隊は自刃。新しい年号、明治になるたった2週間ほど前。
しかし、彼らの見た炎は城下町の火災で、実際には新政府軍に攻め込まれ落城したのでは無く、徹底抗戦の末に会津藩主松平容保がこれ以上の犠牲と城下の破壊を止めるべく降伏。開城という道を選んだ。
鶴ヶ城は1ヶ月以上の近代兵器の猛攻を持ってしても、攻め落とせなかった難攻不落の城だった。
そんな土地柄なんです。会津、福島県ってのは。
とにかく我慢強い。
海側の相馬の有名な祭、馬追いも江戸から遠く離れた場所に居てもいざの時に騎馬隊が早馬で援軍に行く訓練の名残です。
そんな我慢強さを利用してきたんさ、権力は。歴史を見てもそうだわな。
で、白虎隊自刃の地に。
十九士が眠っています。
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少し歩くと、自刃の地です。
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話を知っているだけに、何とも言えない気持ちになります。
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中央の緑ある所が鶴ヶ城です。確かに城下町が黒煙と猛烈な炎をあげていたら落城と思ったのかと。
いや、何とも。
どんな事だろうと、戦争は駄目だ。
全く意味が無く、大儀も無い。
私はそう思う。
皆さん福島県の旅行してみて。我慢の歴史を知ることが出来るから。
では。
Paikaji