翡翠(ヒスイ)と聞くと美しい緑色の宝石を思い浮かべると思います。私も仕事柄、まず一番はじめに頭によぎります。
ただ、翡翠と人間との関わりについて調べていくと「へ~!そうだったんだ!」と言う事実に出合うのです。
鉱物的な化学組成の話しになるとかなり長くなるので、ここでは、人との関わりの起源についてお話ししますね。
翡翠は時の権力者や祭祀に使われていたなど歴史のほんの断片でしか紹介されません。何か魔力のある特別な石に祭り上げられた経歴の持ち主。美しい緑色の翡翠は絶大な権力を持った歴代の大陸の王朝や南米の文明で特別な人間しか持つことが出来ない石でした。
南米のインカ文明で2500年前、中国の歴代皇帝で250年前から装飾品として使い始めていたのですが、日本の縄文人はそれらを遥か凌駕する6000年前からペンダントとして身に付けていたのです。
これが、現存する世界最古の翡翠ペンダント。世界中の研究者が見に来るそうです。そりゃあ、そうだろ。。
翡翠以前にも10000年前から縄文人は加工しやすい滑石(かっせき)でアクセサリーを身に付けていた事が出土した遺物から分かっています。学芸員の話しによると、まず、アクセサリーはイヤリングから始まったそうです。
丸いのは全てイヤリング。
そして、ペンダントを身に付けるようになったと。
さて、身に付ける文化が10000年前からあることは分かったのですが、今回のテーマ、人との関わり、、
これはワタシも目からウロコ。石を加工する為のたたき石として使われ始めたそうだ。縄文人は15000年以上前から日本に定住し始めたグループ。移動し易い海沿いを選択する訳ですがその土地その土地での暮らしは、そこにあるものを活用するわけです。
糸魚川周辺には新石器時代からの集落跡が発見されています。数は多くは無いそうです、学芸員によると。が、日本で発見される縄文時代の集落跡と違う機能があるそうです。
石の加工場があるのです。
当時、何を作っていたのかというと。。
石斧。
糸魚川で作られた石斧が全国から出土している。なぜ、それが分かるのかというと、斧本体が蛇紋岩(じゃもんがん)や翡翠で出来ているから。
翡翠に歯を付けるには固い石が必要。その石が翡翠なんです。数多くの翡翠たたき石が出土しています。
地中奥深く、さらに岩盤となって存在している蛇紋岩や翡翠。糸魚川近辺では川で上流から流れてきた多種多様な岩が海岸に打ち上げられます。
私もそうしたように、縄文人も海岸でそれぞれに適した岩を採集し、集落に持ち帰り加工したのです。発掘された材料の石が現在の海岸線に打ち上げられる岩と同じ、全て、丸みを帯びているのです。
簡単に大量にしかも安定して手に入る糸魚川近辺の縄文人は石を加工する技術がずば抜けていた集団。その加工品は全国から出土していて、また、糸魚川の遺跡からは全国の縄文時代の出土品が逆に発掘されているのです。
と、言うことは、当時、10000年以上前の縄文人は他の地域の縄文人とネットワークが確立していた事になります。これって、凄いことですよ。
因みに教科書で見たことのある火焔模様土器は太平洋側の縄文人が好んで作ったデザイン。
日本海側の土器は。白っぽい土が多く渦巻きデザインが多いそうです。
この2つの土器は糸魚川の長者ヶ原遺跡から出土した土器です。
糸魚川、長者ヶ原遺跡は当時の日本に産業革命を引き起こした先端技術を持っていた工業集落だったのですね。
いやいや、感動しましたよ。本当に。
さらに現地調査を行い、彼らの足跡を追って行きたいと思うのです。
彼らの加工品や糸魚川の翡翠はこれだけ広範囲に広がっていたのです。もしかしたら、技術指導に向かい帰れなくなった交易人が広範囲に技術と共に広がっていったはずです。
10000年前の我々のルーツ、縄文の人々は我々の想像を遥かに越えた勇気のある専門集団が国土に広がり、そして、ネットワークを持ちながら生きていたはず。
凄いことですよ。
縄文時代。タイムマシンがあれば行って生活してみたい時代ですよ。
では。
paikaji