今日を真ん中に前後3日を秋分の儀であります。
我々日本人は自然の力を借りて恵みを戴いております。宗教観以前に自然観が遺伝子レベルで積み重ねられています。
元々、ご先祖様を偲ぶ期間では無く、無事、収穫を出来る喜びを目に見えぬ自然神へ感謝する陰陽中立時期なのでして、非常にバランスの取れている期間。この期間、今年一年を振り返り来年に向け思いを馳せるにはとても良いのです。一年の計は元旦では。。実は無いのですよ。
明治維新後、全ての日本古来のシステムを西洋風に変更するわけですが、自然神への感謝をするこの時期をご先祖様へのお墓参りへ定着させたのは時の政府でもあるんですから、、お上の言うことには人間はどうしてこうも煽動されちゃうんでしょう。。
今の日本を見ますと、どうも貧乏人が増えたように思うのです。物質的には満たされているのに何か何かと当てもなく探し続けている人が多いように感じるのです。
戦後、日本には貧しい人はたくさんいました。それこそ無い中で喜びを探す心の豊かさを持った人たちです。少ない中、貝を分け合って暮らす。それを貧しい人と言います。
現在はそれが欠乏しています。それを貧乏人と言います。
自分らしさ、自分探し。。何だか訳の分からない事を煽動し「あなたのこの世に生まれたミッションは」などと、大して社会経験、人生経験の無い輩が先生と呼ばれ人に説法をするなどと恐ろしい宗教的な事をセミナーとして開催している事も耳にします。
人間は特別な存在ではありません。哺乳類です。捕食者です。食べないと生けないのです。
生物進化上、他の哺乳類と違う戦略を選択した事があります。弱者に合わせた社会構築です。他の哺乳類には無い戦略です。哺乳類ながら恐竜時代、小型の爬虫類に追われ活動時間を夜に限定して生きながらえてきた私達の祖先は仲間を群れ全体で守り育てる戦略を選びました。子供を命懸けで守り抜く社会システムです。ハンディを持って生まれてきてもそばに寄り添うシステムです。そこには個の認証システム回路はありません。
時は流れ、直立しアフリカを出た祖先はグレードジャーニーでそれぞれの定住地で独自の対応を獲得して来ました。それが人種です。
人種が確立しても、弱者に合わせた社会システムはそれぞれの人種で採用されています。恐竜時代に生き延び、その後の何千年という氷河期を生き延びた遺伝子には群れる戦略が組み込まれているからです。
人間は特別な存在で超越し覚醒すると意識レベルでどんな事も出来ると。。SNSなんかでせっせと記事をあげるのを見ると哀しくなるのです。
死なないように食べないと生けないのです、生き物ですから。人間はそんなもんです。期待しすぎです。
だから、収穫を左右する太陽を崇めてきたのです。人間は。
難しく考えないで下さい。人間はなるようになっています。どういう事かと言うと、死ぬようになっています。決まっているのに、時間は限られているのに自分探ししても仕方ないです。
毎日を減点法で過ごすか加点法で過ごすか、どちらがいいのか決めれば良いだけです。
先日、生きるために道端で商売を始め今では地元で人気の今どき珍しい懐かしいドライブインでお食事をして来ました。
創業当時、道端で恥ずかしそうにワゴン販売から。
徐々に。。
そして、現在。
生きるのに必死な人は自分探しなんて絶対しません。その日その日人生の意味なんて考えてる暇が無いんです。でも、毎日毎日の行動の積み重ねで振り返れば「良くやって来たね。。」
これこそが人生の意味です。生き続けた事ですよ。
さ、ご先祖様からバトンタッチを受けた私達はわざわざ自分探しなんざしなく良いように出来ています。
悟りを得ようと王子の身分を放棄し厳しい修行に身を置いたブッダが行き着いた境地は「俗世間を捨てたと思い込み修行をする人間ほど無駄なもの無い」でした。毎日毎日同じ繰り返しをし続ける一般の民こそ悟りの境地に入っていると言ったのです。
今日も明日も同じ事の繰り返しかもしれません。どんな生き物も同じです。我々は特別な種族ではありません。生きるために選んだ今の生活をそれぞれ繰り返すしかないのです。
我が人生、加点法の方が楽しくないですか?
なんだか、思わず書きたくなりました。
それでは。
paikaji