始まればあっと言う間に終わってしまいました。リオデジャネイロ五輪。
治安がどうだ、伝染病がどうだ、準備がどうだと言われていましたが蓋を開ければ、細かい事はあったでしょうが素晴らしい大会運営だったと思います。
今回、競技後の大方の日本選手インタビューコメントが大きく変わっていたように感じます。
北京五輪辺りから徐々に変わり始めてましたが、12年~8年前辺りの日本選手団は『自分の為に、』とか『楽しみたい、、』だとかおおよそ、変な自由個人主義的な勘違いした受け答えをしていたアスリートが多くて『嫌な感じになって来たな』と正直思っていました。
あの当時の変な空気は一体、なんだったんだろ。。
メディアでさえ『国の代表と気負う事無く、楽しんでもらいたいですね~』と言う風潮さえあったように感じます。
それから震災、不安定な世界経済、国民総生産3位転落、小中学生の学力低下など不可抗力な災害もありましたが、結果、日本人に向いていないゆとり、個人主義的な思想がもてはやされた時期が奇しくも、日本の国力低下を招いた時期に合致する。
他国にお金と引き換えに日本が長い年月を掛けて培って来た技術を売り渡す早期退職者が続出。あっと言う間に各分野で追い抜かれ、さらに企業の業績は悪化。更なる人員整理。。止まらない嫌な流れ。
国の代表ってのは、国の代表なんです。
その人が発する言葉や競技に対する姿勢が、国、そのものなんです。
『楽しみたい』『自分の為に』では絶対、無い。それは思っていても、口に出すべきでは、無い。その後のこぼれ話しで聞こえて来るなら構わない。
国が支援し、強化プログラムを施し、海外から一流のコーチを呼び寄せ巨額の資金を投入してアスリートを作り上げるわけだ。もはや、そこには個人主義は存在しない。自己犠牲と任務遂行なんです。
今回のアスリート達は、一様に、、
『支えて下さった、会社、家族、コーチの為に、』
『会場にいらっしゃる日の丸を振って応援して下さった方々、、日本で応援する方々に少しでも、、』
『日の丸を掲げたい、、』
『次の若い世代のアスリートの為に、、』
これって、誉める内容では無いんだけど、なんか普通に戻って来たように感じます。安心しますよね、こう言う言葉は。
前人未到4連覇の女子レスリング伊調選手の亡くなったお母様は、
『死んでも、勝て』と言い聞かせていたそうですね。
これって、『負けたら、死ね』では無いです。国の代表の心構えです。非常に日本人的な表現ですけど、、でも、これくらいの覚悟が無ければダメだ!と伝える言葉です。
その重圧に耐えられない人物と、理解、行動出来ない人間は、どの国であろうとも国の代表になってはならない。。
今回の代表選手コメントは大方、良い『手本』になるものであったと思います。そして心底、そう感じながら準備してきたんだと思います。
『謝らなくても、いいですよね~、頑張ったんだから!』
選手のコメントを聞いてかばってるつもりのコメンテーター。これって、死ぬ気でやったこと無いから出てくる言葉です。
選手は支えてくれた全てに詫びているんです。それをその必要は無いって、一番失礼で無礼な事だと、私は思うのです。
『競技を見てる全ての方に、ちゃんと伝わってますよ!』と何故、言えないんだろか。。
競技結果は結果。それが全てでは無い。ただ、強く、人格者はどんな状況下でもメダルを獲得している。これは事実。
次は日本開催。
現在ジュニア育成選手が出るチャンスもある。今回、選ばれなかった選手にもチャンスもある。が、今回の日本選手団は色々な意味で強かった、良き人物が多かった。
今回の代表選手を上回るには余程の覚悟が無いと、東京では日本代表になれないだろう。
死ぬ気でやる覚悟のある選ばれし者。これがオリンピアだ。
2020年、日本は世界はどうなっているんだろか、楽しみですね。
あ、パラリンピックが始まります。楽しみ楽しみ。
では。
Paikaji