皆さま あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
記事を書く気はなかったんですが、月が替わるとブログのカレンダーの更新マークが無くなる。なんとなく印がないと寂しい。新年のあいさつ代わりなのだから中身がなくても構わないだろう・・・と言うことで、思いつくまま書いて行きます。
年末の紅白歌合戦ですが、僕は見たくないのでビデオで「ゴッドファーザーパート1」を見たいと主張、だがパリは紅白を主張する。
まあ、見たいのなら仕方がない、ってことで紅白は見ました。結果、今までになく見入ってしまいました。例年の入り乱れてのくだらない応援合戦みたいなものがなく、歌を優先、どれがと言うのでなくどの歌手も一生懸命歌に集中していた。特にフルオーケストラをいくつも用意するところは、さすが国民から受信料をもらいすぎているNHKだけのことはあります。まあ、今年も受信料は払います。
さて、年が明け、毎年我が家の恒例行事が食事会です。元旦はお休みのところが多いのでホテルのレストランで開くのですが、密を避け、大人数の会食は控えるようにと言うお達しが来ている。我が家の家族会は総勢15名、高齢者はわが母、95歳、そして既往症を持つ義理の兄さん、透析中、この二人がやりたいというのなら決行したい。先方のレストランは「ご親族同士なら全く問題はないです」と言うことで無事行うことができました。街もガラガラ、道もガラガラ、レストランもお客は少なく、逆にとても丁重なサービスが受けることができ大満足でありました。
今日二日は初詣に行きます。人の溢れる有名な神社は行く気はなく、昔から知っている誰も行かないような静かな神社二か所に行くつもりです。家から徒歩でまいります。
帰ってきたら神社の様子を貼り付けますね。
暇があるのでアメリカ史をもう一度調べていますが、南北戦争と今起きているトランプ氏の大騒ぎとの類似点の考察ですね。基本的に清教徒=ヤンキー=アングロサクソン対ノルマン=奴隷貴族=東インド会社みたいな構図ですが、他の大半の州もその成立時の構成から内部に分裂の火種を持ちつつ、最後は奴隷解放に賛成か反対かで対応が分かれた・・・みたいな感じですか。
したがって、奴隷以外の争点は先送りされ、もやもやしたまま現代まで来てしまった。しかし公民権運動という問題がさらに問題を複雑にし、それが現在のトランプ氏の支持層が思いのほか強くなっている原因のようです。まあ、人種問題は解決しないっていうか、解決する気はないですね。
さて、もう一つの勉強課題が三井です。明治維新の本当の主人公は岩倉具視であるというテーマをまず決め、その陰謀を資金面から支えたのは三井である。これが結論で、結論が先に来てあとはそれに沿って歴史的事実を肉付けしてゆく作業をします。まあ、やり方が逆だろう・・・とは思うのですが、結論が間違っていれば目も当てられない話なのですが・・・・。
https://note.com/saharamakoto/n/ndda4826a93a9
嵯峨天皇(52代天皇:在位809年〜823年)の時代に心身を浄める神池(糺の池)の役割を賀茂御祖神社(下鴨神社)に移したとされる。「糺の池」が移されたのは、ちょうど平安時代(794年〜1185年頃)であることから首都の整備計画の一環だと思われる。
木嶋神社の御神紋は「二葉葵(ふたばあおい)」であり、下鴨神社と同じ(上賀茂神社、松尾大社も同じ)。近年まで太秦を含む広域は「葛野郡」と呼ばれており、葛野(かどの)という呼称は古くは『日本書紀』にも登場する。その流れも踏まえても太秦の秦氏と下鴨神社の賀茂氏とは深い縁や共通する役割もあったであろう。
この元糺の池にあの有名な三本鳥居があり、養蚕神社ともいわれる。この神社の宮司が三井だったと。要は、天孫、天神、地祇の三者が手打ちした場所と、手打ちさせた本人が三井だったとも考えられる。もちろん真実は何処にも記されていない。
明治維新の始まる前、三井は江戸、京都、大阪に支店を持ち、幕府、新政府両方につながりを持っていた。しかし最終は京都店の意向により新政府を応援する側に立ったと伝えられる。が、物は言いようである。
まあ、この辺を含め三井を研究することは日本の歴史を研究するということにつながると考えています。ただ、どこまで調べることができるのか、調べることはいくらでもあるし・・・。
ってことで、今年もよろしくお付き合いを・・・。
さて、今初詣から帰りました。約二時間半の遠足みたいなものです。
自宅から歩いて30分で覚王山日泰寺。ここは年に何回か散歩で訪れます。広くてなかなかいいところです。写真は五重塔です。参道には小さいけど面白い店もあり結構楽しいところです。
そこから歩いて6分。小さいころこの辺に住んでいたので遊び場にしていた神社です。山神社です。
そこからまた歩いて10分。蝮八幡社に行きました。思ってより人が多く、びっくり。このあたりは池下と言い、昔池の下だったんでしょうね。
帰りはもう歩けないのでバスで帰ります。敬老パスを持っているのでタダです。乗る人の全部が敬老パスです。こんなんでいいのかな…?とは思いますが、30分に一本ではねえ、あてにできないもんね。
今年もよろしくお願いします。
記事を書く気はなかったんですが、月が替わるとブログのカレンダーの更新マークが無くなる。なんとなく印がないと寂しい。新年のあいさつ代わりなのだから中身がなくても構わないだろう・・・と言うことで、思いつくまま書いて行きます。
年末の紅白歌合戦ですが、僕は見たくないのでビデオで「ゴッドファーザーパート1」を見たいと主張、だがパリは紅白を主張する。
まあ、見たいのなら仕方がない、ってことで紅白は見ました。結果、今までになく見入ってしまいました。例年の入り乱れてのくだらない応援合戦みたいなものがなく、歌を優先、どれがと言うのでなくどの歌手も一生懸命歌に集中していた。特にフルオーケストラをいくつも用意するところは、さすが国民から受信料をもらいすぎているNHKだけのことはあります。まあ、今年も受信料は払います。
さて、年が明け、毎年我が家の恒例行事が食事会です。元旦はお休みのところが多いのでホテルのレストランで開くのですが、密を避け、大人数の会食は控えるようにと言うお達しが来ている。我が家の家族会は総勢15名、高齢者はわが母、95歳、そして既往症を持つ義理の兄さん、透析中、この二人がやりたいというのなら決行したい。先方のレストランは「ご親族同士なら全く問題はないです」と言うことで無事行うことができました。街もガラガラ、道もガラガラ、レストランもお客は少なく、逆にとても丁重なサービスが受けることができ大満足でありました。
今日二日は初詣に行きます。人の溢れる有名な神社は行く気はなく、昔から知っている誰も行かないような静かな神社二か所に行くつもりです。家から徒歩でまいります。
帰ってきたら神社の様子を貼り付けますね。
暇があるのでアメリカ史をもう一度調べていますが、南北戦争と今起きているトランプ氏の大騒ぎとの類似点の考察ですね。基本的に清教徒=ヤンキー=アングロサクソン対ノルマン=奴隷貴族=東インド会社みたいな構図ですが、他の大半の州もその成立時の構成から内部に分裂の火種を持ちつつ、最後は奴隷解放に賛成か反対かで対応が分かれた・・・みたいな感じですか。
したがって、奴隷以外の争点は先送りされ、もやもやしたまま現代まで来てしまった。しかし公民権運動という問題がさらに問題を複雑にし、それが現在のトランプ氏の支持層が思いのほか強くなっている原因のようです。まあ、人種問題は解決しないっていうか、解決する気はないですね。
さて、もう一つの勉強課題が三井です。明治維新の本当の主人公は岩倉具視であるというテーマをまず決め、その陰謀を資金面から支えたのは三井である。これが結論で、結論が先に来てあとはそれに沿って歴史的事実を肉付けしてゆく作業をします。まあ、やり方が逆だろう・・・とは思うのですが、結論が間違っていれば目も当てられない話なのですが・・・・。
https://note.com/saharamakoto/n/ndda4826a93a9
嵯峨天皇(52代天皇:在位809年〜823年)の時代に心身を浄める神池(糺の池)の役割を賀茂御祖神社(下鴨神社)に移したとされる。「糺の池」が移されたのは、ちょうど平安時代(794年〜1185年頃)であることから首都の整備計画の一環だと思われる。
木嶋神社の御神紋は「二葉葵(ふたばあおい)」であり、下鴨神社と同じ(上賀茂神社、松尾大社も同じ)。近年まで太秦を含む広域は「葛野郡」と呼ばれており、葛野(かどの)という呼称は古くは『日本書紀』にも登場する。その流れも踏まえても太秦の秦氏と下鴨神社の賀茂氏とは深い縁や共通する役割もあったであろう。
この元糺の池にあの有名な三本鳥居があり、養蚕神社ともいわれる。この神社の宮司が三井だったと。要は、天孫、天神、地祇の三者が手打ちした場所と、手打ちさせた本人が三井だったとも考えられる。もちろん真実は何処にも記されていない。
明治維新の始まる前、三井は江戸、京都、大阪に支店を持ち、幕府、新政府両方につながりを持っていた。しかし最終は京都店の意向により新政府を応援する側に立ったと伝えられる。が、物は言いようである。
まあ、この辺を含め三井を研究することは日本の歴史を研究するということにつながると考えています。ただ、どこまで調べることができるのか、調べることはいくらでもあるし・・・。
ってことで、今年もよろしくお付き合いを・・・。
さて、今初詣から帰りました。約二時間半の遠足みたいなものです。
自宅から歩いて30分で覚王山日泰寺。ここは年に何回か散歩で訪れます。広くてなかなかいいところです。写真は五重塔です。参道には小さいけど面白い店もあり結構楽しいところです。
そこから歩いて6分。小さいころこの辺に住んでいたので遊び場にしていた神社です。山神社です。
そこからまた歩いて10分。蝮八幡社に行きました。思ってより人が多く、びっくり。このあたりは池下と言い、昔池の下だったんでしょうね。
帰りはもう歩けないのでバスで帰ります。敬老パスを持っているのでタダです。乗る人の全部が敬老パスです。こんなんでいいのかな…?とは思いますが、30分に一本ではねえ、あてにできないもんね。