日本で一番偉い人はだれか?これを調べるのが私に課せられた使命の一つなのだが、それが誰なのかより、重要なのはどのような仕組みになっているかの方がはるかに大事なことである。それが斎院・斎王制度であったのだ。
以前、私は伊勢へ旅行に行き、近鉄沿線の斎宮跡に興味を覚え、わざわざ訪ねたことがある。現在も発掘中でその規模の大きさは想像を超えている。現在は行われていないと言われる斎王制度だが、賀茂神社の斎院制度と同様、形を変えて存続している。しかも、これが日本の国体の基本だということである。
まあ、早い話、私がかつて唱えたお種理論も重要な話ではあるが、お種よりも畑の方が重要だと、つまり妃が次の王様を生むわけで・・・・・・この婚姻を仕切っている派閥が即ち日本を支配しているということである。先日のやんごとなき血流の養子縁組などももちろんこの派閥の仕切りなのだ。またやんごとなき血流はもちろんだが、いわゆる閨閥を構成する婚姻や養子の複雑な仕組みは彼らの持つ秘密の家系図がなければ成り立たないのである。
さてと・・・それと関わりがあるかはともかくとして、私は現在聖書を調べている。もちろんキリスト教に改宗しようというのではない。世界の仕組みを知る上で、聖書の中身を知ることがどうしても必要になるからだ。言うまでもなく、私が聖書に関わるのは聖書が誰が、何のために書かれたかを知りたいからであり、同様に、日本書紀、古事記にしても何らかの目的を持って編纂されたことは明らかである。もっというなら、中国の歴史書と言われる史記も同じことである。秦の始皇帝は焚書坑儒を行い、過去の記録はすべて燃やしてしまったと言われるなか、司馬遷はどのようにしてあの恐ろしいほど詳しい歴史書を作り上げたのか、甚だ疑問が沸き起こるのである。
以前、鹿島昇氏の著作でそれらの分析を読んだものの、オリエント史、ギリシャ史、ローマ史の精通したうえにさらに中国史も同じように知っていないことには手も足も出ないことであり、私としてはまったく力不足だった事を白状しよう。ただ、すべての史書に対しても潜在的に疑いを持っていることはもちろんである。。
旧約聖書における一番の疑問は世界人類の祖先はノアの三人の子供から始まるとしたことで、これが前提で世界は動いているという現実である。聖書を信じている人たちには申し訳ないが、巨石文明などの考古学的な発掘は少なくともノア以外にも人類が存在したことを示しているのではないか。まあ、この辺のことはヤペテ系の人たちを調べて行くしかないのだが、今はそれよりもエッセネ派でしょう。
さて、「イスラエルがカナンの地に侵攻し、祭司サムエル(サミエル)は民の要望で王政を始める。最初の王を指名したのが彼なのだが、王政は主の教えに反するのだぞ、と民衆に何度も念を押し、王がヤハウエにそむくと民にも天罰が下るのだと説明し、初めての王、サウルを指名する。当時の支配部族はエフライム族だったが、この時点から「王を指名する」レビ族が優位に立つわけだ。つまり、王と王を指名する人「油を注ぐ人」という二重構造が出来上がる。これが現代までつながるもめごとの最初の一歩だったのだという。」ということをS氏からお聞きし、でその最初の一歩を調べることになったわけである。
さて、聖書の初心者であるマヨちゃんが聖書を語るのはやや頼りないのだが、間違いや誤解があれば指摘してほしい。
さて、サムエルを祭司にしたのはアロンの正当な後継者であるエルである。
不妊の女、ハンナという女がいた。エフライムのエルカナの妻であるハンナは不妊に悩み、祭司エルに「子をいただきましたら、あなたに捧げます」と祈り、シロの祭司エルは「安心して行きなさい。イスラエルの神がかなえてくださるように」と答えた。そして彼女は身ごもり、男の子を生み、名前をサムエルとなずけ、祭司に預けられる。そして祭司は自分の息子ではなく、このサムエルを後継者に選ぶのだから・・・普通の人ならだれの子供かは明白だよね。血分け?
エルの二人の息子、ホフニとピネハスは祭司の権力を傘に主に捧げるべき肉を横取りしていた。肉の中で最も貴重な脂肪は焼いて主に捧げる慣わしであったあったが彼らは自分たちで食べちゃったと・・・。そのぐらいどこでもやってると思うのだけど。
13歳のとき、エリは「我が子サムエルよ・・」と呼びかけ、主の声を聞けと、そして「主がみこころにかなうことをなさいますように。」、つまり二人の息子を差し置いて祭司を継がせたのだ。
まあ、その後ペリシテ人との戦いで契約の箱を前に出し戦うも、彼らに負け、さらに契約の箱を取られちゃった。
神の箱は奪われ、エリの二人の息子は死んだ。そしてその知らせを受けエリも門のそばに落ち、首を折って死んだ。
この契約の箱は先々で不幸をもたらし、結局はイスラエルに返されることになった。しかし、信仰がなければただの箱であり、箱を前面に立て戦ったことは偶像崇拝の罪を犯した。その為にイスラエルは打たれたのだと。なるほど・・・。
サムエルは年老い、職務を息子達に譲る。しかし息子たちは民に仕えようとせず自分たちの利益を求める。そこで民はサムエルに王を立てるように求めた。
イスラエルの長老たちは「あなたの息子はあなたの道を歩みません。どうか今、他のすべての国民のように、私達をさばく王を立ててください。」とせまる。
「王はあなたたちの息子や娘を徴用し、あなたたちから税金や賦役を求めるが、それでも良いのか」と問う。民はそれでも王が欲しいと求めた。サムエルはさらに言う。「あなた方の羊の群れの十分の一を取り、あなた方は王の奴隷となる」と。
うーん、この十分の一ね・・・・。
まあそんなこんなで、王となるべき人に油を注ぐ為故郷のラマに帰り、ベニヤミン族のサウルを選んだ。
これがイスラエルの王制の始まりで、紀元前1020年となっている。この後ダビデへと続き、ソロモン王が登場するわけだが、王を指名するのは常にレビ人であり、最終的にユダ族と組みエフライムからレビ族が主勢力になって行くという。
まあ、この考え方が世界に広がってゆくレビ族に共通する思想であり、基本戦略なのでしょう。いつも責任を負うのは表面的な支配者、日本であれば首相とか官僚の一部、彼らはいつでも交換可能な存在である。
あっ、肝心のエッセネ派はどうしたかって?いやいや、そこまでたどり着けませんでした。申し訳ない。まだまだお勉強は続くのです。大変だ・・・。
以前、私は伊勢へ旅行に行き、近鉄沿線の斎宮跡に興味を覚え、わざわざ訪ねたことがある。現在も発掘中でその規模の大きさは想像を超えている。現在は行われていないと言われる斎王制度だが、賀茂神社の斎院制度と同様、形を変えて存続している。しかも、これが日本の国体の基本だということである。
まあ、早い話、私がかつて唱えたお種理論も重要な話ではあるが、お種よりも畑の方が重要だと、つまり妃が次の王様を生むわけで・・・・・・この婚姻を仕切っている派閥が即ち日本を支配しているということである。先日のやんごとなき血流の養子縁組などももちろんこの派閥の仕切りなのだ。またやんごとなき血流はもちろんだが、いわゆる閨閥を構成する婚姻や養子の複雑な仕組みは彼らの持つ秘密の家系図がなければ成り立たないのである。
さてと・・・それと関わりがあるかはともかくとして、私は現在聖書を調べている。もちろんキリスト教に改宗しようというのではない。世界の仕組みを知る上で、聖書の中身を知ることがどうしても必要になるからだ。言うまでもなく、私が聖書に関わるのは聖書が誰が、何のために書かれたかを知りたいからであり、同様に、日本書紀、古事記にしても何らかの目的を持って編纂されたことは明らかである。もっというなら、中国の歴史書と言われる史記も同じことである。秦の始皇帝は焚書坑儒を行い、過去の記録はすべて燃やしてしまったと言われるなか、司馬遷はどのようにしてあの恐ろしいほど詳しい歴史書を作り上げたのか、甚だ疑問が沸き起こるのである。
以前、鹿島昇氏の著作でそれらの分析を読んだものの、オリエント史、ギリシャ史、ローマ史の精通したうえにさらに中国史も同じように知っていないことには手も足も出ないことであり、私としてはまったく力不足だった事を白状しよう。ただ、すべての史書に対しても潜在的に疑いを持っていることはもちろんである。。
旧約聖書における一番の疑問は世界人類の祖先はノアの三人の子供から始まるとしたことで、これが前提で世界は動いているという現実である。聖書を信じている人たちには申し訳ないが、巨石文明などの考古学的な発掘は少なくともノア以外にも人類が存在したことを示しているのではないか。まあ、この辺のことはヤペテ系の人たちを調べて行くしかないのだが、今はそれよりもエッセネ派でしょう。
さて、「イスラエルがカナンの地に侵攻し、祭司サムエル(サミエル)は民の要望で王政を始める。最初の王を指名したのが彼なのだが、王政は主の教えに反するのだぞ、と民衆に何度も念を押し、王がヤハウエにそむくと民にも天罰が下るのだと説明し、初めての王、サウルを指名する。当時の支配部族はエフライム族だったが、この時点から「王を指名する」レビ族が優位に立つわけだ。つまり、王と王を指名する人「油を注ぐ人」という二重構造が出来上がる。これが現代までつながるもめごとの最初の一歩だったのだという。」ということをS氏からお聞きし、でその最初の一歩を調べることになったわけである。
さて、聖書の初心者であるマヨちゃんが聖書を語るのはやや頼りないのだが、間違いや誤解があれば指摘してほしい。
さて、サムエルを祭司にしたのはアロンの正当な後継者であるエルである。
不妊の女、ハンナという女がいた。エフライムのエルカナの妻であるハンナは不妊に悩み、祭司エルに「子をいただきましたら、あなたに捧げます」と祈り、シロの祭司エルは「安心して行きなさい。イスラエルの神がかなえてくださるように」と答えた。そして彼女は身ごもり、男の子を生み、名前をサムエルとなずけ、祭司に預けられる。そして祭司は自分の息子ではなく、このサムエルを後継者に選ぶのだから・・・普通の人ならだれの子供かは明白だよね。血分け?
エルの二人の息子、ホフニとピネハスは祭司の権力を傘に主に捧げるべき肉を横取りしていた。肉の中で最も貴重な脂肪は焼いて主に捧げる慣わしであったあったが彼らは自分たちで食べちゃったと・・・。そのぐらいどこでもやってると思うのだけど。
13歳のとき、エリは「我が子サムエルよ・・」と呼びかけ、主の声を聞けと、そして「主がみこころにかなうことをなさいますように。」、つまり二人の息子を差し置いて祭司を継がせたのだ。
まあ、その後ペリシテ人との戦いで契約の箱を前に出し戦うも、彼らに負け、さらに契約の箱を取られちゃった。
神の箱は奪われ、エリの二人の息子は死んだ。そしてその知らせを受けエリも門のそばに落ち、首を折って死んだ。
この契約の箱は先々で不幸をもたらし、結局はイスラエルに返されることになった。しかし、信仰がなければただの箱であり、箱を前面に立て戦ったことは偶像崇拝の罪を犯した。その為にイスラエルは打たれたのだと。なるほど・・・。
サムエルは年老い、職務を息子達に譲る。しかし息子たちは民に仕えようとせず自分たちの利益を求める。そこで民はサムエルに王を立てるように求めた。
イスラエルの長老たちは「あなたの息子はあなたの道を歩みません。どうか今、他のすべての国民のように、私達をさばく王を立ててください。」とせまる。
「王はあなたたちの息子や娘を徴用し、あなたたちから税金や賦役を求めるが、それでも良いのか」と問う。民はそれでも王が欲しいと求めた。サムエルはさらに言う。「あなた方の羊の群れの十分の一を取り、あなた方は王の奴隷となる」と。
うーん、この十分の一ね・・・・。
まあそんなこんなで、王となるべき人に油を注ぐ為故郷のラマに帰り、ベニヤミン族のサウルを選んだ。
これがイスラエルの王制の始まりで、紀元前1020年となっている。この後ダビデへと続き、ソロモン王が登場するわけだが、王を指名するのは常にレビ人であり、最終的にユダ族と組みエフライムからレビ族が主勢力になって行くという。
まあ、この考え方が世界に広がってゆくレビ族に共通する思想であり、基本戦略なのでしょう。いつも責任を負うのは表面的な支配者、日本であれば首相とか官僚の一部、彼らはいつでも交換可能な存在である。
あっ、肝心のエッセネ派はどうしたかって?いやいや、そこまでたどり着けませんでした。申し訳ない。まだまだお勉強は続くのです。大変だ・・・。